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落語日記 相変わらずの四人のチームワークが楽しい落語会

RAKUGOもんすたぁず CHAPTER91
11月13日 古石場文化センター 2階大研修室
毎回、必ず通っている会だったのだが、タイミングが合わず、昨年6月以来の1年5ヶ月ぶりのご無沙汰となってしまった。前回はコロナ対策がやや緩和されてきた時期だったが、今回は手指消毒・連絡先記入はあっても、その他の制約はない状況で、客席も常連さんが戻ってきているような印象。
 
オープニングトーク
レギュラーの四人から諸々の告知。また、次回のもんすたぁずは、ゲストに白酒師匠を迎えて新春寄席として開催されるので、そのチケット販売の宣伝。
近況で面白かったのは、燕弥師匠がNHKの時代劇で江戸言葉指導を行ったこと。劇中に登場するお菰さんのセリフを問われて「お余りを」と指導。江戸のこと、何でも知っている訳じゃない、と不満な表情で笑わせる。
 
古今亭松ぼっくり「出来心」
前座は志ん陽師匠のお弟子さん。素直で口跡明瞭な印象。
日曜日の午後のゆったりとした雰囲気と季節外れの陽気で、眠気に誘われて半分くらい意識を失ってしまった。心地良い空気を作った松ぼっくりさんに、責任はない。
 
柳家小傳次「四人癖」
ウトウトとしていた余韻で、マクラ部分は記憶が飛んだ。本編に入って、覚醒する。
この会の特徴は、毎回全員がネタ出し。小傳次師匠のこの演目は、以前に先代金馬師匠で初めて聴いたとき以来。小傳次師匠のツイッターによるとネタ下しのようだ。
「のめる」と同じような筋書。四人の登場人物の口癖で賭け事をする噺。そんなことから「のめる」の別名は「二人癖」と呼ばれているようだ。
この四人のそれぞれの癖は、分かりやすい仕草。癖による仕草自体は特に奇妙なものではないが、何度も何度も繰り返したりして、演者による演出によって奇妙に感じるのだ。この小傳次師匠の癖の仕草も、奇妙で可笑しい。かなり弾けていて、奇妙さは振り切っている。小傳次師匠を拝見するのは久しぶり。こんなに軽妙で奇妙さが上手かったかと、ちょっとびっくり。
 
春風亭三朝「猫久」
マクラは数日前に訪れた松戸での学校寄席の話で、その学校にたどり着くまでの道中のエピソードで盛り上げる。何でもない日常に潜む可笑しさをネタにするのが上手い三朝師匠ならではのマクラ。この学校寄席では2学年ごとの3部制で行われ、落語の解説と落語一席のセットを一日で3回転。かなりハードなお仕事だったようだ。
そんな学校内の最近の話題、生徒の名前は「君」「ちゃん」ではなく、男女とも「さん」付けで呼ぶこと。あだ名も禁止らしい。自分たちのころは、あだ名全盛時代で、友達もあだ名で呼んでいた。昔の名人には「デブの圓生」のようにあだ名が付いていた。そんな話から、この噺の登場人物の久六が猫久、猫さんとあだ名が付いた訳を語る。あだ名繋がりの上手い流れで、本編へ。
 
この噺は何度か聴いているが、すべて一之輔師匠の高座。私にとっては「夢八」ともども一之輔スペシャルな演目なのだ。今回、三朝師匠で聴けるとあって、楽しみにしていた。
この噺をネットで調べると、五代目小さんの十八番だったらしい。でも、今まで柳家の演者では聴いたことがないし、あまりポピュラーな演目でもない。その理由は、この噺の筋書が、何とも不思議なものだからではないかと考えている。
冒頭に登場する猫の久六。しかし、いきなり血相変えて脇差を持って飛び出して行き、それっきり久六は登場しないのだ。これを目撃していのが、近所の熊さん、この噺の主人公だ。冒頭の久六の謎の行動、おとなしい久六を怒らせた訳、脇差を抱えて何処へ行ったのか、これらの謎は、まったく解明されずに噺が終わる。この久六の謎の行動をネタにして、熊が騒動をまき起こす。そんな、なんとも不思議な演目なのだ。
しかし、この噺の見せ場は後半にやって来る。髪結床で会った侍が、久六の女房の行動を賛美する。この話に感動した熊が、妻に語って聞かせるところが爆笑を呼ぶ場面だ。この侍のセリフを熊が鸚鵡返しで笑わせるのだ。聞かされている熊の女房の反応も、馬鹿々々しくて可笑しい。この場面を如何に可笑しく聴かせられるかが、この噺の肝だと思う。この肝を、三朝師匠は得意の軽妙さで大いに楽しませてくれた。こんな難しい演目に挑戦する兄弟弟子のお二人、おそるべし、一朝一門。
 
仲入り
 
古今亭志ん陽「居酒屋」
この演目は、志ん陽師匠の師匠である志ん橋師匠で以前に聴いている。志ん橋一門の得意の演目かもしれない。志ん陽師匠も、もしかすると志ん橋師匠から習ったのかも。
マクラは酔っ払いの定番の小噺が並ぶ。何度も聴いているお馴染みの小噺だが、志ん陽師匠の酔っ払いの表情が可笑しくて、思わず笑いを誘われる。
本編に入ると、店の奉公人、今で言うところのホールスタッフ、接客係を小僧が務めている。居酒屋も商家なので、丁稚制度によっていることが分かり、時代を感じさせる。この噺の設定では、小僧は14歳。現代に置き換えると居酒屋の店員が中学生であり、かなり違和感がある。まさに、子供が働いていた当時の習慣を強く意識させる噺でもある。
 
居酒屋と言えば、小僧の口上「できますものは、・・・のようなもの・・・でございます。へェイー」のセリフが有名だ。ネットで調べると、居酒屋の金馬と呼ばれた三代目金馬の十八番の噺、このセリフも有名だったらしい。
志ん陽師匠の型は、メニューは小僧の口上ではなく、お品書きとして店の壁に貼られている。そのタイトルも「口上」と書いてある。これを酔っ払いが読み上げながら注文していく。酔っ払いの客が、小僧の店員をからかうのが笑いどころ。困りながらも懸命に客の相手をする小僧。ここは、酔っ払いの悪気がスルー出来るぐらいが、落語らしくて聴きやすい。志ん陽師匠の悪気なさげな風情が、酔っ払いの毒を消している。
店にいる番頭を指して「番頭鍋を一人前」という酔客の意地悪な注文に「無理です、半人前ですから」、そんな下げで終わる。最後に下げで、毒を見せた小僧。小僧の逆襲でもあり、上手い下げだった。
 
柳家燕弥「言訳座頭」
この日の主任は燕弥師匠。ネタ出しされた演目は、初めて聴く珍しい演目。どうやら、柳家の噺らしい。「掛け取り」「睨み返し」「尻餅」などの演目と同様に、年末の掛け取りとの攻防戦を描く噺。
江戸のころ、盲人の中でも座頭という官位を得た者が按摩、鍼治や高利貸しを業としていたらしい。「真景累ヶ淵」の発端で、旗本深見新左衛門に切り殺される鍼医の皆川宗悦も金貸しだった。そんな通常は債権者側の立場である座頭が、この噺では債務者側の手伝いをするという逆の立場になっている。これが、この噺の面白さだ。
 
筋書は、年末の支払いに窮した甚兵衛夫妻が、言訳の上手い近所の按摩の富の市に謝礼を払って、支払い交渉の代理人を依頼し、その攻防戦を描いたもの。借金取りの米屋、炭屋、魚屋のそれぞれの店を回る。「掛け取り」と同様に、相手に合わせて言訳の手口が異なっているのが見どころ。
この富の市は、口から先に産まれたようなお喋りな男。いささか強引なところもあり、弱気な甚兵衛を「気合だっ!」を何度も繰り返させ、嫌々ながら従わせてしまう。ここは燕弥師匠の独自の工夫か。
この口八丁の富の市を燕弥師匠が見事に好演。演目名にあるような言訳というより、どちらかと言えば、脅し文句で渋々承知させるという、迫力もある座頭。
甚兵衛と富の市の会話の中で、魚屋の主は「立て引きの強い人」という表現が登場。耳慣れない言葉なので、早速この「立て引き」を辞書で引いてみると「意地を張って争うこと」とある。なるほど、そんな魚屋の主だった。落語でしか聞かない言葉、大切にしたい。さすが、江戸言葉指南役の燕弥師匠だ。
掛け取りとの攻防戦を描き暮れの風物詩を見せてくれる噺、暮れの季節にもっと掛けられていてもいい噺だ。

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