アカウント削除みたいに、人生をやり直せたらいいのにな
先日のnoteにて「第二次芸人さんブームが来ている」という話をした。
そのブームに関連した話として、オールサックメンバーの「サックし」ことインパルスの堤下さんが復活したという動画を見た。
ずっと過去動画を追いかける感じだったから、リアルタイムでオールサックが見られることを心待ちにしている。
リンクばかりで重たい初動になってしまった。
「なぜ謹慎してたか」「どんな復活動画なのか」は、ぜひリンク先を見て欲しい。
今回は動画の中で発せられていた「死にたいと思ったこともあった」について話したい。
著名人の自殺はとてもセンセーショナルな出来事として世間に広がる。
しかしそれと同時に「有名人だからメンタルが強い」という根拠のない思い込みが「マジで思い込みである」と認識する出来事でもある。
「自殺した人数の10倍は『自殺しよう』と思ったことがあるだろう」
『推しの子』の恋愛リアリティーショー編で語られていたこの言葉のように、「自殺」は割と近くに存在する手段なのかもしれない。
ということを改めて感じた。
「なぜ『死にたい』と思うのだろう」
僕はそこに「アカウント削除」と似たものを感じる。
SNSのアカウントを消したことはあるだろうか。
僕は何度かしたことがある。
「リア友と繋がるのはインスタだけでいいや」とXのアカウントを消したり、「発信する内容似てきたな」と片方を消したこともある。
が、世間を見渡してみると「炎上したからアカウント削除する」っていう行為も見受けられる。
誰かへの誹謗中傷なのか、少し過激な思想を投稿していたのかはわからないが「アカウント削除」をすることで、それらの存在自体を消すこと。
まぁ運営のサーバーにはデータが残ってるらしいけど、目の前から消えれば存在を消した開放感がある。
SNSならそういうことを何度もできる。
しかし人生は一度っきり。
一度消してしまえば二度と復活することはないし、違うアカウントを作ることもできない。
ただ「だから生きようよ!」と、無責任な励ましをする気はない。
手段は何であれ、「自死する」という胆力は並大抵のものではない。
死にたいなら死ねばいい。
ただ、その度胸があるならば、どうにでもできそうだなと。
何がいいたいのかわからなくなってきた。
「アカウント削除みたいに人生をやり直したいね」って話である。
「こうすればよかった」と過去を悔いることは何度もある。
「これからどうなるんだろう」と未来に不安を覚えることもある。
だけど「楽しかった」と息を引き取る最期だけは決まっている。
「楽しいアカウントだった」と消すことができれば、終わり方はなんだっていい。
これが言いたかった。
何かマズいことをして消したアカウントは一つも無い。
ましてや運営から消されたアカウントも無い。
そのアカウントを楽しみ尽くし「終わろう」と思い、自分で消していた。
人生に「楽しみ尽くす」は無いかもしれないが、「楽しかった」と言ってこの世を去ることだけは決めている。
マーケティングだのインプレッションを増やすだの、アカウント運営にはいろんな知識があるらしいが、人生というアカウントでは「終わり方」だけ決めておけばいい。
その「終わり」を叶えたのなら、新しい「終わり」を探すなり、終わらせるなりすればいい。
「人生は一度きり」とよく言うが「死ぬことも一度きり」である。
それぞれの1回をどう使うのか。
おもしろい物語を聞かせておくれ。
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