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踏みつけられた草

 森というものは一年や二年でつくれるものではない。十年や二十年でも無理だ。少なくとも百年はかかる。百年の年月をかけなければ森づくりなどできはしない。果たしてこの瓦礫の上に百年もかけた森づくりができるのだろうか。それもぼくにはわからない。確実にわかっていることは、ぼくたちの生命には限りがある。だからこそ百年二百年かけた森づくりが必要なのだということだけ。その森づくりの様子をワイエスの語った原文を織り込みながら君に伝えようとしている。それはまた森に入って水彩画と苦闘する君の魂を、この開墾地に刻みこもうとしていることかもしれない。

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Trodden Weed
A self portrait. It was after a dangerous, eight-hour operation on my lung. Afterwards I walked and walked the country around Chadds, getting my strength back, wearing these French cavalier's boots I'd gotten from the painter Howard Pyle. As I walked, I had to watch my feet because I was so unsteady. And I suddenly got the idea that we all stupidly crush things underfoot and ruin things-without thinking. Like the weed here getting crushed. That black line is not merely a compositional device. It's the presence of death. Before my operation I had been looking at Durer's works. During the operation they say my heart stopped once. At that moment I could see Durer standing there in black and he started coming at me across the tile floor. When my heart started, he, Durer - death -receded.. So, this painting's highly emotional-dangerous and looming. I like it. 
 
踏みつけられた草
 私の自画像である。私は八時間もの肺の危険な手術を受けた。手術後、体力を回復するために、画家のハワード・パイルから貰ったフランス製の乗馬靴で、チャッズのあたりを歩き回った。ただし、足元には十分注意しなければならなかった。私はまだフラフラだったのである。ある時、突然私は、愚かにも我々が実にさまざまなものを足で踏みつけて、だめにしていることに気づいた。何気なく。ちょうどこの絵で、雑草が私によって踏みつけられているように。この絵に見える黒い線は、単なる構成上の工夫を描いたのではない。死の存在を表しているのだ。手術をする前に、私はデューラーの作品をよく見ていた。実は手術中に私の心臓は一時止まったその時のことだ。私は黒衣のデューラーが目の前に立ち、タイルの床の上を私に向かって歩いてくるのを見た。私の心臓が再び動き出すと、彼、つまりデューラーは、あるいは死といってもよいが、私から遠ざかっていった。だから、これは非常に主観的で、危険でかつ不気味な作品なのである。私の好きな作品の一つである。

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ワイエスの代表作に上げられる一点だが、かつてこのようなモチーフが絵になるとは誰が考えたであろうか。草地の上を長靴が踏みつけている、ただそれだけのことを描いているに過ぎない。しかしワイエスがこの奇抜な構図のなかに描きこんだのはただごとではない。死がいまこちらに向かって歩いてくるのだ。画面の上方に死の影である黒マントがひらりと舞う。この絵はたしかに「危険で不気味な作品」である。しかしこの絵はみるものをうろたえさせるが、沈鬱にさせることはない。それは迫りくる死に立ち向かう、あるいは踏みつけられた草のように死さえもたえしのぐ生の強さをも描きこんでいるからだ。

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