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【備忘録SS】それは「素敵な」マチアルキ。

春から本社勤務となった四条畷紗季が新居に選んだのは、楽器店街と古書店街のちょうど中間に位置している築3年のマンションであった。
地下鉄の最寄駅から本社ビルがある駅までは乗り換え無しで10数分。都心でありながら落ち着いた雰囲気を、彼女はとても気に入っていた。

「さて、洗濯と掃除は終わりましたっと」
久しぶりに何も無い週末を迎えた紗季は、溜まっていた諸々の家事を片付けていた。
ある程度の目処が立ったところで、自己モードを「家事」から「趣味」に切り替える。

(ストレスマックスのときにハマったFPSの沼に丸一日沈んでも良いけれど……今日はお出掛けの気分かな)

クローゼットを開けてお気に入りの動きやすい平服に着替えた彼女は、玄関横の写真立てを見ながらスニーカーを引っ掛け、ドアノブに手を掛けた。
「まずは、あそこからかな」


ドアを開けると、カランカランという軽快な音が店内を転がっていく。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
笑顔で出迎えた店員の女性に案内されて、紗季は前回と同じ窓際の席に腰を下ろした。
「……カフェモカと、玉子サンドお願いします」
「はい、承りました」
大学生くらいだろうか、深緑のカフェエプロンがとても似合う女の子が、慣れた手付きでグラスとカトラリーケースを置いて下がって行った。

引越しの荷受けを終えた日、遅めのランチにしようとたまたま入ったこの喫茶店を、紗季はとても気に入っていた。
緩やかなモダンジャスが流れる店内では、多過ぎず少な過ぎずのお客さんがそれぞれの時間を過ごしている。

紗季も持参したトートバッグからデジタルノートを取り出して、暫く自分の頭の中に蓄積されていた大小のアイデアをアウトプットする作業に取り掛かった。

「……お待たせしました、カフェモカと玉子サンドです」
テーブルにコトリと置かれたマグカップの音で顔を上げると、サンドイッチの皿を置き終わった女性店員が、トレイを胸の前に抱いて微笑んだ。
「本日もご来店有難うございます。最近こちらに来られたのですか?」
「はい、春の異動で引っ越して来ました」
「そうでしたか」
「まだ日は浅いのですが、ここは良いまちですね」
「はい、私も昨年から住んでいますが、好奇心をくすぐられるスポットが結構あって、とても気に入っています」
彼女はニカっと笑った。本当に笑顔が良く似合う娘だなと眺めていた紗季に、彼女は話を続けた。
「私、津田沼梨花と言います。●●短期大学の2年生です」
「四条畷紗季です。都内の会社でお仕事しています」
「紗季さんですね、これからも仲良くしてください。あ、お店もご贔屓に」
チラリとこちらを見て苦笑しているマスターを気にしながら、梨花はたたっとカウンターに戻って行った。
(私って、歳下の女の子に好かれるのかなぁ)
仲の良い女性は殆ど自分より年齢が若いことを思い出した紗季は、冷めないうちにとカフェモカのマグカップを手に取った。


行きつけになる予定のカフェでまったり過ごした紗季が次に向かったのは、古書のまちの中心部にある大型書店だった。
「アウトプットのあとは、同じかそれ以上のインプットをしなきゃね」
尊敬する上司が空き時間の多くを書店で過ごしていたことを思い出して、彼女は沢山の本に触れる機会があるこの街を選んだのだ。

ビジネス書籍でワンフロアを占めている階で色々自分の頭の中を整理していると、ブブッという着信の振動を感じた。
スマホを取り出してみると、とあるグループL●NEに新しい写真が投稿されている。
暫くそれを見ていた紗季は、裏画面で電話帳を呼び出して表示された番号をタップした。
「……お疲れ様です。いまどちらですか?」


「いやー妻と子どもが急に出掛けることになってね。これはチャンス……困ったなと思って色々調べてみたんだよ」
カウンターの隣に座った寝屋川慎司副部長が、おしぼりで顔を拭こうとして、紗季のジト目に気が付いたのか、すごすごとテーブルに置き直した。
「それで【とんかつ同盟】L●NEに●べログのリンク貼るのはやめてください」
「いやー四条畷さんだったら反応してくれるかなぁと。一登はどうせ無視するだろうし」
「はあ……」
店員から出された湯呑みを両手で包み込んだ紗季は、恨めしそうに寝屋川を見る。
「いいんですか?脂っこいものばかり食べていたら、佳世さんに怒られますよ」
妻の名前を出された寝屋川は、うっと顔を歪ませる。
「だ、大丈夫だよぉ。最近控えていたから。少しだけ、ね」
「まあ、副部長はウソも下手だし、そもそも不摂生を隠す気無さそうなので良いですけどね」
「見届け人なのに酷い言い方するなぁ」
「わたしを巻き込まないでください!」

●●支店の有志送別会に顔を出した際、佳世から夫の会社における食事監視を依頼されていた紗季は、肉厚のトンカツ重を前に目を輝かせている上司の姿に頭を抱えた。


「それで?」
「え、何ですか?」
サバの味噌煮を箸でほぐしていた紗季は、寝屋川のひと言に上手く反応出来なかった。
「色々と落ち着いたみたいだけど、上手く折り合いは付いたのかな?」
その言葉が寝屋川なりの気遣いだと解って、紗季はクスリと微笑んだ。
「はい、それなりに」
「……そっか」
一度箸を置いた寝屋川は、湯呑みにはいった焙じ茶を口に含み、軽く頷いた。
「四条畷さんが元気ないと、アイツが気にするんだよなぁ」
その言葉に、紗季はふといたずら心が芽生えた。
「あら、この先口説かれる相手に対して随分と余裕なんですね、京田辺副支店長は」
「そう言うなよ。アイツも色々悩んでキミを送り出したんだからさ」
「はい……」
紗季は、箸で摘んだ味噌煮を見つめながら、言葉を続けた。


「……よく、分かっています」


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