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映画『プリズナーズ』を観たら、北欧神話が分からなさすぎて詰んだ話。


あらすじ 
アメリカ国民の誰しもが愛する家族と幸せなひとときを過ごす感謝祭の日、幼い少女が消えた。平穏な田舎町に突如訪れた惨劇。手がかりは少なく、警察(ジェイク・ギレンホール)の捜査は錯綜する。そんな中、父親(ヒュー・ジャックマン)は、証拠不十分で釈放された第一容疑者(ポール・ダノ)の証言から犯人を確信する。残された時間は少ない。「パパはどうして助けに来てくれないの?」愛する娘の叫びを心に聞いた父は、自力で我が子を助け出すため、決して超えてはいけない一線を超える決断をするのだが・・・。

<引用元:Filmarks

現在公開中の映画『DUNE』が震えるほど良かったので、同監督作品を鑑賞した。

サスペンスとしては申し分ない映画だ。

だが、所々にもやもやが残る。読み解けないシーンが多いのだ。

そのもやもやを備忘録的に記す。(ネタバレを含みます)


映画『プリズナーズ』視聴後の拭いきれないもやもやの正体


このもやもやの正体は何かというと、

なぜロキが異教徒であることを強調するのかだ。


以下、私の個人的な映画『プリズナーズ』の考察と、もやもやを順を追って書いていく。


映画『プリズナーズ』における宗教的記号

「映画というものは、無駄なショットは一つもない。画面上に映し出されるものは全てに意味がある」とは、大学時代の恩師の言葉だ。画面上に現れる物や配置、向きを読み取る際、私たちは「記号」を読み取ると言った。

『プリズナーズ』で最も分かりやすい記号は「キリスト教」だ。そして「北欧神話」の記号も多くみられる。

1、キリスト教

まずキリスト教についてだが、この映画でのキリスト教の記号は、くどいほど映り込む。

個人的な意見だが、

これはキリストの贖罪投影ではないかと考えている

なぜなら①人間が原罪を犯す→②キリストが原罪を贖う→③人間と神の繋がりが取り戻される構図を作中に読み取ることができるからだ。

神を裏切る人間たち

先ほどキリスト教の記号がくどいほど映り込むと述べたが、それらが強く印象付けるのは、熱心な信仰者が犯す神への裏切りだ。

下記に思いつく限りで書いていく。

・神父

誘拐事件を調査するロキが、過去に性犯罪を犯した神父の元を訪れ、偶然にも神父による殺人を見つけるシーンについて。

ロキが"Father"と呼び掛けていることから、ここに登場する男性はカトリックの神父だ。牧師ではなく神父が罪を犯したことには、重要な意味がある。

神父とはカトリックにおける聖職者の呼び方だ。中世以前のキリスト教において、神の言葉である聖書はラテン語でしか記してはならず、各言語に翻訳することは許されなかった。つまり信者達は、聖書を理解できる聖職者を通じてしか、神とつながることができなかった。そんなカトリックに異論を唱えた人々が、神と人間の一対一の繋がりを求め、プロテスタントに分派し、現在に至る。

つまり、神父とは神の代弁者なのだ。

性的虐待と殺人のどちらが先かは作中で示されないが、もし殺人が先であるならば、

大量殺人の懺悔にきた男を、神の代弁者たる自分が善に導けず殺してしまったために、信仰を捨てたのだろうと考えられる。

神と信者の仲介者たる神父が神との繋がりを断ち、神を裏切ったのだ。


・ホリーとその夫

彼らは熱心な信者だったが、子供を失ったことで信仰を失い、神に反逆するため、子供を誘拐し、殺している。

作中のセリフでかつてキリスト教の布教を行っていたと読み取れることから、かなり熱心な信者だったことが分かる。

信仰心を失った彼らは、原罪の象徴である蛇を用いて、子供たちを脅す。子供たちの親からも信仰を奪おうとする。

彼らはわが子を救ってくれなかった神を憎み、神を裏切って悪魔となる。


・主人公ケラー

そして主人公ケラーだ。

彼はお祈りを欠かさず、車のフロントミラーに十字架をかけているような熱心なキリスト教の信者だ。そして職業は大工。一見してキリストを投影された人物のように思えるが、そうではない。作中におけるキリストの役割は、後述する別の人物に託される。

そもそもこの映画は、主人公ケラーとその息子が、キリストの象徴たる鹿を撃ち殺すシーンから始まる。信仰の対象であるキリストを殺すことは、今後の展開を暗示している。

娘を誘拐されたケラーは、アレックスを犯人(悪)と信じ込み拷問を行う。その拷問の内容は、観客からケラーへの共感を一瞬して消し去ってしまうほどに、凄惨だ。

彼は娘を失ったことで理性を失い、神を裏切る行為を行う。

彼らは信仰者である(もしくは信じていた)にも関わらず、現実の残酷さに絶望し、神を裏切る。

罪を贖う神の子としてのアレックス


これを旧約聖書における*原罪だとするならば、『プリズナーズ』でも原罪を贖う存在が必要だ。

*(原罪とは…旧約聖書において、アダムとイブが神を裏切り知恵の実を食べたこと。キリスト教では、原罪によって人間は神との繋がりを失ったが、神の子イエス・キリストが原罪を背負って磔刑を受け、原罪を贖ったことで神との繋がりを取り戻したと説く。)

それは、アレックスだ。

・キリストとしてのアレックス

アレックスは、ホリーとその夫が最初に誘拐した少年だ。本当の名前はアレックスではない。そして逃げおおせた子供たち以外で、唯一彼だけが殺されていない。

ケラーに拷問されたアレックスは、"I'm not Alex. "(僕はアレックスじゃない)、" I waited but he never come. " (僕は待った。でも彼は決して来なかった)と言う。

彼が殺されなかったのはなぜか、そしてアレックスの言葉の意味とは何か。

今のアレックス(偽アレックス)は、ホリーとその夫の子供であるアレックス(真アレックス)の友達で、彼らは遊ぶために「待ち合わせていた」が、真アレックスは待ち合わせ場所に「来なかった」(病気で死亡したために)。そして真アレックスの死後、その身代わりとして偽アレックスは誘拐されたのではないだろうか。

推測でしかないが、こう考えると、なぜアレックスだけが殺されなかったか説明がつく。

身代わりとは、英語で”scapegoat”と表す。語源は、旧約聖書の贖罪の山羊に由来し、意味は「他人の罪を代わりに贖うもの」である。

キリストは人間の原罪を贖うために磔刑を受けた。人々の身代わりとなったのである。

作中において、アレックスはキリストの磔刑に相当する迫害を受ける。ケラーに監禁、拷問されたアレックスは「木」の壁の中に閉じ込められ、熱湯を浴びせかけられる拷問を受ける。

木は磔刑のメタファーで、アレックスがイエス・キリストであることを現している。ケラーに拷問を受ける前にも、アレックスの車が一本の太い木によって貫かれるシーンがある。

アレックスは何の罪も犯していないにもかかわらず、暴力を受ける。

イエス・キリストであるアレックスにとって、それは人間の罪を贖うために、受けねばならぬ暴力なのである。アレックスが受ける拷問が凄惨を極めるのは、神を裏切った人間の罪がそれほど重いからだ。

アレックスが、ケラーに監禁され救出されるまでの日数は明示されていないが、もし三日目であれば、それは「イエス・キリストの復活」だ。

アレックスが人間の罪を贖い、神と人間のつながりを取り戻したことを示している。


なぜロキが悪魔を倒すのか

・神としてのロキ

映画『プリズナーズ』の結末で、誘拐犯を見つけ出すのは主人公ケラーだが、誘拐犯を倒し、ケラーの娘アンを救い出すのは刑事であるロキだ。

はじめはどうしてこの役割がロキでなければならないのか、明確な答えが出せずにいたが、それはロキがキリスト教における神の役割を担っていると考えると説明が出来そうだ。

なぜロキを神と考えるかだが、

信仰を踏み外したケラーが神に救いを求めると、必ずロキのショットに切り替わり、場合によってはロキ本人がケラーの元へ現れるのだ、

ケラーの声は、始めから神であるロキに届いている。しかし、人間と神のつながりが断たれている間は、神はケラーを救わない。だがアレックスが人間の罪を贖うことによって、人間と神のつながりは取り戻され、ケラーの救いの声にロキは応じるのである。

結末において、悪魔であるホリーによってケラーは深い穴の中へ落とされる。暗闇の中ケラーは、神に「(自分の代わりに)娘を救ってください」と祈る。

するとシーンは切り替わり、ホリーの家にロキが到着する。ロキは、事件の真相を突き止め、誘拐犯ホリーを撃ち殺し、ケラーの望み通り娘アンを救い出す。

なぜホリーを倒すのが、ケラーではなかったのか。

ホリーは信仰を捨て、神への挑戦を行う。それはまるで神に反旗を翻した堕天使ルシファーのようだ。

神と悪魔の戦いにおいて、ルシファーは双子の弟である大天使ミカエルによって倒され、天界を追放される。

ミカエルは「神に似たるもの」という意味で、天使のうちで最も高位で、最も神に忠実な天使である。ゆえにミカエルの意思は、神の意思である。

ルシファーとなったホリーを、人間であるケラーが倒すことは出来なかった。それゆえケラーは救いを求め、神たるロキがそれに応えたのだ。


このようにキリスト教の記号だけを拾い集めると、それなりに形になった。しかし、上記にも述べたようにこの映画には北欧神話の記号も多数登場する。それが全く読み解けなくて、もやもやしているのだ。


2、北欧神話

さー---ー-----------------------て!!!!北欧神話に関してはとんと分からない。圧倒的知識不足。ここまで約4000字書いてきましたが、ご安心ください、もうすぐ終わります。

映画『プリズナーズ』に登場する北欧神話の記号で、私が気付いたのは、冒頭の鹿(聖獣)、木(世界樹)、隻眼(北欧神話の最高神オーディンは隻眼だった)、そしてロキという名前だ。

鹿と木については、さっぱり分からないので気づかなかったことにして、進みます。

・隻眼

本棚の奥底から引っ張り出してきた『「世界の神々」がよくわかる本』(PHP文庫)というカンペによると、北欧神話における最高神オーディンは魔術を得ることと引き換えに隻眼になったと書かれている。

映画『プリズナーズ』で隻眼の表現がされるのは、アレックスとロキである。

ケラーに木の壁の向こうへ閉じ込められたアレックスは、右目だけが空気穴から差し込む光で照らされる。

そしてロキは、ホリーとの対決で負傷し、流血のせいで右目が見えなくなる。

ロキは、右目を失うことでアナの救出と事件の解決を得た。アレックスは、ホリーに捕らわれていた世界から解放され、両親のもとに帰れたことだろうか。正直分からない。

・ロキという名前

ロキ(以下、神ロキ)とは、北欧神話の神の一人である。ロキは巨人とのハーフであり、時に神の味方であり時に敵である。神聖な存在であるとともに、邪悪な存在でもある。北欧神話における最終神話(ラグナロク)の原因(オーディンの息子を殺した)を作った存在である。って本に書いてあります。

私がロキと聞いて浮かぶのは、トム・ヒドルストンを黒髪ロングに決定したメイクアップチームへの憤懣やるかたない思いだけです。

ロキ(神ロキのこと)という名前を与えられたからには、ロキ(以下、人間ロキ)には何らかの投影がなされているんでしょうが、清々しいまでになーーーんにもわかりません。

唯一拾えることがあるとすると、神ロキが善と悪の両方の特徴を有するということ。善と悪の共生は、一神教にはあまり無い概念ではないか。

一神教の根底には、目的論的思考がある。

目的論とは何かだが、分かりやすく説明できる気がしないのと、自分もちゃんと理解できているか不安なので、

「原因があるから結果がある」のではなく、「先に結果があるから、その結果に繋がる原因がある」のだと捉える思考方法の一つくらいに簡単に考えといてほしい。

キリスト教で例えると、先に「最後の審判」で神の国に行くという結果があるから、信仰者はキリスト教を信仰する原因があるのである。

つまり、先に結果が存在するということは、善であるしかないのである。それゆえに作中での信仰者の行動は極端だ。善か悪か、信仰を守れないのであれば、悪になるしかないのである。

一方、多神教では善悪はグラデーションだ。多くの多神教の神が二面性を与えられている。日本の神道で考えると、神は与える物であり、奪うものだ。神がどちらの結果を与えるかは、神次第である。人がどれだけ尽くしても時に神は牙を剥く。原因と結果は必ずしも一致せず、物事が今現在がどうであるかが重要視される。

近代以降、科学の発展に伴い、目的論は敬遠されがちな思考方法である。物事がどうある「べき」かを重要視する思考方法では、物事が「実際」どうであるかは、見落とされる。

映画『プリズナーズ』のキリスト教的世界観の中に、多神教の神ロキの名前を与えた人物を配置したのは、彼が目的論の外側におり、物事が実際どうであるかを冷静に判断出来る人間だということを明示したかったのではないだろうか。それゆえにミスリードもあったが、人間ロキだけが事件の全容をつかみ解決することができたのだ。

けれどなぜそれが神ロキの名でなければならなかったのか、そこがさっぱり分からない。


それに人間ロキには、神ロキの名前が与えられていること以外に、フリーメーソンの指輪、ユダヤ教を象徴するダビデの星の入れ墨など、様々な宗教が重ねられている。

これが私をもやもやさせるのだ。

結論

キリスト教の記号だけ読み取れば、キリストの贖罪を投影した構造なのだろうと思う。

けれどロキの体に、北欧神話とユダヤ教とフリーメーソンが共存していることが何を意味するのかさっぱり分からず、思考の迷路に入っている。

もう6時間以上この記事を書いていて、自分でも何を書いているのか正直良く分からないのでこの辺で終わります。どなたか代わりにこのもやもやを解決してください。おやすみなさい。





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