見出し画像

難民・移民フェスと、隣人と生るためのヒップホップ

今年の秋は、ほんの数日しかなかった気がする。
貴重な秋晴れの日、11月4日に難民・移民フェスへ行った。
日本に住む難民と移民を知る・関わる・応援する、今回で第四回のチャリティフェス。私にとっては、川口、練馬と続けて三度目の参加だった。

会場に着くと、今回もミャンマーやフィリピン、クルドなど、さまざまな国や地域、民族の料理が出店されていた。雑貨を売っていたり、ワークショップなんてのも。そして今回もどれも美味しく、可愛く、楽しそうだった。
だからどのブースも人気。とぐろを巻くほど長蛇の列ができるのは、もはや恒例の光景になっていた。
それはつまり、難民や移民に興味をもち、足を運び、束の間でも関わりを持とうとしている人が列をなしている、ということでもある。
人間て、まんざらでもないな。行列にウンザリするどころか、希望を感じられるなんて、ここだけなんじゃないか。

雰囲気も、とにかくピース。
美味しい食事に集中する人。ショッピングを楽しむ人。誰かと談笑する人。芝生に座ってお茶をすする人。
ちょっと大きめの野外ティーパーティといった感じか。ティーバーティなんて行ったことないけど。
「あまーいケーキいかがですか?」
売り子キッズが会場内をめぐる。かわいくて、フレンドリーで、押しが強い。商売上手。たしかにケーキの甘さも、かなり押しが強かった。

毎回公園で開催されるのだけれど、回を追うごとに広い公園へと会場を移している。たぶん、ブースの数や来場者が増えているのだろう。
しかし、場が荒れていく兆しはない。いかんせん、こんなご時世だ。乱暴な輩やヘイトな奴らが邪魔しに来たって不思議じゃない。でも、ここには気配すらなかった。

と思っていたら、ちょっとしたトラブルがあったことを、後日ラジオで知った。一部の新聞も報じていた。
区議ご一行が来場し、フェス参加者、おそらく当事者の方に対してプライバシーに関する質問をしたところ、ちょっとした悶着があったという。
ラジオや新聞では、それぞれ論調が異なっていた。だから現場で何があったかは分からないが、参加者が怒りを表したということは共通していた。

あの雰囲気の中で、しかも参加している側の人が怒りを露わにするというのは、それ相応の理由があったのだと思う。
その理由が区議サイドにあるのか、参加者サイドにあるのかは、憶測で言及するべきではないと思うけれど、プライベートな質問は避けるべきだった、ということは確かなんじゃないか。
シェルターに逃げ込んできた人や子どもに、家のことは聞かない。それと似ている気がする。

参加者の中には、トラウマを抱えた人がいる。追われている人がいる。命が危ぶまれている人だっているだろう。自分のことを語りたくない、語れない。そういう人が多い場所だということは、主催者の案内を読めば理解できたはずだ。
声を荒げる人の背後は、崖っぷちだったりするものだ。日本に来て、日本人に辛い思いをさせられてきた人たちなら、悲鳴と怒声が似てしまうのは無理もない。

一方で、私はヒヤリとした。
これは、俺も、やりかねない。
もし当事者の方とおしゃべりする機会があったら、私はやすやすと一線を超えてしまうだろう。あのピースでフレンドリーな空気に油断し、彼らの緊張感や深刻さを忘れてしまう自分が、容易に想像できる。というか、そういう自分しか想像できない。
私は、たまたま間合いに入らなかっただけ。あくまで、たまたま。私は誰も責められないと、耳が痛かった。
うかれたくなるような秋陽の下、そのぶん影が濃かったことを、私は覚えておこうと思った。

ところで。後日聴いたラジオというのは、TBSラジオの「荻上チキ・Session」。私は前身番組だったSession22時代からずっと聴いていて、当日の公開収録を楽しみにしていた。実際とても楽しかったし、それ以上に勉強になったのだけれど。

いちばん心に残ったのは、FUNIさんのライブだった。私のお目当てだった。

FUNIさんはラッパーで、詩人で、実業家。在日コリアン3世というルーツがある。そしてルーツに根ざした表現をする。
逆境や差別について。苦悩や葛藤について。そして、連帯と希望について。赤剥けた感情を、韻と哲学とユーモアで包みながら。

リリックはとても生々しくてシリアス。ビートもヘビー、あるいはストイック。だから、聴いていると頭が熱くなる。そして、心は軽くなる。
言葉によって熱せられた心臓が、気球のようにフワリとテイクオフするような、不思議な高ぶりを胸に感じるのだ。

表現の根源に怒りがあるのは明らかなのに、終始「です・ます」の敬語で通す、というギャップもたまらない。自称・日本でいちばん腰の低いラッパー。この地に足がついた感じも含めて、私はこの人の言葉が好きだ。

「俺らのじいさんやばあさん、第一世代は言葉を持たなかった。言葉よりも金だった。生き抜くために。でも第三世代の俺らは、言葉をもっている。だから声を上げる。ラッパーだから、やんなきゃいけないんだ」
たしかそんな内容だった。”俺”だったかな。”僕”だったかも。でもこれが、その日私が一番グッときたパンチライン。

「第一世代は、みんな死んでしまった。あ、違った。すいません。まだちょっと生きてる。今朝、川崎から出てきて、移民の先輩としてあそこでキムチのワークショップやってる」
そう。この日は第一世代のおばあさんたちも、キムチ漬けのワークショップをやっていた。隠し味は梨を入れることらしい。私は、ブースに行かなかったことを心の奥底から悔やんだ。キムチ大好き。

「私たちの世代は”お前ら朝鮮人はキムチ臭い。あっち行け”と言われたもんだ。それが今はどうだ。テレビをつければ、キムチは健康に良いなんてことまで言われる。時代は様変わりした」
グランマたちが語っていたらしい。かつての先駆者は生き抜いて、今や存在そのものが希望だ。

Living Hope。これこそがヒップホップ。
私が難民・移民フェスを好きな理由の一つは、これだった。
Peace,Love,Unity and Having Fun。ストラグルの中から生まれた、隣人と共に生き抜く知恵。それがこのフェスには垣間見えるのだ。

難民や移民になってしまう背景は、理不尽や不条理ばかりだろう。セイホーじゃ何も解決しない。そんなのわかってる。
フェスの光景が美しく見えるのは、安全な場所から都合のいいものばかり見ている私の傲慢。それもわかってる。

でも。ヒップホップは、傍観を許さない。聴いた者すべてを踊らせ、鼓舞し、フロアの一員にする。パーティは続き、やがてコミュニティとなる。
今後もいろんなトラブルはあるだろうし、それは規模が大きくなるほど増えていくだろうけど、それ以上にプロップスは増えていく。間違いなく、私もその一人だ。

だから、私はこの難民・移民フェスにこれからも行き続けるだろう。
美味しいものを食べに。可愛いものを買いに。ワークショップへ参加しに。
なにより、FUNIさんのラップを聴きに。
そして、今を生きるためのヒップホップを、誰かと共に生きていく知恵を感じに。
人間まんざらでもないな、がこのフェスにはあるから。

あー次回も楽しみだな。

(終わり)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。よければこちらもご覧ください。


この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?