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四:『人魚すくい』

 金魚すくいは『ゲーム』だ。
 取れるか、取れないか、何匹取れるのか。そういう『ゲーム』を楽しむものなんだ。ぼくはただ、その『ゲーム』がやりたいだけ。
 だから金魚が飼いたい訳じゃない。世話は面倒くさい。一応水槽にうつして餌やりを何日か続けるけど、ついつい忘れてしまって、気づいた頃には金魚は水面にお腹を上にして浮かんでいる。
 ──ああ、またダメになっちゃった。
 ぼくは毎年そう思う。
 でもお父さんがこの前話していた。金魚すくいの金魚はもともと弱くて、すぐに死んじゃうものだって。なんだ、そうだったのか。じゃあ、ぼくが世話をしたところで、あまり意味がないんだ。
 じゃあ今年も気にしないで、金魚すくいをやろう。

 祭囃子の賑やかな音が聞こえる。和太鼓、笛に、鈴の音。御神輿を担ぐ声。今年も夏祭りの季節がやってきた。
 三日月町駅前の商店街と近くの大通りは歩行者天国になって、いくつもの屋台が立ち並んでいる。でも全部バラバラじゃない。同じ内容の店がいくつか被っている。ぼくの目当ての『金魚すくい』の店だって、毎年4つくらいはある。
 金魚すくいのポイントはまず、この店選びから。『ポイ』の紙が破れやすくなっているインチキそうな店を選ばないようにしなくてはいけない。ひとつひとつの屋台をまわってどこが取りやすそうか決める。
 金魚すくいがおわったら、何を食べるよう。お小遣いは千円だけだから、後悔がないようにしないといけない。
 そう考えながら、ひとつひとつ店を確認していく。
「たこやき、かき氷、クレープ、くじ引き……あれ?」
 店と店の間に見たことのない道がある。今は屋台があるけれど、いつもは商店街のクリーニング屋さんと、布団屋さん。その店の間。
 ここのクリーニング屋さんはお母さんと来たことがあるけど、こんなところに路地なんてあっただろうか。布団屋さんとくっついていたと思ったけど、ぼくの記憶違いだろうか。
 そっと路地を覗いてみると、少し奥に屋台らしきものがある。
 こんな暗い道、子ども一人で入ったらいけない。お母さんがいたらきっとそう言って怒るだろう。
 でも、ぼくは何故だかどうしても覗いてみたいという気持ちが湧いてしかたなかった。
 その気持ちを抑えられず、吸い込まれるように、その路地へと足を踏み入れた。

 路地は真っ暗で、ひとつの屋台の灯りだけがあたりを妖しく照らしていた。屋台はこの店しかなさそうだ。
 恐る恐る店の様子が分かるくらいまで近づくと、屋台にはおじさんがひとり座っていた。ぼくが近づいても何もいわずに、じっと座っている。
 ほかに人はいない。祭囃子の音もなんだか遠くになっているような気がする。なんだか少し……いやかなり怖い。引き返えそう。
 そう思ったときだった。屋台の提灯の文字が目に入った。

『人魚すくい』。
 そう書かれていた。

 人魚って、あの人魚のことだろうか。まさか、いや、きっとオモチャか何かだ。そうに決まっている。
 もう一度屋台に近づくと、やっぱり提灯には『人魚』と書いてある。ちらりと屋台の様子を覗くと、金魚すくいのような横に長い低めの水槽があった。見た目は金魚すくいだ。
 見た目だけは……。

「ほん、もの……?」
 人魚、だ。
 間違いない。
 童話の絵本やアニメで見るような、上半身は人間で下半身が魚の生きもの。オモチャなんかじゃない。くるくると泳ぎまわっている。
 小さい、手のひらサイズの人魚。金魚と同じくらいの人魚。
 本物の人魚だ。
(なんだこれ……なんだこれ……なんだこれ!)
 訳がわからなすぎて、目が離せない。ぼくだけ別世界にきてしまったような、夢の中にいるような、そんな気分。

「それ、やるの?」

 突然後ろから声をかけられた。はっとして声の方に振り返る。
 そこには綺麗な顔をしたお兄さんがにやにやと笑ってぼくを見下ろしていた。
「……えっと」
「ねぇ、どうするの?」
「ま、まだ決めてない……」
 なんだかふわふわした気分だ。頭がぼんやりしている。朝起きたときに、まだ夢の内容がうっすらと残っているときのような、そんな気分。どうすると聞かれてもすぐに答えられない。
 お兄さんは持っていたリンゴ飴をペロッと舐めて、にやにや笑いながら、ぼくに言った。
「……もしやるんなら、ちゃあんと考えて、〈覚悟〉を持ってやらなくっちゃね」
 その言葉を聞いて、ムッとした。「金魚を飼ったら最後まできちんと世話をしなよ」って言ってくるうちの煩い学級委員長を思い出す。初めて会う人に、何でそんなこと言われないといけないんだろう。
「……分かってます」
 ぼくが不機嫌な気持ちを込めてそう返すと、お兄さんは目を細めて、さらににやっと笑った。
「ふーん。そう。分かってるんだねぇ……じゃあ、お好きにどうぞ」
 お兄さんはそう言って手をひらひらさせながら背中を向けると、大通りの方へゆらゆらと去っていった。

 お兄さんの後ろ姿を眺めて呆然としていると「……やるの? やらないの?」と屋台のおじさんが低い声で言った。
 声にビクッとなり、おじさんの方を向く。そうだった。今は『人魚すくい』が目の前にあるんだ。
 看板を見ると、人魚すくいは1回1000円と書かれていた。ぼくの貰ったお小遣い全額。これをやったら他に何も買えなくなってしまう。
 そう考えながら、ゆらゆらと水槽内を泳ぐ人魚を見る。自分の頬をつねってみる。痛い、これは現実だ。
 現実、現実なんだ。こんなことってあるのか? こんな体験ってあるだろうか。こんな不思議な出来事に遭遇して、何もせずに帰ることなんてできるのか?
 悩む必要なんてないじゃないか!
「やります!」
 そう言っておじさんに千円札を渡した。おじさんは渡されたクシャクシャの千円札を開きながら笑っていた。

 人魚すくいのやり方は、金魚すくいと同じやり方だった。ポイですくいあげて、お盆に入れる。
 しかし、これは人魚だ。上半身は人間だ。ポイを近づけたら、手でポイの紙をびりっと破られた。
 ちょっと待ってよ、これは詐欺じゃないか。
 ぼくは1000円を無駄にしたと落ち込みかけていたところだった。
「惜しかったね。はい、これおまけ」
 屋台のおじさんが一匹の人魚をビニール袋に入れ、ぼくに手渡した。
 そうか。金魚でも、取れなくても、いつも一匹はもらえていたっけ。
 手にしたビニール袋を掲げて下から覗くと、人魚と目があった。
 赤い尾鰭の、とても可愛らしい女の子の人魚だった。

 ──ぼくは、人魚を手に入れた。

 ちょっと待って。これは、とんでもないものを手に入れてしまったんじゃないか?
 ぼくの心臓が煩い。暑さのせいじゃない汗が流れている気がする。
 反射的に走って路地から飛び出した。人が行き交う商店街へ出る。ビニール袋の人魚を隠すように抱えて、急いで家に帰った。

 家に帰って、金魚鉢に人魚を移した。中で泳ぐ人魚を見つめる。まだぼくの心臓はバクバク言っている。
 誰かに話した方がいいのか、どうしたらいいのだろうか。
 悩んだ末、ぼくは仲良しの友達にだけ見せることにした。お父さんとお母さんにも内緒にする。絶対にびっくりするし、もしかしたら取り上げられてしまうかもしれないからだ。
 見つからないよう、引き出しのなかに人魚の入った鉢を隠すことにした。
 ぼくはその夜に人魚について調べた。様々な情報や伝承があったけど、日本の人魚はいわゆる妖怪で、肉を食べると不老不死になったり、病気が治るらしい。
 でもこんなに小さい人魚のことはいくら調べても出てこなかった。もちろん、『人魚の飼い方』なんてのもどこにも載っていない。とりあえず、パンをちぎってあげたり、金魚の餌をあげてみた。人魚は餌を手にすると吐き出すこともなくきちん食べていた。世話は問題なく出来そうだった。

 夏休み中ということもあって、友達はみんな旅行や、じいちゃんばあちゃんの家に行っていたりして、なかなか人魚を見せる機会がなかった。
 それにこの人魚は話しかけても反応しない。こんなの金魚とちっとも変わらない。せめて話し相手になれば面白かったのに。
 なんだかつまらない……。
 そう考えながら、引き出しを閉じた。

 気がついた頃には一週間が経っていた。
 ぼくは、人魚の世話をすっかり忘れてしまっていた。
 ゲームとか宿題とかしているうちに、机の引き出しの中に閉まった人魚の存在など頭から抜けていた。
 やばいと思って引き出しの金魚鉢を覗くと、濁った水の中にぐったりとした人魚が仰向けになって浮かんでいた。
 死んでしまったのだろうか。
 おそるおそる指で突いてみるけれど、人魚はぴくりとも動かない。
「殺してしまった」という気持ちが一瞬過ぎったけれど、上半身は人間でも話さないし、これは金魚が死んでしまった時と同じ。
 ──この人魚はダメになってしまった。
 そう思うようにして、ぼくは死んだ人魚を埋めようと、指で掴んでつまみ上げた。
 人魚、だったんだなぁ。
 改めて動かなくなった人魚をまじまじと見つめる。
 付け根の部分はどうなっているんだろう。動かなくなったんだ。少し近くで観察してもいいのかもしれない。
 そう思って顔に近づけたときだった。
 摘んでいた人魚が突然動きだした。突然動いたものだから、ぼくは咄嗟に離してしまった。
「ワッ……!」
 驚いて口を開けて叫んだ時だ。
 人魚は驚いたぼくの口の中に飛び込んできた。
「ぐ……が……」
 人魚は喉の奥へと入り込んでくる。
 苦しい。喉に詰まって、息が出来ない。
 人魚はぼくの喉を完全に塞ぐ。
 口に手を入れても、手が届かない。苦しくて、喉元でガリガリと引っ掻きながら必死に抵抗する。
「んが……ず……げ……」
 涙と鼻水が出てきた。きっと涎も垂れている。そんなことどうでもいい。助かるのなら。どんなひどい顔をしていようと、どうでもいい。
 ごめんなさい、ごめんなさい、と心の中で必死に唱え続けた。
 けれど、無意味なようで、次第に意識が遠くなる。目の前がチカチカとしたかと思ったのを最後に、ぼくの視界は暗転した──。

♦︎


「月影様、あの違法な人魚の店の者、こちらで捕まえました」
「そう」
「どうされますか」
「そっちで決めちゃって」
「畏まりました」

 あの手のひらサイズの人魚は通常の人魚ではなかった。品種改良の類だろうか。店の違法者は天狗が捕まえたようだけど、あの〈通路〉は念のために確認しておく必要がある。面倒だけど、まだ開いているようなら閉じておかないといけない。
 そういえばあの時、人魚すくいの店の前に人間の小学生くらいの少年がいた。一応、軽く忠告だけはしておいてあげたけれど、結局彼はやったのかな。まぁ、やっただろうね。
「やめておけ」と言ったところで、聞きやしない。
 人間なんてものはそういう生き物だから。

 ひとりの少年が路地の前にぼうっと立っていた。あれは夏祭りのときの少年だ。そしてあの場所は、あの路地があったところ。どうやらもう〈通路〉は塞がっているらしい。それでも少年はぼんやりと通路だった場所を見つめている。
「ねぇ君、もうそこには何もないよ。まだそこに何か用があるのかな?」
 そう声をかけると、少年はこちらをゆっくりと振り向いた。
「……あの店主は?」
「捕まった。あれは違法だからね」
「そう、それならもうここに用はないわ」
 少年はうっすらと美しい笑みを浮かべた。
「ワタシ、これから色んなところへ行くの。だって足ができたんですもの」
 そう言って、少年は──少年だったモノは満面な笑顔を浮かべた後、高らかに笑いながら駆けていった。

 生きものを飼うという〈覚悟〉と、非日常に手を出すという〈覚悟〉の両方が、彼には足りていなかったようだ。
 やっぱり、忠告したところで無駄なんだ。

 でも結末としては、どうやら人魚姫は、すくわれたらしい。 


第4話「人魚すくい」おしまい


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