僕はなんでも知っている・・・
僕は頭がいい。
と思いつつも学校のテストは苦手だった。
得意な数学と社会系以外は平均、そして苦手教科は平均以下。
偏差値の高い学校に通っていたわけでもないので、「頭がいい」は見当違いな自己評価である。
何と言えばいいのだろう。
「多くを知っている」という感じだろうか。
歴史のテストには出てこないような「黒田官兵衛」という武将を知っている。
ほとんどの人が気にしていないような「ブラウザ」を使い分けている。
小さい頃、暇な時は周辺を探索していたので、地元の「抜け道的なもの」も把握している。
こんな感じで「興味を持ったものは何でも知りたい!」と思う人なので、ほんとに多くを知っている。
と思っていた。
しかし実際は、僕はほとんどを知らないのである。
例えば昨日のnoteで、「ベストアーティストに出てたKingGnu」の話をした。
理想としてはよ、「KingGnuの『SPECIALZ』を音楽的に解説してみた」っていうnoteを書きたいのよ。
でも僕は、音楽なんて学校の授業でリコーダーを吹くくらいのことしかしてこなかったから、「音楽知識」を持ち合わせていない。
それなのに「『SPECIALZ』のライブパフォーマンスがすごかった」という感情をどうにか言語化して表現したいという衝動がある。
衝動はあるのに知識が無いから「すごい」としか言えないのである。
note活動を始めてからこういうことが増えたように思う。
「この感情をネタにしたい」と思っても、自分の感情がわかっていなかったり、「これおもしろい」と思っても、そこにはどういう理屈があってどうなっているかがわかってなかったり。
簡単なものは調べればわかる。
でも「音楽知識」みたいなものは調べだしたら止まらない、「全部わかった」が存在しないものである。
そこに一歩を踏み出す勇気が無いから「知らない」だけが残り、消化しきれないネタの欠片が散らばる。
くどくどとかっこつけて書いてはいるけど、割とマジで「何も知らないじゃん」という絶望感に覆われている。
だけどわかっていることもある。
「知る」は永遠に終わらない。
『葬送のフリーレン』のフリーレンみたいな長寿のエルフですら、魔法収集が未だに終わっていないのである。
短命種の人間である僕が「すべてを知る」ことは絶対に無い。
ゴールの無い「知」の追求は、言い換えれば「マイペースに追えばいい」である。
知らないということを知っている。
これだけ知っていれば、あとは取捨選択である。
とはいえまだ絶望の中。
全部を知りたかったんだけどな~。
以上!くろだでした。
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