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新しい家族ができた!母を亡くして1年、新しいお義母さんができた。ダメ嫁よちよち。

思っていた「結婚」とは全然違う。でも…

婚活に奔走していた頃は結婚に憧れがあった。
家に帰ったら好きな人がいるって最高すぎない!?みたいな淡い期待を抱いていたけれど、いいな♡と思う人からは全く相手にされず、とんとん拍子で話が進むと気持ちが追いつかず腰が引ける。
そうこうしている間に婚活に疲弊して、結婚への憧れは消えた。
婚活やめたら、出会う男性にいちいち「独身か?」とか考えなくて済むし楽になってすっかり結婚したいという気持ちもなくなっていた。

おじいさん(夫のあだ名)は10年来の飲み友達で恋愛関係ではなかったので、結婚したからって急にひゃん♡とかキュン♡とかいう感情は沸いてこない。
言葉で表すならば「凪」で、婚活していた頃に思っていた結婚とは違うなーって思っていたけれど。
入籍して2年。
日に日に「こんな日がずっと続くといいな」というあったかい気持ちが膨らんでいく。
現在進行形で膨らみ続けている。
こういうの幸せっていうなら、私、今、幸せじゃん!って思う。

婚活する前から出会っていたおじいさん。
婚活中も「相手が45分間スマホから全く顔を上げない」とか「初対面で年収120万で母が病気なので同居したいって言われても…」とかおもしろエピソード?100も200も聞いてもらっていたおじいさん。
結果、おじいさんと結婚するってわかっていたら、ボロ雑巾のように疲弊だけした婚活なんてする必要なかったじゃん…とも思った。
まあ、あの苦しい婚活があったからこそ、私でも結婚できた!っていう感動が倍増したと思えば必要な経験だったのかな。とでも思うとするか。

義実家の皆さんへご挨拶

2021年5月。
初めておじいさんのご実家 秋田県へ行くことになった。
帰省に4日はほしいところ。
おじいさんの仕事、4日も休めるのは年に2回。
1回目はおじいさんと私で行き結婚についておじいさんのご家族に了承してもらいに行き、その次に両家の顔合わせをするという手順を踏もうとすると入籍は1年以上先になることに。
特に入籍を急いでいたわけではないけれど、「一緒に住むことになった経緯」「私の素性」「結婚を考えています」「私の父はこんな人です」を1回でまとめるべく。
初めておじいさんのご実家へ行く時に、私の父も一緒に行くことに。
最初は二人でご挨拶して結婚に反対されなかったら「実は今回、父も一緒に来ていまして…」って切り出そうかと思ったけど、「父も一緒でいい」と先方に言ってもらえたのでいきなり一緒に押しかけた。
ご両親が「ひと言申したい!」と思っていて、修羅場になったらどうしよう…とも思いながら。

婚活していた時に「彼氏の家に初めて挨拶に行く時は紺色のワンピースだと受けが良い」と何かで見て、彼氏もいないのに買った紺色のワンピース。
生前、母には「なんか違う」と言われたワンピース。

探してみたけど、荷解きもできてなくて見つからず。
違う服を持っていった。

一生で一番正座をしなければならない日

って思いません?
初めましてで「一緒に住んでる者です。結婚をさせていただきたい」とご両親にお伝えする日。
しかもおじいさんは長男。
ご両親にことわりもなく私の実家に引っ張り込んで、私の父と暮らしてもらっている状況……

母が亡くなってから1年、なんでか髪を切れなかったけどさすがに髪くらい整えていかねばと思って、秋田へ行く直前に髪を切った。
お店を出たあと派手に転び、足、着くのも激痛。
靴もろくに履けず、正座…絶対無理な状況に。
おじいさんに先にご両親に伝えておいてもらった。
いざご実家に着いたら、もともと足が痛いお義母さまと私用に椅子のある席、お義父さま・お姉様・妹さん・パートナー・私の父は座布団。
私の目線が高いなんて…なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
皆さんに「大丈夫?」と気遣われ、本来なら一生でこの日だけは正座しないといけない日だったのでは…と震え上がる。

反対などされることもなく和やかな席で胸を撫で下ろし、千葉へ帰ってきた。
いよいよか…
でもまだ「入籍ってこういう流れでしていいのかな、私がおじいさんの人生狂わせてないかな?」っていう思いもあり棚上げにして触れずにいたけれど、父から「入籍いつにするの?」と聞かれ、おじいさんからも「うちの親も年なんだけど」と、普段確信には触れない二人から「現実的に考えるべき」という圧をじんわり感じとったので、日にちを決めて入籍した。
特に障壁がなかったということは、亡き母も結婚に反対ってわけではないんだろう。
私自身、この生活が続くのなら入籍を拒む理由もないなと腹をくくった。

新しい家族に恵まれるって、私、超絶ラッキー

例えば好きな人と結婚しても、相手の親とか兄弟とかまでマルッと好きになれるとは限らないじゃないですか。
ネットのニュースとかでも「義実家への憂鬱」みたいなの読んだことあったし。
離れて暮らしているからなのか、私、義実家への帰省がめちゃくちゃ楽しみ。
1年に2回。
これまで4回行けた。
おじいさんのご家族はみんな性格がとてもまろやか。
私、母が激しい性格だったので、ビックリするくらいまろやか。
ダメ嫁っぷり発揮しまくっているのに、みんな優しくしてくれる。

母の従姉妹と今でも連絡を取っていて。
入籍の報告も喜んでくれて、「初めて実家に泊めてもらうの緊張する」とメッセージを送ったら「新しいお義母さんができたんだね」と返信をもらい、そうか、新しいお義母さんか!ととても嬉しくなった。

運命の指輪

私たちは結婚式を挙げていない。
私が10kg痩せたら写真だけ撮るっていう話も出たけど、たぶん痩せない。
おじいさんは普段アクセサリーとか身につけないから結婚指輪もないし、プロポーズも…今思えば私が車の中で「銃の説明するなら入籍するってことにしたほうが話早くない?って父が言ってる」って聞いたアレだ。
給料3ヶ月分って噂の指輪もない。
特に欲しいわけでもない。
みんなで美味しい物でも食べたほうがいいと思ってしまう。
ただ1つ、おじいさんに話したことがあった。
「お姉さんと妹さんが一緒にいる時に、お義母さんから要らなくなったやつでもいいから、いつか指輪をもらえたらいいな」と。

入籍後、初めて泊めてもらった時、お義母さまが「これ良かったら」と指輪をくれた。
偶然、お義父さまと私の誕生日が同じ日。
「お父さんの誕生石、あなたの誕生石も同じでしょ?」と。
サイズも直さず付けられる指があって。
お姉さんや妹さんが「お母さんのあの指輪欲しい」って思っているものがあったり、「ポッと出の嫁にあげちゃうの!」ってなってもやだからお姉さんや妹さんがいる前でいつか切り出そうと思っていたけど、お義母さんのほうから言ってくれたから良いのかなと思っていただいた。
おじいさんに「お義母さんに言ってくれたの?」って聞いたら「言ってないよ」って言われた。
なんだか思いが通じたみたいで本当に嬉しかった。

住んでる場所がもっと近かったらお姉さんとか妹さんと一緒にお買い物行ったりできるのになとか、家族みんなで旅行に行ったりできるかなとか楽しみはたくさん。
なんならおじいさんがお仕事で行けないなら私だけでも秋田に行きたい勢いだけど、みんなが待ち望んでいるのはおじいさんであって私だけ行っても「お前じゃない感…」と思って我慢。
秋田の冬は寒いから「冬だけでも千葉で暮らしませんか?」とか誘ってみたけど、曖昧な感じで話は終わった。
住み慣れたところはそんな簡単に離れられないか…
まだどんな物が好きかとかどんなことをしたら喜んでくれるのかとかわからないからおじいさんに聞きながら、ちょっとずつ距離が縮まったらいいな。

結婚はゴールじゃない

予想していた名前変更の手続き…
これだけはというやつは終えたけど、途中からいずれまたでもいいやってうやむやに。
婚活していた時は、とりあえずのゴールが「結婚」だったけど。
実際に結婚してみたら全然ゴールなんかじゃない。
むしろ新たなスタートを切った。
先のことはわからない。
「一生一緒にいようね」とかってことがどんだけ意味ないか、よくわかっている。
次の瞬間、何が起きるかわからない。
「今日は一緒にいた」って日々が続いて、気づいたら2年経ってた。
今ここ。
それが「気づいたら10年」「気づいたら20年」ってなるか、ならないか。
母を失った経験の影響は大きく、結婚した瞬間から「始まったものはいずれ終わる」って確信している。
それは悲しいことではない。
何が起きても、何を失っても、日々は続く。
儚いから大事にできるって考え方もある。
おじいさんにも、ご両親にも、父にも現世で命ある間にできることを全部やるだけ。
やり切らないと、母に顔向けできない。
ブルドーザーみたいに、父のため、私のため、親のため、友達のため、いつも誰かのためにだけ熱く短く生きた母に会えない。

自分の選択が正解だったって言えるか

入籍を選んだのは自分。
婚活の後、結婚願望は皆無だった。
1人って気ままで楽だし。
身軽で自由。
恋愛すらめんどくさくなっていて、別に結婚する必要ってなくない?って普通に思っていた。
結婚したら、1人の時は売るほどあった「自分の時間」って前と同じようには持てない。
心配しないといけない人が増えると、「攻め」ばかり選べず、この私が時には「守り」も考えるようになった。
それでも、「結婚ってメリットなくない?なんのためにするの?」ってもし友達に聞かれたら「成長の機会」って答える。
1人の時では見えなかった景色が見える。
味わったことのない別ステージ、まだあった!みたいな。
自分で選んだので、どうせなら楽しいほうがいい。
それって、私だけ楽しくてもダメで。
私の楽しいだけ押し通すと、身近な誰かが我慢ばっかになって時間の問題で破綻する。
だって、逆の立場だったらイヤだもん。私ならすぐ終止符打つ。

周りのみんなが楽しくなるために、私何ができる?って思うのワクワクする。
全部は背負えないので、適度に割り振りながら。笑
何か起きたら起きた時に考える。
なんでもドンと来い。
母のこと越えきれてないけど、あれ体験したらこのあと起きることはだいたいなんでもイケる気がしてる。

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