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ダウン症のユーキくんと僕 (1)

現在、アウトサイダー・キュレーターを自称し、「アウトサイダー・アート」と呼ばれる独学自習の表現を追い求めている僕は、もともと福祉畑の人間だった。

2000年から、知的障害者の福祉施設へ就職し、がむしゃらに16年間働いてきた。いつも考えていたのは、「その人がどうすれば毎日を楽しく、プライドを持って過ごすことができるようになるか」ということ。

福祉施設を飛び出したあと、僕は地域で暮らす障害のない多くの「名もなき表現者たち」と出会ってきたけれど、ずっと大切にしているのは、作品よりも作り手のことだった。だから、いまでも僕のなかでは、変わらず「福祉」を続けているつもりなのだ。

事実、福祉施設を退職したあとも、実はずっと障害のある人たちとの関わりを続けている。そのうちのひとつが、「アートスクール」という主に障害のある人たちを対象にした芸術活動のサポートだ。数年ほど支援を続けているうちに、あるときこんな相談を受けた。

「面白い字を描く子がいるから見てほしいんだけど」

描く「子」と言っても、子どもではなく、ダウン症という障害のある24歳の成人男性だ。ダウン症とは、染色体の突然変異により発症する障害で、個人差はあるものの、感受性が強く、音楽の好きな人が多いような気がする。

さっそく僕は、市内の閑静な住宅街にある御宅を訪問した。お母さんに挨拶をして、1階のリビングに入ると、そこにはテレビを点けっぱなしで、iPadから流れるYouTubeの映像を観ているユーキくんがいた。

「はじめまして、こんにちは」

話しかけても反応は返ってこない。

足元のゴミ箱に入った紙くずを広げると、独特の文字が書かれていた。テレビから流れるテロップなどを観て書いているようで、書き終わったら処分するのが彼のルールのようだ。

あるときから、ユーキくんは作業所に通えなくなり、ずっと家で過ごすようになった。大好きだったお風呂に入ることも嫌がり、食欲もなくなって70キロを超えていた体重は40キロ台にまで落ちた。ドライブや外に出ることが大好きだったユーキくんは、外に出ることすら拒絶するようになり、夜遅くまで起きて明け方に就寝するという昼夜逆転の生活を送っていた。

お母さんの話では、家庭のさまざまな問題で、ここ数年、お母さんはユーキくんを連れて、他県を転々とする形で生活を送ってきた。恐らくこの大きな環境変化が原因で、ユーキくんは、いままでできていたことのほとんどができなくなってしまったと言う。

ダウン症の人たちの中には、青年期に入ると、いままでできていたことが突然できなくなる「急激退行」の症状を示す人たちがいる。この原因のひとつは、環境変化だという意見もある。

僕が常々感じているのは、障害のある人たちには、大人になるまでのモラトリアム期間がないということだった。僕たちであれば、社会に出る前に大学へ通う人もいれば専門学校で手に職を付ける人もいるし、フリーターになる人だっている。でも、学校を卒業したあとの障害のある人たちに選択肢は少ない。作業所などの福祉施設を利用するか、就職するか。この二択くらいだろう。障害のある人たちだって、社会に出る前に家でゆっくりしたいし遊びたいはずなのに。社会は障害のある人のフリーターを認めてはいない。少しでも家にいる期間が長くなると「引きこもり」の烙印を押されてしまうのだ。

特に感受性の豊かなダウン症のユーキくんにとって、自分を取り巻く世界が目まぐるしく移り変わっていくことに対する心身の防衛本能が「退行」という現象なのだろう。もちろん、もしかしたら他の病気という可能性もあるから断定はできない。病院嫌いのユーキくんは、検査もできないのが現状だ。

まずは、アートの支援云々よりも、生活そのものを立て直す必要がある。

ここから、ユーキくんと僕の関わりが始まった。


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