【ビジネスコラムを読み解く】お金を求めれば求めるほど、逃げていくのはなぜ??
今回はネットの記事の深読み。
それって一体どういうことを言っているの?という、記事に書かれたその先の本質を見ていくコラムです。
今回はファッションバイヤーMBさんのビジネス連載「お金を求めるほどにお金は逃げていく〜前例踏襲主義の間違いを暴く〜」を読んでいきます。
ぜひ一度こちらを読んでから、考えてみて下さい。
1.なぜ「前例」を追い求める?
これはどの組織でも当てはまるのではないでしょうか?
「そんなことはうちでやったことがない」
「あの企業がやっているから、うちもやろう」
これは言い換えると「誰か(自分ではない)がやったらやろう」ということ。
それは、自分は何もしたくないから何もやらないと言っているだけです。
これは個人でも大いに当てはまります。
「あの人がやっているから、こうやろう」
「それはやったことないからやめておこう」
しかし、ほんとうにそれでいいのでしょうか。
「やったことないから、やめる」というのは、もう考えたくないということ。
もしこれが幼い子どもだったらどうでしょう。
もう新しいことをしたくない。
いままでやったことないからやりたくない。
・・・それでは、生きていくことができませんよね。
わたしたちはそれと同じです。
「新しいこと」をしなくなった時点で成長を止める。
成長を止めるとは、すなわち「死」に向かうということ。
生きるのをやめることです。
こうやってみると、新しいことをやらない、ということがどれだけ危険なことかわかるでしょう。
しかし、なぜそれでもやらないのか。
それは、その方が「楽」だからです。
前例を踏まえないというのは、どういうことかというと、新たに「それってどういうことだろう?」「何のために、何をしたらいいんだろうか?」など1から考え始めなくてはなりません。
それはかなり労力のいること。
ですが、前例に従うというのはどうでしょう。
それは何かを考えるというよりも、「前と同じようにすればいいや」「ああ、あれをまねすればいいんでしょ」というようになぞるだけになります。
それは凄く表層的で、何も考えなくてもできてしまう。
たとえば漢字のなぞり書きもこれに近いでしょう。
この漢字ってどんな形かな、と考えさせるのではなく、ただ線の上をなぞってくだけ。
それは純粋に100%コピーにはならず、かならず劣化になってしまいます。
なぜならオリジナルにはあって、コピーにはないものが必ずあるから。
2.その仕事を「何のために」やるのか
もちろん、この記事の中でも言われているように「真似」をすることで得られるものはあるでしょう。
今流行っている、つまり指示されているものは一体どういうものなのか。実際にクリエイター側に立つことで見えることは少なくありません。
では、その見えてくるモノ、つまりコピーとオリジナルに始めた人は一体何がちがうのでしょうか。
ビジネスとはそもそも何なのか?
要素はいくつかありますが、私が重要としているところは絞られます。
「ビジネスとは人を幸せにすることである」
これはもう疑いようもない事実であり、極めて基本的な定義だと思います。
「ビジネスとは人を幸せにすること」
これを、皆さんはどう読んだでしょうか?
以前、お金とは「価値」を創造することだと言いました。
つまり「これが流行っている」「こんなのやればいいんでしょ」という思考では全くないということ。
そして「お金を稼ぐ」ことでもないのです。
それらに共通することは、「自分目線」でしかないということではないでしょうか。
「自分はこうしたい」あるいは「こんなんでいいか」とは、
「これ」を「誰」に「なんのため」に、「どう」伝えていくか。
そういう視点が欠けてしまっています。
今やろうとしていることは「何のため」なのか。
なぜそれをやるのか。
誰になのか。
私が、私たちがやる意義は何なのか。
そして、どう伝えていけば、その「相手」にとってもっとも幸せになるのか。
それを考えることではないかと私は読みます。
だからこそ、「前例がない」という思考は2つの意味で”ありえない”のです。
一つは新しく常にアップデートしていくことが必要だから。
これはお分かりいただけるでしょう。
従来のサービスのままでは、「何を」の部分が不完全かもしれないから。
同じことをなぞるだけでは、そこに「価値」はあるのでしょうか。
もし自分がやることで、自分より優れたことを知る機会を奪うことになってしまったら・・・。
それはほんとうに「人を幸せにする」行為なのでしょうか。
だからこそ、前例を踏襲することは誰も幸せにならないんです。
そして、もう一つ理由があります。
それは、「人」が絶対的に違うから。
この「人」というのは、まずそれをやる「自分」が違います。
オリジナルでやっていた人と自分というのは、違いますよね。
それなのに同じようにやっていては、意味がない。
そのオリジナルでやっていた人は「なぜそれをやるのか」という理由が明確です。
それをやる必然性がある。
一方でコピーをしている自身はどうでしょう。
それを絶対にやりたい、やらなきゃいけない「必然性」はありますか?
やらなければ「自分が死ぬ」というアイデンティティをえぐられる感覚になりますか?
その感覚の先が「必然性」でしょう。
そして「自分目線」の人が盲点になりがちなのが、「誰に」という相手も異なるということです。
前例を踏襲するということは、つまり相手を相手としてみないことと同じこと。
その「前例」を作った人たちは必ず「誰に」行うのか、それは「なぜ」行うのか、ではそのためには「どう」伝えればいいのか。
そういう型ではないマインドがあったはず。
ですが、その型をただ表面だけ真似てもその本質には近づけません。
それを知って考えると、「型」に重きを置いていると思われている日本の伝統芸能の世界は、実は正反対だということに気がつきます。
師匠は「型」だけを教え、決して「神髄とはこうだ」ということを言いません。
すると弟子は、「本当にこうでいいのか」「師匠となにが違うのか」「これってなんなんだ」と、本気で考えます。
それは前例を踏襲することではありません。
むしろ、自分はどうすればいいか。
「何のため」に伝えるのか。
この伝統はなぜ続いているのか。
私がやる意義は何なのか。
そういうことを否が応でも考えてしまうのです。
それは表面的ではない、「その先」を考えること。
自分が何のために、なぜそれをやるのかを考えることが「差別化」の本当の意味です。
だれかとただ違う、ということではありません。
「お金を求める」
それは手段であって、決して目標ではないのです。
みなさんはどう読みましたか?
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