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『特等席のホットビール』

「あの、このサワー、お湯割りにしてもらう事ってできますか?」
「え、なんです?」
「炭酸水の代わりにお湯で割ってもらいたいんですけど」
「あー……ちょっと確認してきますね」
 店員は席から離れ、店の奥へと消えていった。
「何? お湯割りって」友人が興味ありと言う顔で聞いてきた。
「寒いから暖かいのが良くて」
「ああ。そんなことってやってもらえるの?」
「前に一度だけやってもらったことがある。ローカルな居酒屋だったけど」
「チェーンは難しいかもね。暖かいのがいいなら熱燗とかは?」
「苦いからダメ……カクテルかサワーがいい」
 そんなことを話しているうちに、店員が戻ってきた。
「すみません。そういったのは出来なくて……」
「いえ、大丈夫です。一応聞いてみたかっただけなので……じゃあ、普通の青りんごサワーでお願いします」
「かしこまりました」
 店員はオーダーを聞き入れ、また店の奥へと戻っていく。
 騒がしい店内に久々に会って集まる親しい友人の集まり。気楽で楽しい時間。楽しいとは感じている。けれども私は、始まりと同時に、帰りの時間を気にしてしまう。「最近、どう?」「休みの日とか何してる?」これらの質問は少し苦手だ。
「……特に、これといってないかな」
 自分が何も出来ていないという答え合わせ。何か始めたいとは思うけれど、変わらない日だけが過ぎてゆく、努力不足だと分かっているからこそ、それを実感してしまう。答えのないなぞなぞに、ゆらゆら揺れる。そうして時間はゆっくりと過ぎる──。

 帰り道に寄ったコンビニで、缶ビールを1本購入した。冷えたビールが手の感覚を奪い去る。悴んだ手には、手袋はすっかり無意味となっている。
 自宅に着き、冷え切った自室へと小走りで入ってゆく。家に帰っても誰もいない。築数十年のワンキッチン、ワンルーム。玄関入り口のスイッチを入れ、家は明かりを取り戻した。部屋着に着替えて、化粧を落とす。その脱皮を終えて、改めて帰ってきたと実感できる。
 買ってきた缶ビールを開けて、お気に入りのマグカップへ注いでゆく。白い泡が溢れて出てくるが、無くなるのをしばし待つ。それを電子レンジで1分加熱。レンジを開けると、白い湯気のあがったマグカップとなっている。取り出すとビールの匂いがキッチンを漂った。次に蜂蜜をとろり、スプーンで一匙ほど入れる。これでホットビールの完成となる。
 真鍮のトレイに乗せて、特等席へ。部屋の中央にあるコタツ。これが私の特等席。足元を暖めながら、ホットビールで一息つく。足元だけでなく、内側から温まる。自分だけの時間。答えのないなぞなぞに答える必要など、何処にもない。
 至福の時間はすぐに終わりがきてしまった。私の脳内はもう少し飲みたいモードになっている。これをシャットダウンするのはなかなか難しい。少し面倒だが、家から一番近いコンビニへ向かうことにした。部屋着にコートを羽織って簡易な身支度をする。素っぴんだけれど夜も遅いし、知り合いに会うことはないだろう。
 イヤホンで音楽を聴きながら近くのコンビニへ向かった。ビール4、5本に加えて、辛子マヨかにかま、煮チャーシュー、フライドポテトをカゴに入れてレジへと差し出す。
「ポイントカードですが……」
 最近見かける若い男性店員が、ポイントカードの確認を伝えようとしている。今日は財布に入れていない。
「えっと、カードは……」
「Tカードありましたよね。ムーミンのやつ」店員がにこやかに話す。
「……え、ああ、はい」
「今日はモバイルですか?」
「あ、そう……そうなんだけど、えっと……ちょっと待ってね」
 再度おつまみコーナーに戻り、適当な野菜サラダセットを持ってくる。
「これも、追加で……」
「はい。いつもありがとうございます」
 支払いを終えて店を後にする。自動ドアを抜けると夜風が一気に体温を冷ました。吐いた息が白くなって消えていく。
(あのコンビニ、今後行きにくいなぁ……)
 寒空の下、なんとも言えない気分で特等席へと戻った。

おしまい。

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