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戦うべき時に戦う覚悟を

今回のウクライナ戦争は私たちに様々な教訓を残しつつある。中でも大きな教訓の一つは「敵が攻めてきたら戦わなければならない」ということだ。

ロシアとウクライナの、正規軍どうしを比較すれば、歴然とした戦力差がある。多くのウクライナ国民が今も犠牲になっている。一部の地上波などでは「戦っても無理、それより逃げるべき」という識者もいるらしい。一見、合理的な意見に聞こえるかもしれないが、それが誤りであることは明白である。

その理由はいくつかある。

まず現状として、しかしウクライナが一方的にやられているかといえば、必ずしもそうでもない。キーウ近郊など一部地域ではむしろロシア軍が撤退している。物量では圧倒的なはずのロシアが、必ずしも実際の戦闘で勝っているわけでもない。

ひとつには、守る方は攻める方より少ないの戦力でいいということがある。関ケ原の戦いのように、野原で正面から戦闘しているわけではない。相手の根拠地を攻め落とすのは、何倍もの戦力が必要である。キエフのように市街地であれば、その差はさらな大きくなる。決して、単純な戦力差だけでは勝敗は決まらない。

さらに、ウクライナは米欧を中心として多くの国が支援している。逆に西側諸国から制裁を受け孤立しているロシアとはこの点で大きく優位に立っている。他国の支援などたまたまじゃないかと言われそうだが実はそうでもない。日露戦争での日本の勝利に、日英同盟や米国の支持が大きく貢献したように、戦争は当事国だけでやるものではない。第三国をいかに味方につけるかといことは、戦争に勝利するうえで非常に大きなポイントである。

以上の2点とも、ウクライナ国民の戦う姿勢に大きく依拠している。いくら守りの方が優位といっても、守ることを放棄してしまっては仕方がない。また他国の支援にしても、ウクライナ自身が戦う意思があるからこそ他国も支援できるのである。初めから戦おうともせず逃げてしまうなら、勝敗はその時点で決まる。支援のしようもない。

人気バスケ漫画ではないが「諦めたらそこでゲームセット」なのである。

日本には日米同盟があるが、いざというときに本当にアメリカが守ってくれるのか、という議論がある。遠い島国での出来事のためにアメリカの若者が血を流すことをアメリカの世論が許すのか、という問題である。

実際にどうなるか、有事になってみないと分からない。しかし、日本自身が戦わないのであれば、アメリカが動かないのは確かだ。領土なり主権なり、日本自身が放棄したものをアメリカが守るわけがないではないか。

戦争などしたくはないが、かといって「不戦の誓い」だけでは現実に対処できない。戦うべき時は確実にある、と覚悟しておかなければのである。

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