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掌編 人工星

#ファーストデートの思い出  連動企画参加作品

僕は四月一日に生まれた。世間一般的にはエイプリルフールだ。理由はわからないけれども日本では慣習として四月二日生まれの子供から新たな学年に数え入れられるので、四月一日生まれの子供は同学年の中で一番最後に生まれた人間ということになる。そのため、特に小さい頃は他の子と比べて身体的に未熟で周囲にうまくついていけないだろうという理由で、実際の出生日が一日だったとしても手続き上はわざと遅らせて二日生まれということにしておくことが当時はよくあったらしい。でも何故だか僕の両親はそうしなかったので、僕はいつも学年で一番の若手だった。それを恨んだことはない。

僕はその日、十八歳になった。専門学校に入学し、生まれ育った田舎町を離れて一人暮らしをはじめた。そこは県内では一番にぎわっている街だった。初めての一人暮らし。これからどんな事をして遊んでやろうかと意気込んでいた。そんな中、僕は友人からの紹介で一人の女性と知り合った。

初めて会ったとき、彼女は全然僕の好みではなかった。髪型や服装も田舎くさいし話し方も子供っぽいと思った。おしゃべりの内容も自分にはあまり興味のないことばかりだった。彼女は僕が住み始めた地方都市から電車でさらに北に一時間ほど離れた港町に住んでいた。高校を出てすぐに就職が決まり、三月から地元の花屋の店員として働き始めたのだと言った。花が好きだから花屋に就職できて嬉しいと笑った。新人で仕事を覚えるのに必死な時期だったから、その時の話題はにわか覚えの花や植物の事ばかりで、僕は話していて正直とても退屈だった。

彼女は僕のアパートによく電話をかけて来るようになった。僕は彼女が嫌いというほどではなかったものの今以上に親密になるつもりもなかったので、努めてつれない態度を取るようにしていた。でもそれはうまく伝わらなかったみたいで、彼女は電話をかけてくるのを止めなかった。そしてあるとき「地元で見せたいものがあるから」と彼女の住む街でのデートに誘われた。

当時の僕は、人の頼みや誘いをうまく断ることができなかった。断ることができないのは自分の性格が優しいからだと思い込んでいた。だから僕は、全然乗り気じゃなくて嫌だった彼女のデートの誘いも断れなくて、次の日曜日に電車で一時間もかけて彼女の住む港町まで一人向かうことになった。

駅についた僕を彼女は迎えに来てくれた。そこは僕が生まれ育った町と大差ないようなごく小規模な田舎町だった。彼女はとても歓迎してくれてすぐに町を案内してくれた。海岸沿いの防波堤に書かれた沢山の壁画がこの町の名物なのだと誇らしげに説明してくれた。彼女は、花や植物や自分の家族の事などをずっと喋り続けていた。僕はがんばって聞いていたが、どうしてもそんな話には興味が湧いて来なかった。本当はもっと都会的でおしゃれな話がしたいのにと心の奥で思いながら、適当に相槌を打つばかりだった。

彼女が見せたかったものとは、防波堤伝いに護岸をしばらく歩いたその先の施設に造られた小さなプラネタリウムだった。「ここに一緒に来たかったんだ」と彼女は言った。日曜だというのに他にお客はいなかった。僕らはリクライニングシートに隣同士で座って、短時間の天体プログラムを二人っきりで眺めることになった。彼女はとても嬉しそうだった。照明が落ちた。僕は次々と映し出される人工の星を目で追いながら、深く後悔していた。彼女が嬉しそうにすればするほど、僕の胸は重苦しくなっていった。どうして誘われるがままここに来てしまったのだろう。なぜ最初からはっきりと断らなかったのだろう。

プログラムが終わって照明が点いた時、たぶん僕はとても暗い顔をしていたのだと思う。彼女は「大丈夫?」と聞いた。僕は「大丈夫。でもそろそろ帰らないと」と答えた。彼女がとても残念そうな顔をしたのがわかった。

駅までの帰り道、彼女は往路と同じように、好きな花や植物の知識をずっと披露してくれた。僕は相槌を打つこともうまく出来なくなって、ほとんど押し黙ったままそれを聞いていた。駅での別れ際、彼女は「また会おうね」と言った。僕は最後くらいはと思って無理な作り笑いをなんとか浮かべながら「じゃあね」とだけ言って電車に乗って、ここより少しだけ賑やかな町へ一人、帰った。

これが僕のファーストデートの思い出。

その後何度かやりとりがあって、結果的には彼女を大いに傷つけてしまってこの話はお終いになったと記憶している。自分が誰に対しても良い人でありたいという未熟な願望を優しさと取り違えていた時代の苦すぎる思い出。

あれから何十年も経つ。今の彼女は幸せであってほしいという気持ちはあるものの、そんな事を願う資格すら自分には無いように思ってしまうのです。


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