神は御名を通じてのみ、隣人と手を携えることを望まれている。他人の人としての部分を見て仲を深めようとするのなら、やがてそれは失望に変わるだろう。人が隣人すらも兄弟と呼び仲睦まじくするのは、神が命じたもうたからである。己に執着する業を宿す人類は、独力では真に愛し合うことができない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?