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どこでもドアみたいなもの

「書くために読んでいるし、読むために書いている。」たまたまご縁があってお話をした図書館司書の方がそう話していた。読むことと書くこと、それはもうセットなのだ。

司書さんとお話ししながら、自分がなぜ本を読むようになったのか、ということについて考えた。(また何故の話になってしまう。)

第一には家庭環境にあったと思う。毎週日曜日の夕方には近所の図書館に行った。これはお父さんのためだった。通勤時間に読むための本。あの頃はまだ動画配信など充実していなかったのではないだろうか。私の実家の最寄りは始発電車があるから、席に座れる。30分ほど電車に揺られる中、読書をするという選択は至極当然だったのだろう。

図書館のカードは1枚で10冊ほど借りられる。家族5人分のカードを使って、私の家族は袋いっぱいに本を借りた。読みきれなかった本を連続で借りたり、続編が一個飛ばしでなかったり、予約していた本の順番が回ってきたり、新刊が入ってきたり、感情を揺さぶられながら、わたしは本を借りた。寝る前に、小さな灯りをつける許可をママにもらって、決められた時間本を読んだ。その頃は意識していなかったけれど、あれが習慣というものだったのだと思う。

ゲームには厳しい家庭だったが、本はいつでも買ってくれた。クリスマスプレゼントにわたしはいつも図書カードをリクエストした。

それから学校の環境もよかった。これはこの間知った話だが、図書館司書の先生が常任している学校も珍しいらしい。わたしは小学校、中学校、高校、すべてに司書の先生がいた。

それなりに仲良しだった。担任の先生とは違うフランクさがある。わたしの成績をつける相手ではないから、だったかもしれない。ちょっとした愚痴や、悩みや、迷いを何気なく話しては、おすすめの本を教えてもらった。

それから、本をたくさん借りると、給食の時間の放送でランキング発表があったりした。わたしは見かけ、というかみんなのイメージでは本を読むタイプではなかったので、わたしの名前が呼ばれると、みんな驚いた。わたしはそれがちょっと得意気になれて嬉しかった。

同じ本を何度も読んだりもしたし、携帯小説が流行った頃には未知の恋愛の世界にドキドキした。携帯小説は学校に持ってきていいかどうか、先生たちとの間でよく議論になった。セックスというものに初めて触れたのも本だった。未知の世界がわたしにいろんなことを教えてくれた。とにかく、本はともだちだった。絶対にそこにいて、なんでも教えてくれた。知りたいことも知りたくないことも、なんだって書いてあった。

小さな女の子が妖精を見つけて、友だちになるという話の本を読んだ翌日は、必死に妖精を探した。本に出てくるものとそっくりの妖精の家を作って待ってみた。女子ならこういうこと、誰でも経験があるのではないだろうか。

とにかくハマった青い鳥文庫の「黒魔女さんが通る」シリーズは何十回と読んだ。今でも話を覚えている。結末が分かっていても、どうしても面白かった。そしてもちろん、黒魔女さんが現れて黒魔女修行することを夢見た。叶わなかったけど。

はやみねかおるシリーズにパスワードシリーズ、その装丁を思い出すとなんだかドキドキする。

気持ちが盛り上がって話がそれたけれど、とにかく幼少期の環境のおかげでわたしは本を読む人生と出会えた。こういうきっかけが大人になってもやってくる人もいると思うし、年老いてからの人もいると思う。きっかけはなんだっていい。

わたしはやっぱり本は素晴らしいと思うし、素敵な本に出会うことは人生の救いだと思っている。

わたしにとって本はお守りで、避難所で、未知の世界で、どこでもドアなのである。これからも沢山、本を読みたいなと思う。そしていつか、書いてみたいなと思う。

読んでいただいてありがとうございます。もしも、共感してくださったり、興味を持ってくださったりして、サポートしたいと思ってくださったらとっても嬉しいです!