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開拓者よ



 「この貧しさはいったいどういうわけなんだ」
 と赤松が言った。
「おれたちはもう経済大国という妄想に気づかなければならないんだ」
 と芝崎も応じた。編集会議を終えたぼくたちは新橋のバーに流れ、そこで第二ラウンドといった議論をはじめたのだ。
「結婚して子供ができるとこの幻想が猛烈にやってくるよ、ましてマンションなどというやつを手に入れるともう火の車だぜ」
「一年中自転車操業になるからな」
「一年どころかローンを払い終えるまでだよ、子どもができると今度は教育費というやつに首をしめられていく」
 ぼくのチームのスタッフの半数以上は結婚していた。赤松などはもう三人目が生れるというのだ。それだけに彼らの声は切実だ。
「このままではどこまでいっても貧しさから脱出できない、そこを断ち切るにはいったいなにをするかなのだ」
「政治家や企業人などの発想ではだめなんだ、やつらのやることはただ数字を拡大していくことだけだろう」
「そうなんだ、数字を太らせるだけなんだ」
「数字が太れば、それだけ生活も豊かになるという幻想だな」
「このぐらいの経済力があると、当然おれたちは静かな湖畔か海辺に別荘の一軒ぐらいあってもいいんだよ、そしてそこに自家用のヨットがつながれているという生活だってできるはずだぜ」
「ヨットを持った生活というのは金持ちだけのものではないからな」
 なぜそんな話になっているかというと、ぼくらのチームは今度は千葉の銚子に編集部をおいて、千葉から茨城にのびる海岸一帯を「ここは日本のカルフォニア」あるいは「われらの黄金海岸」と名づける特集を組もうとしていたのだ。ぼくらのチームは一つのイベントをおこして刺激なページをつくっていくことにしていた。
 ゼロ号では童話の村づくりに手を貸し、ニューヨーク特集号ではトンカツ屋を開店させ、東京とニューヨークで美術展を開くというイベントづくりをしてきた。それらがいずれも成功したこともあって、今度はもっと日本のなかに楔を打ち込むような、なにかもっと刺激的で挑戦的なテーマを打ち立てようということになったのだ。広大な霞ケ浦を間にはさんだその海岸線を、新しい文化の発信地として、さらには新しい時代をつくりだすもう一つの基地としてさまざまなアプローチを試みようというわけだった。

「問題は会社人間なんだよ、この生き方なんだな、最大の癌は」
 と野口が新たな問題を投げた。
「圧倒的多数の会社人間が、そんなに簡単に変わるわけがないさ」
「あちこちにピカピカのビルが立ち、物がうなるばかりにあふれ、生活もカラフルになっていく。そいつはなるほど会社人間たちのおかげだよ。しかし、それで日本人の生き方もまたカラフルになって、生活が豊かなになったかというとまるでそうじゃないんだ」
「おれの友人がこの間の連休に家族を連れて日光にでかけたんだが、もの凄い渋滞で目的地に着くのになんと十二時間もかかったというわけだよ。その間ただひたすらあの狭い車のなかでじっとたえているわけだな。これが日本人なんだ。これが日本人の生活なんだよ。こんな貧しさにもう気づかなければならないんだ」
「だからといって日本人は会社人間をやめないさ」
「日本人は会社人間が好きなんだよ」
「しかしあちこちでそんな生活に反逆している人間が現れているよ」
「そうだな。おれたちの雑誌の底にいつもそいつを静かに響かせておかなければならないと思うな」
「静かなもんか。どんがらがったというパチンコ屋の喧騒だぜ。ヤマタイは」
「負け犬の遠吠えにならなければいいと思うよ」
 遠くの席でだれかが嫌味たっぷりに言った。
 そんな企画にしむけていったのは、ぼくの意識の底に葉狩たちの活動が色濃く投映されていたからだった。このところ彼らの活動を報じる記事が、あちこちの雑誌や新聞でみられ、ちょっとしたブームといったものを巻き起こしていた。それらの記事をみるたびにしきりに駆り立てられるのだった。

 その日久しぶりに村上と会ったのは、彼らの活動を「YAMATl」誌のなかにも組み込みたいという誘惑には勝てなかったのだ。あちこちの新聞や雑誌で取り上げられ、もはや二番煎じにすぎないと思ったが、葉狩をよく知っているぼくには、どんな雑誌にも負けない力に満ちた特集ページに仕立てあげることができると思った。そしてなによりも令子にたいする贖罪意識というものがあった。なにか彼女のためにしたいと思ったのだった。
 こちらから出向くというのに村上は、彼のほうから芝浦の倉庫を訪ねてきてくれた。ぼくは彼を東京湾が見渡せるレストランに連れていった。
「汚い海だな」
「これでも最近きれいになったらしいよ」
「海のにおいがしないじゃないか」
「埋立て埋立てで、運河のようになっていくからだろうな」
「北海道の海を見にこいよ。本物の海を」
「もちろんさ」
「こわいほどの青さだよ」
「奥さんは北海道に残しているわけか」
「そうなんだ」
 活動の中心人物の一人である村上は、最近では広報担当という役を担っている。そのこともあって、このところずっと東京にいるらしい。
「北海道を奥さんは気に入ったのかな」
「彼女は自分が生れる前にぜったい一度はここにきていると言い張るんだよ。はじめてきたとは思えないと言うんだな」
「気に入っているわけだな」
「なにもない、きれいなほどなにもないわけだな。そういうところから立ち上っていくのは、女たちのほうがずっと強くできているぜ」
 ぼくは一度会った美しい金髪のスウェーデン女性を思い浮べた。するとするりと宏子のことがよぎっていった。
「うちの雑誌でも君たちの活動を取材したいんだよ」
「結構だよ。いい記事にしてくれよ」
「じっくりと腰を握えて、一年ぐらい迫いかけてみたいな」
「一年といわず十年ぐらい追いかけてくれよ」
「そうだな。それぐらいの月日をかけて追いかけなければほんとうのところはわからないな」
「ある新聞が、現代の実験と書いていたけど」
「それも十年たたなければほんとうのところはわからないだろうな」
「しかしこれだけあちこちのメディアから取材にくると、迷惑していることもあるんじゃないのか」
「そう思ってはいけないことにしているんだ。なにも持たないおれたちの武器の一つだと思うわけだよ。これだけまるで掛け算でもするように盛り上がっていったのも、マスコミのおかげでもあるわけだからな」
「葉狩さんは東京がわれらの植民地だなんて言っていたけど、さしずめマスコミは君らの国と東京をつなぐパイプということになるわけか」
「そんなものだよ。東京の持っている、あふれるばかりの金やエネルギーや情報というものが流れこんでこなければだめなんだ。その流れを断ち切ったら、おれたちの建設は成り立たないだろうな。だから東京を引き付けておくためにはメディアを大事にしたいね」
「なかなかやることが賢いよ」
「いろんな運動が生れては消え生れては消えていくけど、それは結局、経済的基盤ができなかったからなんでね。その多くは芸術運動とか文化運動としてはじめたからで、そんな活動はすぐに行き詰まる。新しい企業の形態として、新時代をつくりだす経済活動としてとらえていくべきだと思うんだがな」
 ぼくは先日会った令子のことを話題にした。
「いろいろなことを考えるとやっぱり不安になるらしい」
「それはそうだろう。人生を転換するわけだからな」
「しかし失敗してももともとだって居直ることにしたって言ってたよ」
「葉狩さんは、例によってかなりオーバーな理由づけをしているが、みんなそんな大袈裟なところで動いているわけではないんだ。楽しくなければだめだよ。なにか浮き浮きしたような生活がはじまらなければ意味がないじゃないか」
「それはそうだな」
「あせらないことにしているのだよ。おれたちがなそうとしていることは二世代も三世代もかかるわけだからな。そういう長いマラソンをぼつぼつはじめようというわけだよ」
「最初は何人ぐらいで動きはじめるんだ」
「四十人ちかくなったよ。その家族をふくめると六十人を越えるな」
「そいつは大規模だな」
「いろんな人間がいる、ほんとうにいろんな経歴をもっている。讐察官がいると思えば、なにやら刑務所から出てきたばかりという人間もいたり、俳優や看護婦さんがいるかと思えば、大学の先生や証券会社のセールスマンがいたりする。大工さんや大学を中退した学生がいるかと思えば、ラーメン屋をたたんでくるという人間もいる、漁師もいれば、バーのママさんだった人間もいるという具合で、もうほんとうに多様な人生模様だな」
「葉狩さんはどこかでいってたな。まず人間からだって。人間からすべてはじまるって。面白い人間が集まって、面白いことがはじまるという感じだな」
「海千山千の正体のわがらない人間もいるけど、来るものは拒まずでね。建設というもっともハードな段階で、駄目な人間は脱落していくわけだよ。残ったものだけが本当の建設の担い手になっていく。北海道という大地がおれたちの一人一人をテストするわけだな。このテストはほんものだよ」
「ほんものだけが残っていくわけだからな」
 村上はその日、彼らが建設する国を描いた精密なイラストをもってきていた。それをみると千メートルの峰が打ち続く車岳連峰から二つの川が日本海に流れこんでいるが、その二つの川の間が彼らの共和国だった。海岸線に沿って走る国道から彼らの国のメインストリートと呼ぶべき道が車岳にむかって伸びている。その通りの両側の牧草地帯には年や羊や馬がのんびりと草をはんでいる。森林のなかに小さな工場や工房や彼らの住むさまざまな形をした家が点在している。山の麓にめざして伸びた通りは広場にでる。その広場の周囲にその国の中心ともいえるような建物、センターハウス、ホテル、レストラン、図書館、劇場、美術館、学校などの文化施設が建てられているのだ。そのイラストはなにか彼らのかぎりないあこがれを描いたようなものだった。現実はそうはいかないのだ。しかし彼らはいまその理想の絵を描くために歩きはじめたのだ。
 葉狩がかつてどこかで歌った《シヤベルが、ロープが、チェンソーが、ハンマーが、かんなが、げんのうが、プライヤが、モンキーが、やっとこが、スパナが、ドリルが、水平器が、墨壺が、曲尺が》《ブルがうなりをあげ、張り裂ける土が赤い肌をむきだしにして、おれたちはひるまずに山を切り開き》《もっとのこをたてて、足は獲物をつかむ鷹のように杉をおさえこみ、ぐいとぐいとひきたてる匂いが三十年ためこんだ匂いがあたりに飛散りちり、いま歓喜のときはちかいのだ》その建設のうなりがまるで春の合唱のようにぼくには聞こえてきた。
 葉狩はまた別のところでこう歌っていた。《おれたちの建設は順調にはいかない》《争いがあり、氾濫があり、脱走があり、脱落があり、失敗があり、事故があり、病気があり、転落があり、赤字があり》前方に待ち受けているのはさまざまな障害なのだ。しかし彼らはそれを一つずつ乗り越えていくにちがいないのだ。

 

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