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日本も貧乏になったものだ……だと!?

某SNSでの話題を元に、一度だけちょっと深く考察するだけの文章です。
今回は、その某SNSで(私がずっと某SNS、と呼んでいるのは、私の魂に近いロックバンドと同じ名前をSNSの名前ごときで呼びたくないから)未だに散見される、「日本は貧乏になった」論に、ついにブチギレてしまったお話です。

戦後から数十年間、日本は好不況の波を繰り返しながら、「高度経済成長」と呼ばれる時期を過ごしてきました。
日本が高度経済成長期を長く続け生き抜けてきた理由。そしてその時期の日本の資産価値評価のキチガイザタに関しては、私の過去記事、
「日本人が今後、アジア各国に出稼ぎに行く、という未来は来るのか」
の中段、
「日本の高度経済成長の源とは」
で詳しく語っております。

いわば、日本人が優秀だったとか日本企業が真面目に仕事をしてたとか、当時の日本のモノヅクリが世界に認められていたからだ、というのは、副因ではあれど主因ではなく、重要なようでそんなことはなく、正直言えばどっちでもよかった、というのが本当のところです。

バブル期前後の好景気が現出したのち、いかようにして衰退していったかは、これまた私の過去記事、
「経済基盤は土地と道路が担う」
より、
「バブル崩壊」
の項に詳しいです。本当に詳しいかどうかは知りませんが。

このバブル期前後までに、日本になにが起こったのか。
昨今、当時アマアマ人事で新卒採用をこなし、「俺たち花のバブル組」(池井戸潤)に代表されるような(半沢直樹のような骨のある人間とは、およそ正反対の人間像として当時のおっさんどもには理解されてましたが)昭和45年生まれ直前の人たち。
この人たち、あの蜜月がよほど忘れられないのか、はたまた本当に脳がKUSAっているのか分かりませんが……最初は私、冗談で言ってるもんと思ってたんですけど、どうやら「本当に」「日本が貧乏になった」と、嘆いてるっぽいんですよね。
それで私、後の氷河期世代に繋がる過渡期の、第二次ベビーブーマー世代のトサカにきちゃって、プッツンしちゃったわけでございます。あー懐かしいね。これら言葉の響き。

ふざけんじゃねぇ。

有史以来、日本が「貧乏じゃなかった」時代なんて、ないんですよ。
高度経済成長時代は、それこそ昭和のモーレツ社員たちが文字通りバシャウマのように(「バシャウマです」、のバシャウマじゃなく、馬車馬の方です。言わなくても分かります)月月火水木金金の精神で働いてきたことによる「正当な報酬と評価」に過ぎませんし、バブル期に入ってからは、文字通り天井知らずかと思われた日本の土地(主に東京の)という資産価値の急上昇に投機家だけでなく日本国民全員が、日本企業全社がトチ狂い、本来なら年2%でじっくり上がるべき資産・不動産をほんの数年で数十倍という桁違いの評価をしてしまい、いわば未来から「資産を前借り」して、あたかも借金で生活をまかなう人間がごとく、あほな乱痴気騒ぎを繰り返した結果に過ぎません。

考えてみると恐ろしいのですが、普通に(とくに都内で)持ち家で暮らしてて、1年後、自分の住んでる家の路線価・土地価額の上昇分が、自分の年収分に相当したのを目の当たりにしたとき。
「ここに住んでる限り俺働かなくても一生金持ち」
という勘違いを「せずにいられる」ならば、よほどの鈍感かよほどの切れ者なのです。

日本には資源がない。だから他国から資源を輸入し、それを国内で製品に変える加工貿易によって成り立っている。
私の子供のころはそう習いました。
今や日本は内需の国です。「内需拡大」のスローガンが新聞を賑わせたのも今や昔。社会は変わる。人間だけが変わらなかったのです。

資源がない理由は、国内にわりと豊富にあったはずの金が歴史のなかでなんどもなんどもあほのように国外に流出した歴史を学べばわかることですし。
資源がないから日本人は頭と労働で世界に伍していかなければならないのだ。社会で習って分かっていたはずです。偉い人だけじゃなく、日本人みんな。

しかしそれを忘れて、労働者が文字通り身を粉にしていた時期とその後の乱痴気騒ぎを指して、
「日本は金持ちだった」
などと抜かす花のバブル組どもの頭フラワーランドっぷりを見ると、ほんっっとーにキモいし、いかれてるな、と思うのですよ。

さて。
言いたいことは言ったので、ここからは真面目な軌道修正の文章となります。
戦後、日本の高度経済成長時代の日本人というのは、そりゃ今の人たちが考えられないほど「肝が据わってる」「骨のある」方たちが多かった。

先ほど私は、「日本人が優秀だったとか日本企業が真面目に仕事をしてたとか、当時の日本のモノヅクリが世界に認められていたからだ、というのは、(日本の資産価値があれほど上昇した)副因ではあれど主因ではなく、言ってみればどっちでもよかった」と述べましたが。
それは、資産価値の上昇と日本人・日本企業の優秀性に因果関係がない、という意味でしかなく、日本人・日本企業が「優秀でなかった」という意味ではけして、ありません。

実際バブル崩壊後であっても、日本製磁鉄鉱、日本製半導体部品、日本製検査器など、日本が世界のシェアと性能をリードしている分野はずっと存在し、あるいは京セラ、あるいはトヨタ、あるいはデンソー、あるいはGEO SEARCH、あるいは三菱商事、あるいは川崎重工、あるいは……、と、世界の技術革新あるいは国際支援事業に連なる日本企業は枚挙にいとまがありません。

それは素直に誇ればいいし、にも関わらず貧乏になったのは企業のせいではなく国が悪いとか、若い奴らに気力がなくなったのだとか、他人のせいにするのは実に楽でいいでしょうが。

その実、富の前借りをしすぎて大やけどを負い、羮に懲りて膾を吹き飛ばすような構造的デフレ政策の沼の中、およそ30年かけて前借りしていた富を、長きにわたってようやく還し終わった(名目ともに日経平均がバブル期の最高値近くにまでこぎつけた)のは、偉業と呼んでさしつかえないでしょう。

ですが。
これは元に戻っただけであり、昔も今も、そして今後も日本は「投機家による狂乱の価格付け」がなければ貧乏なままですし、それを嘆いてカネがないを繰り返しても始まりません。

現在我らの手の中にあるのは、過去ではなく、現在と未来です。
これからどのような世界に日本をしていくのか。その明るいビジョンに自らの潜在力を突っ込み、少しでもいい国に仕上げていく。

その気概なくて、金持ちにはなれません。

具体的には、土地価額の上昇を阻む自然保護や、道路開発の阻止や、地震などの災害復興を妨げるような「どうせ田舎が」に始まる投げっぱなしジャーマンしぐさや、共産党や、コンクリートから辻元や、おれ馬鹿だからわかんねぇけどほんとうになにもわかんねぇんだ山本や、その他いっぱいいる頭フラワーランドたちの跋扈を首根っこごと押さえ込み、適切な「開発」を喜び推進するある種の「ポジティブマインド」こそが、これからの日本には必要だととみに感じております。





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