見出し画像

10月12日 荒川とパナマ運河は「兄弟!?」

「ビジネス頭の体操」。普段の仕事を離れた「頭の体操」ネタに。
さらに問いや興味を広げたり、抽象度を上げて他への応用を考えてみたり…
さまざまな「頭の体操」に活用ください!
頭の体操のための質問例はこちら。

→今の荒川は人口的に作られた川で、22キロ、17年に渡る大工事で、総工費は今でいうと1,500億円ほど。用地買収は現在の北区の半分の面積に及んだものの農地が多く、立ち退きは1,300世帯だった。現代で行ったら桁違いの費用と時間がかかったであろう。
こうした、その時には多少オーバースペックだったかもしれない、ということでもあとで本当にやっておいてよかった、ということは多い。他にどのような事例が思い付くだろうか?


10月12日は、昭和5年(1930年)に「荒川放水路」が完成した日です。

現在の荒川は人口的に作られた「放水路」なのです。

荒川は古くから「荒れる川」ということで洪水を引き起こしていました。
江戸時代に付け替えが行われ、現在の隅田川に注ぐようになりましたが、その後もたびたび洪水が起こります。

明治時代になって、人口が増え、住宅や工場がそれまで農地が中心であった地域まで広がっていくことになります。

そんな中、たびたび洪水が起こり、被害が大きくなると、治水に対する要望が強くなり、新たな「放水路」を作ることが決定されました。

当初計画では、現在の板橋区あたりから池袋や護国寺付近を通って神田川に、というルートも候補としてはあったようですので、もしそうだったとしたら今とは全く違った東京になっていました。

荒川放水路の候補(④が最終案)

この荒川放水路、パナマ運河工事に携わった日本人技術者も参加し、実に17年にもおよぶ工事のうえ完成しました。もし、なかったら東京はしばしば洪水に悩まされ、ここまでの発展はできなかったでしょう。

実は、私は地図マニアでもあるのですが、この荒川放水路は全く川がないところに人工的に掘った川なので、年代別の地図をみると大変に興味深く、昔調べたことがあります。書きたいことはたくさんあるのですが、おそらく大多数の方には興味ないと思いますので、一箇所、現在の亀戸付近の地図だけご紹介します。

川など影も形もないところを用地買収し、かなりの川幅を持った放水路が人口的に作られたことがお分かりになると思います。また、これにより、安心して住めたり、工場ができたりしたことで東京の爆発的な人口増を吸収できたことも伺えます。

ちなみに、今の同じ地域の地図がこちら。


ご興味がありましたら(ないと思いますが)以下の国土交通省の冊子が非常によく纏まっていますので、ご参照ください(地図の出典もこちらです)。


最後までお読みいただきありがとうございます。
過去の投稿は以下にまとめています。




この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?