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冷戦時代の安定とその後に訪れた不寛容な時代

「I just think that, as far as the world is concerned, it is in a sense all right for XX like YY to exist. (YYのようなXXも、ある意味では、世界にとってあってもかまわないものなのだろうと考えています。)」

通っている読書教室で、村上春樹の作品(かえるくん、東京を救う)中のある一文を使って文章を書くという宿題が出たのですが、良い例がなかなか思いつきません。おそらく「必要悪」で検索すればたくさん出てきそうでしたが、自分の頭で考えようと3日間、時間があるときに考え続けましたが、これというのが降りてきません。ひょっとしたらネット依存、スマホ脳になっている可能性があるのかとも思い始め、ちょっと怖い今日この頃です。

こちらがようやく書き上げ、先生に添削していただいた文章です。よろしければご覧ください。(英語版"The Era of Intolerance Followed by Stable Situation During the Cold War"も書いてみましたので合わせてお読みいただくとうれしいです)


地球を破滅させるのに十分過ぎる核ミサイルを互いに持ちながら、第二次世界大戦後対峙していたアメリカとソ連。戦争になったらどうなってしまうのだろうと両国の関係が緊張するたびに恐怖を感じていたのを今でもありありと思い出す。しかし、キューバ危機をはじめ、ひやひやしたことはあったものの、超大国間の全面的な戦いは回避され、結果的に冷戦は約50年のある種の安定を世界にもたらせた(代理戦争というべき、ベトナム戦争とアフガン侵攻はあったけれど)。とりわけ日本はアメリカの核の傘に守られ世界有数の経済大国となり、我が世の春を謳歌した。

冷戦下は民主主義と社会主義というイデオロギー対立の時代であったため、各国ーとりわけソビエトの影響下にあった社会主義国家ーの民族意識は統治を円滑にするために抑制され、世界中に影響を及ぼすような民族・宗教対立が顕在化することは現在に比べれば少なかった(もちろんイスラエルのパレスチナ問題など無視できない争いもあったが)。

しかし、1989年に2人の首脳がマルタ島で握手をしてしばらくした後、異なる信仰を持つ民族がモザイク状に散らばっているユーゴスラビアは内戦状態となった。また、湾岸戦争はイスラム過激派ー70年代にアフガニスタンでソ連軍を敵として戦っていたアルカイダらーによるテロが世界中いつどこで発生するか分からない状況を作り出し、特に湾岸戦争の当事者であったアメリカは反感を買い、9/11に至ってしまう。

一方、社会主義経済圏がほぼ消滅したことで(中国については政治以外は資本主義経済と見なして良いと思う)、資本主義経済は世界の隅々まで伝播した。その結果、安価な製品や労働力が国境を越え流入し、その変化に対応できなかった人々は没落した。これがアメリカ、ヨーロッパ及び各国で国内が左右に分断し、不寛容な社会となってしまった理由の1つでもある。

こうして振り返りこれまで述べてきたことが正しかったとすれば、冷戦構造のような他国に強い影響力を持つ超大国間の緊張関係も、ある意味では、世界にとってあってもかまわないものなのではなかったと考えられるのではないだろうか?

もちろん、ソ連の衛星国の人々が社会主義政権下で圧政に苦しんでいたことなど冷戦中の負の側面に目を背けるつもりはないが、それでもなお、世界中どこを見回しても不安定と不寛容だらけな世の中を見るにつけ、ある意味で均衡が保たれていた冷戦時代の方がよほど安定していたのではないかと思えてきてしまう。

核のボタンが押されないという保障はどこにもなかったのだけれど。


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