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お別れした友人が、教えてくれたこと

ぼくには、数年前仲良かった友人がいました。
手紙を通して、お互いに支え合い、思いを共有できる友人として、二年ほど仲良くさせてもらってましたが、
ある日友人は『あなたの為に』と身を引き、ぼくも『その方がお互いの為になるなら』と思い、お別れをしました。

友人とは入院中同じ部屋だった事がきっかけで知り合い、仲良くなり、退院後ぼくから手紙を送り、文通が始まりました。
友人はぼくよりもずっと年上だったけど、気さくで明るく、とても話しやすい人でした。話の中で、長年統合失調症を患っていると打ち明けてくれました。

友人は統合失調症を患っているとは思えないほど元気な人でしたが、気分の浮き沈みが激しく躁鬱の波が大きい人でした。また、自死観念にもたびたび襲われていました。
口には出さなかったものの、腕や足には自傷行為の痕も残っていました。

それでも、友人は明るく、気さくで優しい人でした。ぼくが落ち込んでいると手紙を書いた時には真摯に相談にのってくれて、年上として、友人としてアドバイスをくれました。
今度は友人が落ち込んでいる時には、ぼくも友人として相談にのり、友人の助けになれればと、調べものをしたり、アドバイスをしたりと、お互い支え合って生きていました。
また、友人との共通の趣味が短歌でした。お互いに短歌を送り合って感想を伝え合ったりと、短歌仲間としても楽しく付き合いをさせてもらってました。
ぼくは友人に、信頼と友情を抱いていました。
友人も、ぼくと同じ思いを持っていてくれてたと思います。

友人の支えもあり、ぼくは徐々に回復し、体調も安定し順調にステップアップをしていきました。
友人の方も、実家を出て一人暮らしを始めたり、自立に向けて動き出していました。

ぼくは、『これから忙しくなるけど、これからもお互い友達でいよう』と手紙を送りました。
だけど友人からの返事は予想外のものでした。

『自分とずっと関係を持ち続けるのは、あなたの為によくない。あなたと友人として付き合えた事は嬉しかったし、とても楽しかったけど、あなたの為に身を引かせてほしい』。

そしてその後、友人からの手紙は、来る事はありませんでした。


ぼくはショックと悲しさ、寂しさで、日々『何でだ』と考え続けました。
何か悪い事を友人にしてしまったのだろうか。忙しくて返事を出さない時があったのが悪かったのだろうか、もっと手紙を送っていれば、もっと電話をしていれば、今でも友人と仲良く付き合えていたかもしれない…

いろいろと考え、悩み、泣きましたが、『あなたの為に』と身を引いた友人の事を思うと、
腑に落ちました。

友人は、ぼくよりもずっと年上でした。
それに対して、友人は引け目を感じていました。『こんな年上とつるんでたって、良い事ないよ』と言う事もありました。
ぼくは、友人関係に年齢は関係ないというスタンスだったので気にしてはいなかったけど、歳の離れた友人関係というのは、なかなかうまくいかないものなのかもしれないと、今回感じました。

ジェネレーションギャップももちろんだけど、一番は友人の中で、『老いていく自分と、成長していく若い相手』の間に、溝というか、壁を感じてしまったんだろう。

実際、友人は、『自分には何もないし、老いていくだけ。これからどんどん活躍していく、若いあなたが羨ましい』と言っていました。
また友人は統合失調症を患い、長年闘病生活を送っていました。ぼくは友人に自分は発達障害だと打ち明けて互いに大変だねと共感し合ったものの、発達障害と統合失調症は大きく違うし、それも20代の若者と、それよりもずっと年上の者とでは、やはりどこかで分かり合えない部分はあったと思います。

友人は、ずっと悩んだと思います。
このままぼくと友人関係を続けるのか、それともきっぱりとお別れをした方がいいのか…

友人も、『あなたとずっと友達でいたい、一生のお付き合いになれればいいね』と言ってくれた時はありましたが、
やはり限界があったようです。

また、病気や障害を抱える者同士、依存し合う事になってしまうのはお互いの為にもよくないと考えたんだろう。

そして友人は、ぼくの為にと身を引きました。

友人からの最後の手紙には、『自分との思い出を大切に、でも前を向いて生きていってほしい。あなたならできる、頑張れ』と書いてありました。

ぼくも友人の思いに答えるべく、友人への感謝を綴った最後の手紙の一通を送り、友人との関係にけじめをつけました。

自分があの時もっと大人だったら。友人と同じ年代だったら。そんな事を考えてしまうけど、過ぎてしまった事はもうどうしようもない。
それよりもぼくにできる事は、友人の言葉通り、
友人との思い出を糧に、自分の人生を、頑張って生きていくという事なのだと思っています。

友人はきっと、いつまでも見守ってくれていると思います。
ぼくも、友人の幸せを、いつまでも願ってます。


お別れしてしまった友人でしたが、ぼくに思い出と気づきを与えてくれた人でした。
友人も、ぼくの事をふと思い出してくれていたら嬉しい。

終わってしまった人間関係も、人生の糧として今も確かに生きているという事を感じた春の日でした。


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