どうすれば限界を超えられるのかと悩んでいるなら・・・DaiGo『突破力 無理なく限界を突破するための心理学』


「自分の限界を超えられれば、もっと改善できるはずなのに・・・」
「自分の殻をやぶれさえすれば・・・」
「もっと生産性を上げなきゃ・・・」


そんなことを思ったことありませんか?
確かに、今の自分を超えて力を発揮できるようになれば、また違った世界が見えるかもしれません。

しかし、「限界」を超える、とはどういうことでしょう?
自分の「限界」ってなんでしょう。

今回はそんなお話。
私たちが思ってしまっている「限界」って一体何??

もし、「限界さえ越えられればうまくいく」
そう悩んでいたら、目を通して見てもいいかもしれません・・・。

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1. 「限界を超えれば・・・」っていうけど、「限界」ってなに??

「限界を超えよう!」
「自分のリミッターさえ外せば、誰でも最高のパフォーマンスを発揮できる!」

このようなアドバイスをよく見かけます。
自己啓発書、ネットのライフハックサイト、ビジネス系のセミナーなど媒体はいろいろですが、どれも話のポイントは変わりません。

 あなたの可能性は無限であり、今の「限界」さえ突破できれば仕事も人生もうまくいく。みんな自分の中に限界を作り出しているだけなのだから、ただ自分の殻を破りさえすればいいのだ……。
 しかし、このアドバイスは正しいのでしょうか? 本当に自分の限界さえ超えられれば、誰でも生まれ変わったようにパフォーマンスが上がり、圧倒的な成果を出すことができるのでしょうか?
 心理学の世界では「これさえ変えればすべてうまくいく」といった都合の良い概念は見つかっていませんし、何よりも「限界を超える」のような定義しづらい物言いが科学になじむはずもありません。


「自分の限界を超えれば、うまくいく。」


たしかに一見そう思えるかもしれません。
自分以上の力が出せれば、実力以上の力が発揮できれば、とだれもが一度は思うでしょう。

しかし、そうした「限界」を超えるというときの「限界」とはなんでしょうか。

この言葉のウラにはこんな思いが隠れています。


「手っ取り早く、うまくいく方法はないか」
「ラクして成功できないか」


そんな裏の欲求が隠れているはず。

「いまの自分を変える」
言葉で言うのは簡単かもしれませんが、実際に行うのは難しいもの。
そもそも簡単に変えられるなら、そもそも「限界さえ超えられれば」と悩んでいないはずではありませんか。

 この手のアドバイスは、たんに効果がないだけならいいのですが、実際には大きな害をもたらします。「限界を超えればうまくいく」や「ビリーフチェンジしよう」といった考え方は、あなたに「何かをやりとげた気分」を植え付けるだけの、強力な心理トラップだからです。
 当然ながら、現実には自己改善への道は容易ではありません。例えば、成功を目指して英語やプログラムなどを学ぼうとしても習得までは数千時間かかりますし、さらに他人より秀でるためには膨大な年月が必要となります。まさにイバラの道です。

自己啓発にありがちな「耳ざわりのいい言葉」はたしかに一時その気にさせてくれるかもしれません。ですが実際には「気分」だけで、行動には移せない、という人が少なくないのではないでしょうか。

もし、いまのじぶんを変えたい、どうにか困難を突破する力が欲しい、と本当に心から思うなら。
そういう安易な言葉だけに耳を傾けるのは、危険かもしれません。

しかし、困難な道だからこそ、多くの人は選ばない道であり、価値があるのではないでしょうか。
「自分を変える」
それは難しいかもしれません。
しかし、そう本気で思うからこそ、どうしたらいいか考えることができるのではないでしょうか。



2. 限界は突破できない。ではどうする?

そもそも「限界」は突破できないから限界です。
生まれつき、身長が150センチ台しかないのに、限界を突破して180センチになりたい、と思うのは不可能でしょう。
これは身長など身体的な特徴だけではなく、性格やI.Q.も同様です。遺伝や環境によって大半が決まってしまうのです。

ですがこうも思うでしょう。
「わたしたちが思っているのは、そういうハードルではなく心理的にかかっているハードルだ」と。

ですがこの違いって何でしょうか。

しかし、ここで問題なのは、「生物学的な限界」と「思い込みの限界」をどうやって見分けるのか?という点です。

そう、私たちの思う「限界」はいったい何が要因としているのかはわからない、といいます。
だからこそ、じぶんの限界を把握して、そのうえでどうするのかを考えることが重要だといいます。

では、一体どう「限界」と付き合っていけばいいのでしょうか。

 それでは、「限界」に対して私達はどう接すればいいのでしょうか? 変幻自在に姿を変えていく「限界」に、私達はただ翻弄されるしかないのでしょうか?
 もちろん、まだ手はあります。真偽の判断ができずルールもコロコロ変わる限界に立ち向かう手段はただひとつ、それは「試す」ことです。

自分の限界は、常に一定、というものではありません。
時と場合によってそれは変化するでしょうし、今日の限界が明日の限界とも限らないからです。
だからこそ、実行して行動していくなかで探っていくことが大事だと。


3. バイアスが行動を制限する

「そうか、行動しながら限界を探ればいいのか」
と思っても、実はそう上手くいかないのが人間。

私たちの「行動」というものも、また制限されています。
このことを「バイアス」といったりします。

私たちは、実行する際に必ず意思決定を行います。
しかし、現状を変えたほうがいいにもかかわらず、行動できていない人はすくなくありません。

・残業が月に100時間を超えるうえに残業代も出ないのに、「とりあえずもう少し頑張ろう」と考える
・業界全体が年に2%もの割合で縮小しているのに、従来のやり方にしがみつく
・入会した英会話スクールの教え方に納得いかないが、ダラダラと月謝を払い続ける
・今のパートナーが浮気をしているのに気付いたが、関係性が壊れるのが怖くて言い出せない


私たちは、変化を本能的にキラいます。
今までの行動をなるべく変えたくない、変化させたくない。考えたくない。
そういうバイアスがある、と知ることがまずは大事だと。


それを知るには「客観性」を鍛えることが重要です。
私たちはどんなバイアスにかかりやすいのか、
そしてそのバイアスをどう超えればいいのか。

それには3つの「突破力」があるといいます。
1つは「セルモニタリング」。
1つは「クリティカル・シンキング」
そして最後は「知的謙遜」です。


「セルフモニタリング」とは、自分の行動や思考、感情などを自ら観察し、記録していくこと。
たとえば家計簿などがそうです。
こうしたセルフモニタリングを通じて、自己コントロール能力が高まるというデータもあります。

「クリティカル・シンキング」とは、何らかの問題やトラブルに対して、バイアスにとらわれない最適な判断を目指す分析法のこと。
ものごとを鵜呑みにせず、一旦逆説的に考える。それを意識するだけで、バイアスにかかりにくくなると。

「知的謙遜」とは、「自分には知らないことがある」という態度のこと。

 多くの心理研究では、知的謙遜を大きく2つの視点からとらえます。
    1 事故の知識の限界を理解していること
    2 世の中の不確実性に耐えられること
 つまり、知的謙遜とは「自分が何を知っていて何を知らないのか?」をしっかりと把握できたうえで、「自分には知識が足りない」というネガティブな事実を心から受け入れられる状態のことです。
 当たり前ですが、「知識が足りない」と自覚していれば、新しい経験にもオープンになれますし、自ら情報を探して学び続けようとするでしょう。その結果、慢心した人よりも成長スピードは速くなるはずです。


 特に、物事を知らない時ほど、「自分は知っている」と思いがちに。
それは、「その世界の広さ」を知らないから、そのわずかを知っただけで「すべて」と思ってしまうこと。
これをソクラテスは「無知の無知」といいました。
だからこそ、まず「無知」を知り自覚すること。
それで世界は一変します。


自分を変えるのに、ラクな道はない


自分を変えたい
いまの自分以上の力を発揮したい

たしかにそう思うのは大切なことでしょう。
今の自分に満足せず、もっと、と貪欲になることは悪いことではありません。

しかし、それを手っ取り早く〜、と安易に考えてしまうとそれはたちまち危険に。

私たちは、まず変わるのは簡単ではないということを認める。
そしてそのうえで、じぶんの限界を知るために、「知識」として知るのではなく、生きた「知恵」として考えていきませんか?

自分の今の限界を超える。
限界を認めましょう。
コンプレックスを認めましょう。
自分を受け入れましょう。

きっとその先にわかることがあるはず。


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