見出し画像

このまま生きていていいのか〜RIC・ウツ編#4

私が振り回したせいで、夫の人生を奪ってしまった。

彼が亡くなってから、私にはずっとそんな意識がありました。

起業も、事業を畳む決断も、私の強い要望に夫が応えてくれた結果です。

特に後者については、今も強く責任を感じています。

何億円も借金を背負って生きていくくらいなら、会社を畳んで自己破産すべき。「借金を返すためだけの人生をあなたと送りたくない」と主張して彼に受け入れてもらったのです。

私が訴えるまで、夫は事業を継続して、借金を返していくつもりでした。彼は家族だけでなく、顧客や社員、周りの人との関係もすべて守りたかったのかもしれません。

しかし、私はその他の関係すべてより家族を優先するべきと考え彼に迫ったのです。

それでも夫は、病に臥して死ぬ直前まで私のことを労わり、陰ながら支援し続けてくれていました。

自分が亡くなった後でも私が生きていけるようにと、保育の会社を作り軌道に乗せるのを助けてくれたのです。

亡くなる数ヶ月前ですら、保育所に来て子どもの面倒を見る手伝いもしてくれました。

夫が亡くなってから、私はようやく、彼の偉大さを知ることになります。

そして同時に、夫の死を早めたストレスは、すべて自分が作ったものだったのだと深く悔やむようになったのです。

***

夫の死後、罪の意識に苛まれ、鬱病になりました。
体は重く、自分がなぜ生きているのかがわからなくなりました。

周りからすれば、私の生の炎が消えていくようだったかもしれません。

そんな時期だったにも関わらず、わずかな隙間時間で貪るようにして、思想や哲学の本をよく読みました。

神谷美恵子の『生きがいについて』
マルクスアウレリウスの『自省録』
ヴィクトール・フランクルの『それでも人生にイエスという』

夫を喪失した哀しみが突きつける「生きる意味」という根源的な問いが、頭を離れず、その答えを古今東西の名著に探し求めたのです。

「なぜ人は生きるのか?」
「善く生きるとは何か?」
「死とは何か?」

「夫が生きたかった今日を、私はどう生きるべきなのか?」

・・あの頃、何かの本で見た言葉が、今も私を突き動かしています。

「愛せよ、苦悩せよ、活動せよ」

苦しくても、涙を流してでも、
夫の生きたかった未来を、私は懸命に生きなければならない。

次第にそう考えられるようになりました。

***

あなたの中の「いのちの核」は、
絶えずあなたを生かす働きをしています。

自分自身を蔑み、嫌ってさえていても、
呼吸は止まりませんし、心臓は絶えず働くでしょう。

死にたいと思ったその日の夜も、眠気が来て、朝には目が覚めるのです。

それだけではありません。

あなたが生きるために、
精神にとって必要なものが必ず目に入ります。

私の場合は、それが本でした。

「いのちの核」は、すべてをわかっています。

いつもあなたの体と心と意識を通して、大切なことを教えてくれるのです。

力を抜いて、その声に耳を傾けてみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?