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地元には歩ける範囲で飲みに“行きたい”お店がない

地方は「“デザイン”に対する価値」が低い。
デザインにお金をかける(価値がある)という発想がないんだなと悲しくなる。
 “地方”を十把一絡げにしてごめんなさい。“地方”にもいろいろある。
 私の地元・袖ケ浦と木更津・市原あたりの話。
デザイン的に“アリ”な店がない。
都会的でシュッとしてるとかいう表面的なことでなく。
デザインとは、「美しく見せる」「機能を活かす」だけではないと思っている。
デザインとは、「哲学が宿っているか」だと思う。
商品、外観や内装デザイン、調度品、道具、ロゴや看板にオーナーとか代表の個性や意思が伝わってこない。

哲学のある人は袖ケ浦でお店を開かないのか。
そっち側だけの問題じゃない。
商圏のお客さん側も、そこらへんまで求めてもいなんだろうと思う。

まずは誰もが身近な飲食店から。
歩ける範囲で飲みに行きたいお店が皆無。
お店がないわけじゃない。
チェーン店はそれなりにあるけれど、私にとってチェーン店は行きたいお店ではない。
個人店もそれなりにあるけれど、さほど美味しくもないのにそれなりの値段で。
味にもサービスにも空間にも「商売をするプロだ」と思える点が本当に少ない。
「競合が少ない」とここまでレベルが落ちるのか。
仮にも「何か得意なことで商売しようと思った人」のはずなのに。
「客、舐めてんのかな」
「自分で自分の料理、食べたことあるのかな」
「研究のために他のお店に行ったりしてないんだな」って感じるお店ばかり。
「これで飲食店か」と思うくらい店が汚かったり。
「古い」と「汚い」は意味が違う。

空間を度外視して、「味でリピート有り」だなって思えるお店は、50店に1店かな。
↑お店の紹介もいずれする!
この割合は東京でも同じくらい。
ただお店の数が違うので、東京なら徒歩15分圏内に1店とかあったりする。
袖ケ浦では市内に1店あるかないか。
(まだ見つかってはいない)
でもそれが、車でそれなりに行かないといけない距離だと、お酒が飲めない…

私は、お酒そのものがすごい好きというわけではない。
お酒の場は、人に出会う場であり、誰かと話す場。
職場と家と、もう1か所は必要!
発想や考え方を豊かにするために。

「サードプレイス」ってやつ。
(言葉はなじまないけど、要はそういうこと)
誰かともうちょっと仲良くなりたい時、いろんな垣根をとっぱらって新しく誰かに出会いたい時。
ちょっと聞こえてきた会話の中にも、発見はある。

仲良くなりたい人が見つかったら、うちに呼んでごはんを食べたりお酒を飲んだりすればいいんだけど。
そういうことじゃないんだよなー。
自宅は、「開かれていない」。

味・サービス・空間が揃っても、「常連さんの雰囲気」で店が台無しになることもある。
集っている人の酔い方とか聞こえてくる話題で「できれば関わり合いになりたくない」感じだと、例えお店が良くても横の繋がりは生まれない。
「常連厄介店」は、どんなに美味しくても二度と行かないかも。
と、考え出したら「墨田が恵まれすぎていたのかも」という気がしてきた。
だとしたら、ドンピシャなお店を地元で探している間に人生終わっちゃうわ。
かといって、父をほったらかして墨田に戻るわけにはいかない。
例えば「外食する場」と「出会うのに良い場」を別々に考える。
「外食する場」は50店に1店くらいは見つかる。(予定)
「出会うのに良い場」は、別にお店じゃなくてもいいのか。
自分で開いちゃえばいいんじゃないか、そういう場。
…って、あれ?
書き始めた時には思ってもいなかった所に着地した。

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