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【短編】顔

(3,265文字)

 私に、その"力"があると知ったのは、五歳の夏だった。
 母に連れられて親戚の家に法事で行った時のことだ。出迎えてくれたお嫁さんの顔を見た途端、私は泣き出してしまった。困惑するお嫁さんに、母は大いに恐縮しながら、
「急にお腹が痛くなったらしくて」
 とその場を取りつくろった。
 その帰り道、
「さっきはどうして泣いたの? 怒らないから、言ってごらん」
 と母が聞いてきた。
 ほら、これあげるから。私は気が進まなかったが、母の差し出す飴玉の誘惑には勝てなかった。
「だって怖かったんだ。『顔』が……」
 しーっ。母は慌てて私の口を押さえた。辺りを見回して誰もいないのを確認すると、
「滅多なこと、言うもんじゃないよ。そりゃ、聡子さん、お世辞にも美人とは言えないけど」
 と私をたしなめながらも本音を漏らした。
「そうじゃないよ。『顔』が見えたんだ。だから……」
「顔だったら、お母さんにも見えるわよ」
 母はげんな顔をした。
 ――何で分かってくれないの。
 母に届かないのが、もどかしい。
「違うんだってば。『顔』が見えたんだ。だから、あの小母さん、もう直ぐ死んじゃうんだよ」
 私は訴えた。
「何わけの分からないことを言ってるの。死ぬって、どういうことか分かってるの。聡子さん、まだ若いのよ。縁起でもない」
 母は声を張り上げた。
「でも……」
「いい加減にしなさい」
 お母さんの、うそつき。やっぱり怒った。だから言いたくなかったのに。
 『顔』が見えた人は、まもなく死ぬ。
 私には、自明のことだった。だが、子どもの私には、なぜなのか理由が分かるはずはなく、他に言い様もなかった。もっとも、大人になった今でもそれは変わらない。

 それから一ヶ月ほど経った、ある日。
 電話を受けた母が慌てて身支度を始めた。
「どこに行くの?」
「この間一緒に行ったでしょ、田丸さんち。あそこの聡子さんが亡くなったの」
「なくなったって?」
「死んじゃったの。未だ子供だって小さいのに、びんだわ。そう言えばケンちゃん、あの時変なこと言ってたわね」
 うーん。私は少し首を傾げた後、
「何だっけ。忘れちゃった」
 私はしらばくれた。
 母はしばらく私を見つめていたが、やがて「そう」と言って、あからさまにあんの色を見せた。嘘だ。忘れられるはずがない。あのとき小母さんに表れた、あの『顔』は。

 私の住む地は狭い田舎町だが、付き合いだけはやたら広い。私は、その後も母に引かれ、幾度となく寄り合いの場に行った。遠い親戚まで集うから、その数はそれなりに多い。私は、かなり高い頻度で『顔』を見た。そして、その人達はあまり日を置かず亡くなった。だが、どんなに重篤じゅうとくな病人でも『顔』が見えない限り死に至らないことも、そのうち分かった。
 中には、死期が分かれば、その前に人生の整理をしたいと考える人がいたかも知れない。しかし、ことが事だけに、子供の戯言たわごとと笑って済まされるうちはいいが、一つ間違えば私はき印のレッテルを貼られることになる。それは即ち、家族までもが付き合いの輪から弾き出されることを意味し、小さな社会の中で暮らしていく上では絶対避けなければならないことだった。
 『顔』のことは絶対誰にも言ってはいけない。子どもながらにも、それは分かった。
 私は目をふさぎ、口をつぐんだ。このことは、その後の私に大いなる悪影響を及ぼした。私は陰気で無口な少年になった。友達は一人もいなかった。『死神』。小学二年生の時に付けられた渾名あだなだ。気づいた先生が直ぐに止めさせたが、私は言い得て妙だと感心したものだ。本当に子供は直感的に本質をよく見抜く。

 思春期を迎えた頃。私は何度か自殺を考えたことがある。どうにかしてこの状況から逃れたい。それは切実な願いだった。しかし直ぐに無駄だと悟った。
 高校を卒業すると、東京にある大学に進んだ。人付き合いが希薄な都会暮らしは、私に安息の日々をもたらすはずだった。しかし一歩外に出ると、『顔』に出会うことが増えたのには参った。一日にS駅を利用する人の数だけでも、私が育った町の人口の何百倍にもなるのだから、確率的には仕方ないとは思うが、どうもそればかりが要因ではないようだ。特に若者によく見えた。深夜にコンビニの前でしゃがんでいる少年の群。過剰なダイエットでやせ細った少女達。街全体が病んでいる。ここでは皆一様に死に近い気がした。だが、それも所詮他人事だ。それに時間帯や場所さえ選べば『顔』を避けることができた。やがてそんな暮らしにも慣れた。
 卒業後、私は首都圏の会社に就職した。相変わらず『顔』を見ない日はなかった。それでも、私は平穏な気持ちを保っていた。私には関係ない。慣れとは恐ろしいものだ。
 しかし、今でも忘れることのできない出来事もある。
 それはある朝のこと。その時、私は駅のプラットホームにいた。滑り込んできた電車の窓を見て慄|然りつぜんとした。そこには老若男女の『顔』がひしめいていた。一度にこれほど多くの『顔』を見たことは、今までになかった。このことが何を意味するのか、私は瞬時に理解した。私はその場に立ち尽くした。
 発車のベルが鳴った時、赤いランドセルが押しのけるようにして私の脇を駆け抜けた。
「待って」
 乗り込む瞬間、思わず掛けた私の声に振り返った少女。そこにも『顔』が見えた。私は息をんだ。少女は私をいちべつして、ドアが閉まる間際に身を滑り込ませた。私は、電車が去った後もその場を動けなかった。
 その時の気持ちは、とても言い表せるものではない。

 上京して三十年弱。この頃すっかり足が遠のいてしまい、先の帰省から既に五年以上経っている。今年辺りは。そう思っていた矢先だった。
 早朝の電話は得てして不吉だ。伯父から父がたおれたと連絡を受けた。急いで駆けつけたが、間に合わなかった。脳いっけつだった。
 母は突然の悲しみにも気丈に振る舞っていた。しかし私の顔を見た途端、母の表情が崩れた。
「あんたがそばにいてくれれば……」
 母は言いかけて途中できびすを返した。
 ――父さんを救えたかも知れなかったのに。
 声にならない無念に、小さくなった母の背中が震える。
 その時、私はたいした。母は四十年以上も前の事を、いまだに覚えていたのだ。
 そう考えると、帰省の度に見せていた、何となく気障りな母の言動が、私の腑に落ちた。
 外出から戻った際に感じる、ねっとりとした視線。
 帰省から戻って一ヶ月ぐらいした頃に、掛かってくる電話。特に用事は無いと言いながら、会話の間に訃報を挟む。またそんな話かと、私はうんざりさせられたものだ。
 そうやって母は、私にまだ"力"があるのか確かめていたのだ。
 母は、五歳の私が付いた嘘をどんな気持ちで受け止めたのだろう。その後私をどんな目で見ていたのだろう。それを思うと、何ともやるせなかった。

 父の七回忌で帰省した私は、またしても『顔』を見た。今度だけは絶対に見たくなかった。いそいそと私を出迎えた母の足が止まった。
「次は、私なんだね」
 私は慌てて首を振った。
「そうかい。父さん、待ちくたびれてはいないかねぇ」
 母は、驚くほどすんなり運命を受け入れた。
 私は、この機に会社を辞めて実家に戻った。それから一ヶ月後、母は帰らぬ人となった。私には、どうすることもできなかった。死に水を取れたのが、せめてもの慰めだった。

 ――なぜだ。なぜ、私はこんなろくでもない"力"を与えられたのだ。
 これまでに何度となく天に向かって投げつけた問いだ。答えがないまま、私はずっと生かされてきた。

 ある朝、私は洗面台の前にいた。そして息を吐き、目を閉じて、天を仰いだ。やっと、このまわしい"力"から解放される時が来たようだ。
 鏡に映った『顔』がにやりと笑った。


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