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お母さんという仕事。それは1+1は2、ではありません。そして子育ては神聖なものでもありません。

子育ては一人ではできない。でも頼りがいのない夫を頭数にいれるのは正直難しい。

子育てのやり方を知っている人の一人、程度に認知しておくとよいと思う。例えば、ミルクが作れる、おむつが換えられる、だっこしたりおんぶして寝るまでユラユラしてあげられる。お風呂にいれる、寝巻きを着せる、少し遊べる。そんな程度でもいい。

少なくとも私の家庭の場合は、夫に子育てのやり方を知っている人以上を期待してはいけないし求めてもいけない。

頭で考えられるのは男性の優れたところだと思う。がゆえに、時にそれは物事をストレートに見て判断することを失わせる。

お風呂が嫌だー、そう泣き叫ばれたらどうしますか?食べたくない!って癇癪を起こしてスプーンをぶん投げたら。

私なら1日くらい入らなくても平気じゃん、まあいいかと思って着替えさせる。食べたくない!と言われたら食べたいものだけ食べてもらってスプーンが嫌なら嫌でお好きに食べていただいてかまわない。

夫はこういうことができない。お風呂が沸いている。入る一択しかない。なんなら入らない!って暴れる子供を怒り始める。

食べたくない!と怒ったら食べなさい!と怒る。食べないと大きくなれないよ?食べないとおやつないよ?食べないと怒られるよ、といった具合に脅し始める。

1+1は2です。

そういう考え方でオッケーなものだけ、お願いすることにしている。

おむつが汚れたら、新しいものにする。眠たくなったらだっこしてユラユラしてもらう。ミルクがいるならつくってもらう。お風呂に入ったら頭と体を洗ってくださいという。手が奇跡的に空いたなら少し遊んでください。ブロックで。

夫にお願いすることは本当にわかりやすいことだけ。知って欲しいと思ったし、理解して欲しいと思った。だからことあるごとに話をしてきた。でもわからないものはわからないんだろうなと私は理解した。

子供を甘やかしてはいけない、ととにかく強く信じこむ人には何を言っても通じない。

2足ある靴のどちらを履くのか本人に確認するのでさえ「甘やかしてるんじゃない?」というんだもの。いやいや、あなたも幼き頃はそうしてもらってたんでしょうに。でなけりゃあなた、そんなにマザコンじゃないでしょうにと。ね。思うわけです。

親に厳しくスパルタで育てられた人が「ママ、ママ」言いますか?言いませんよね。それなりに甘やかされ愛されてきたから親を好きになれる。

経験として2足あるうちのどちらかを確認もしないで履かせれば拒否するか、あっちがよかったのに!とプンスカするか、あるいはそのときは黙っているけど目的地に差し掛かるころ「これじゃないのがよかったのー!」となきわめかれることだってザラだ。そしたらどうするか。聞くでしょう。どっちがいいって。なんならどっちもやだー!ママのはいてるのがいいの!なんて言うことだってある。それって面倒じゃないですか。だから世のお母さんたちはワンクッションおいて選ばせてあげることで納得することをわかっているからそうするのですよね。夫はこういうしくみがわかってない。どっちだっていいだろう。でおわり。2足もあるからごちゃごちゃ言うんだ、1足でよかったのに。といった具合に文句すらいう。

ごねたらなんでも解決すると思わせるのがよくない。と言いたいんでしょう。多分。

そんなの何の意味もないと思いませんか?ごねたらなんでも解決することを経験しようがしまいが大人も子供もお年寄りもごねるときはごねるでしょう?ごねたら勝ちだと思ってる人は山ほどいる。その人達がみんな子供のころごねることを許されなくてなんでもいうことをよく聞くイイコばかりだったとしたら苦情係なんか必要ないでしょう。

子供の頃の育て方がその後の人間としてのなんたるかを決めると思い込むから育児を任されるお母さんたちは必死にならざるを得なくなる。

厳しくしなきゃ、立派にしなきゃ、賢く育てなきゃ、優秀な子にしなくちゃ。人様に迷惑をかけないように、勉強が好きな子にしなくちゃ、本をたくさん読む子にしなくちゃ。分別をわきまえた人にしなきゃ、世の中のルールやマナーに則って生きられる人にしなくちゃ。

そうやって完璧な人間としての礎を子育て真っ最中のお母さんにお父さんが求める。お母さんは家事もして育児もして仕事もして名もない肩書きを背負って毎日一生懸命なのに夫は求めるだけで、結果に文句を言うだけで、お母さんたちを困らせてることに気づいてもない。

親は私だけですか?あなたもこの子の親でしょう?そう言いたくても言ったとしても、「俺は親として夫としてやるべきことはやっている。」て、言うだけなんです。男は外で働いてくるのが仕事。だから君は家を守り子育てを頑張るのが仕事でしょ。という。

百歩譲ってそうだとしたら、じゃああなたはお母さんたちの子育てのやり方に逐一なんやかんや言うべきじゃない。任せたのでしょう?それが仕事なんでしょう?あなたは働いてくるのが仕事なんでしょう?じゃあ、黙ってもらってていいですか?って言いたい。

例えばあなたが出世に悩んでいるとしてそんなとき妻が「あなたのこうこうこういうところが云々かんぬん」て言われたらちゃんと聞いて受け入れますか?何にも知らないくせにと言いませんか?

そういうことに近いと思うんです。何にも知らないくせに、とやかく言うのって違いませんか?って。

人を一人育てるってめちゃくちゃ重責だし、思った以上にしんどいしきついこともある。勿論我が子だから愛してるし大切だし守りたい。幸せにしたいし、笑っててほしい。

でもそうは行かないことの方が多い。断然多い。

だから試行錯誤して我が子にあうやり方を模索してる。それが例え周囲からは甘やかしてると言われようと我が子に合わせたスタイルにすることで受け入れられるしお母さん自身の心身の穏やかさだって守れる。

千差万別、十人十色。それをひしひし感じながら子育てしてる。もっと寝る子もいる、食べる子もいる、発達の早い子もいる、もう歩ける、話せる、縄跳びができる、文字が書ける、落ちついて座ってられる、なのにどうして我が子は人と違うの?なにがどういけなかったのかと自分を責めてしまう。比べちゃいけないとわかってても他の子ができて、我が子ができないことはひっかかって気になるし気が滅入る。夫に話せば気にするなといわれる。そのうちなんとかなるさ、だって同じ人はいないって言うじゃない?そうは言ってもあなたは受け入れないじゃないか。

誰とも共有できない孤独。頑張っても頑張っても報われない。心身磨り減らして頑張ってもたまに家にいる夫からは呑気な文句が降ってくる。やってられない。

何もかも受け入れなくてもいいから、せめて頑張ってることくらい受け入れてくれよ、そう言いたい。あなただけは否定せず、大丈夫だよ、一緒に頑張ろうと言ってよと。

でも今の私はそれすらもうとっくに諦めて此処にいる。

あなたの言葉を聞き流す術を覚えて私は楽になったの。あなたのいちいちとやかくいうやかましさにも耳に蓋をできるようになったし、とかくやかましく怒ったり不機嫌なあなたのことも私とは別の人間なのだと思うことで共有しなくてもいいってわかったから私は楽になった。

あなたが今の子供たちを受け入れられなくてもかまわない。少なくとも私は今の子供たちのすべてを受け入れられるから。いいとこもダメなとこも知ってる。知ることで受け入れられるから。

あなたが忘れているのはとても大切なこと。子供たちに選ばれたから親としてのあなたがいること。そしてあなたは受け入れなくても子供たちは親としてのあなたをちゃんと受け入れて受け止めてくれていること。これを忘れたら何も見えなくなる。だから、今のあなたは怒るしかできないのよね。何も知らなくて見えなくてわからないから。

でもきっと、子供たちはそのことも知ってると思う。わかっていると思う。いつか、あなたにも見えてほしい。その世界の素晴らしさを。


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