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十一:『天文学者の悩み』

 三日月町の東にある星見ヶ丘ほしみがおか。そこに知らない建物が立っていた。昨日見たときにはなかったはずなのに。
 屋根の部分が円形になっている縦長の建物。
 ──あれは天文台?
「いつのまに出来たんだろう……」
 ぽつりと口に出した独り言は風の中に消えていった。午後の授業を告げる鐘がなる。
「上野さん。教室に戻ろう」
「……うん」
 クラスメイトの神田さんに手を引かれ、屋上を後にした。

 下校途中、私は一人で星見ヶ丘に寄った。階段を上り見晴台みはらしだいに向かう。途中で息を切らし、ふと空を見上げると、沈みかけの夕日の中にうっすらと一番星が輝いているのが見えた。
 階段を上り終えると、見晴台の手前にその天文台はあった。首を後ろに傾けて建物を見上げる。ガラスの丸屋根が夕日を吸い込んで、反射したオレンジ色の光がゆっくりまわっていた。
 見惚みとれていると、天文台の扉から一人のお爺さんが出てきた。少し薄汚れたローブを羽織り、折りたたんだ脚立を脇に抱えながら、ひょこひょこと歩いている。お爺さんは脚立を広げ、芝生の中央に置いた。その周りには何もない。そして空と地面を交互に見ながら、脚立を調整していた。
 場所が決まったのか、お爺さんは脚立に上り、何もない空中へと手を伸ばす。手の先には先ほど見えた一番星。星はもちろん遥か遠くにあるのだが、遠近効果でお爺さんの親指と人差し指の間にあるように見える。お爺さんは挟むようにそっと指先を曲げる。
 星の大きさを測っているのか。そう思って眺めていると、お爺さんは指で星を掴むような位置に固定した。そしてそのまま腕を下ろす。
 すると、お爺さんの指先に合わせて星が動いたように見えた。驚いているのも束の間、掴まれた星はすぐ近くで強く光を発し、そのままお爺さんのポケットの中へと消えた。
 そして空を見上げると、先ほどまでそこにあった一番星が空から消えていた。
「えっ?!」
「うわっ! なっ、なんじゃ!」
 お爺さんは私の声に驚いて、脚立から落ちそうになる。ガタガタと音を鳴らしながらバランスをとった後、「ふう……」と息をつき、私の方をキッと睨んだ。
「馬鹿者!急に大きな声を出す奴がおるか!」
「あ!ご、ごめんなさい!」
 お爺さんは脚立から降りると、私の方へ近寄ってきた。
「むむむ?」お爺さんは私をジロジロと見た。「お前さん、普通の人間か?どうやってわしのことを知った?」
「え、えっと。高校の屋上から建物が見えまして……。気になってつい……」
「ふむ。では『星屑ほしくずくらい』ではないのか」
「星……何?」
「これじゃ」
 お爺さんはポケットから何かを取り出し、私の目の前に出す。その手の平には、宝石のような小さな鉱石が、ほんのりとした光を放っていた。
「これ……さっき取っていた星?」
「これが目的じゃあないのか?」
「はい……」
「むむぅ……ではいったい何故、儂の家が見えたんじゃ?」お爺さんは首を捻る。
「あの、これは何ですか?」
「何って、見たら分かるじゃろう。これは星じゃ」
 お爺さんは目を丸くする。
「星って、宇宙そらにある星?」
「当たり前じゃろう。他に何があるんじゃ」
 お爺さんは、またもや当然だと言わんばかりに目を丸く見開く。そう言われても、そんなこと信じられない。さっき取っているところを目にしたものの、手品なのではないかと疑いが残る。
「あの」
「何じゃ」
「あなたは……一体何者ですか?」
「儂は天文学者じゃ」
「学者の先生?」
「うむ。ここで星の観察と研究をしておる」
「でもさっき、食べにきたのかって……」
「ああ。これをもう少し加工し星屑にして食べると、寿命を伸ばせ、老化を遅らせることができる。てっきり、それ目当ての奴かと思ったのじゃ」
「そんな非科学なこと……」
「……お前さん本当に、普通の人間なんじゃな」
 お爺さん、もとい天文学者さんは再度驚いた。

「……でも、そうだとしてもいりません」
「賢明な判断じゃ」そういって星をポケットにしまった。
「私、長生きしたくないので」
「それは嫌味か?」
「ち、違います!その……あまり生きたくなくて」
「なんじゃ、自ら死にたいやつか?」
「そうじゃないんですけど、生きるのが面倒で」
「面倒?」
「はい……特別何かあるわけではないんです。辛いことや苦しいことがあるわけではないんです。でも何となく」
「何となく?」
「何となく、疲れるなって……」
 死にたいわけではない。でも生きているのは疲れる。これから先もそういった面倒なことの繰り返しだと思うと、気が重い。のんびりと生きて、いつのまにか自分でも気づかないうちに消えていたい。でも世界はそれを許してはくれない。「人生を大切に」「もっと頑張れ」と言ってくる。「自分の好きなことを見つけろ」と強要してくる。
「なんかすみません。変なこと言って……もう帰りますね」
「待て。お前さんに儂のコレクションを見せてやる。来い」
 天文学者さんは天文台の出入り口──先ほど学者さんが出てきた扉──の前に行くと、私の方を向いて手招きした。
 知らない人だし、変わった人ではあるけれど、どこか悪い人のようには見えない。
 私は天文台の中へと足を踏み入れた。

 天文台の中には、ど真ん中に大きな螺旋らせん階段があった。階段の先は最上階のガラス屋根がある場所へとつながっている。螺旋階段の下には机と本棚。机の上は、本や古びた書類が乱雑に置かれていた。
 天文学者さんは机の上の資料をかき集め、近くの床にどさっと置いた。そして、机の上にスペースを作ると、どこからか大型のトランクを持ってきて、そこに置いた。パイプを口に加えて、「開けてみよ」と言った。
 私は言われた通りにトランクを開ける。トランクの中には、いくつもの黄金に光り輝く宝石がぎっしりと詰まっていた。
 その黄金の光は部屋中を照らし、それ以外の色は見えないくらい。先ほどのものとは比べものにならないくらいの、美しい輝きを放っていた。
「これも星……?」
「星とは、死んだ者の“魂の一部”なのじゃ」
「魂の一部?」
「我々の研究では、今のところ『人が死ぬと、魂はシャボン玉のように身体から抜け、そのまま天へと登る。そこでその者が逝くべきところ、人間が“あの世”と呼んでいる場所へ導かれる』とされておる。
 ああ、そうそう海洋学者は『魂は生まれ変わるときには海へ落ち、海から生まれ直す』と説を唱えておったな」
 そう話しながら、天文学者さんは笑った。
 私はそれを何も変に思わず──後から考えると可笑おかしな話だけど──黙って聞いていた。
「星は魂そのものだと思っておったのじゃが、最近の研究で“一部だけ”だと分かったんじゃ」
「魂が天へ……でもそしたら、この星の元の人はあの世へはいけないのでは?」
「星はあくまで魂の一部。天に昇り、あの世に逝く前に、星を残してこの世を去る。それゆえ儂は、星を“生きた証”とも呼んでおる」
「生きた証……」
「この星は素晴らしい人生を送ってきた。だから、輝きが素晴らしいんじゃ」
「素晴らしい人生……成功した人生ってこと?」
「む?何に成功したんじゃ」
「その、何か世の中に結果を残したとか」
「だーれがそれを決めるんじゃ?」
「えっ。世間の評価とか……」
「何を言うか」
 天文学者さんはパイプの煙を吸って、吐いた。煙は上へ上へとのぼって行き、ふわりとガラス屋根にぶつかった。
「素晴らしい人生だったかどうか決めるのは、自分自身ではないか」

 天文学者さんは、黄金に光り輝く星の中から一つの星を取り出した。
「こっちの星だった者を儂は知っておる。この子は5歳でやまいを患い死んだ」
「5歳で……」
「じゃが、死ぬまでに自分の出来る限りのことをやった。ほとんど動けない身体の中で、たくさんの同じような子どもたちにメッセージを届けた続けた。死ぬ間際まで。
 その行為が意味があったのか、効果があったのか、良き行いだったのか。儂は神ではないから分からんよ。
 しかしこの子は死ぬ時に『自分の人生は良きものだった』と思ったのじゃ。心の底からな。
 だから、こうして美しく、一際輝かしい、“生きた証”が残ったのだ」
 私は天文学者さんの手の中の星を見た。これが5歳の子の生きた証の輝き──。

「人生とは、他人に評価されるものではない。自分が死ぬ時に初めて、自分で評価ができるのじゃ。他人から見れば平凡な人生でも、自分が充実したと認めたのなら、生きた証がこうして輝いて空に残るのだ。しかし──」
 天文学者さんはトランクの星を眺めながら、ため息をついた。
「最近は、“口だけ”の者は増えておるが、“心の底から”思っておる者は少ないのかもしれん。そのためか、最近はこのような美しい星が取れない……」
 お爺さんは再度ため息をつく。
「これが、最近の儂の悩みなのじゃ」

「さっき取っていた星は?」
「あまり良い輝きではなかった。あれは少し研究したあと販売用じゃな」
「販売……最初に言っていた、食べる人用の?」
「うむ。小さく砕いて金平糖のようにする。それが星屑。それを食べる奴がいる。それが『星屑食い』じゃ。食べたら人ではなくなるがな」
「人でなくなる?」
「一部であっても、魂。つまり命だったもの。それを食べるのじゃ。人の道を外れる。そして代償もあるじゃろう」
「代償?」
「人の魂自体はあの世と呼ばれるところへ。妖などは存在自体が消えゆく。しかし人でも妖でもなくなったものは……」
「どこへいくの?」
「……知らんよ。それは儂の分野ではない。そういった魂の行き先は地理学者か、考古学者か、はたまた夢分析学者か、そのあたりの分野じゃ」
「いろんな学者さんもいるんですね」
 きっとその人たちもの学者ではないんだろう。
 天文学者さんは空を見上げ呟いた。
「何処へ逝きつくのか分からない。未知なる恐怖。……それが代償じゃ」

 天文学者さんは空を見上げたまま「星が出てきたようじゃ」と言った。
 その言葉に天井を見上げると、ガラス屋根を通して夜空一面に星が広がっていた。あれが全て、人が生きたという証。「綺麗……」
「そろそろ帰る時間ではないか?」
「そうですね……ありがとうございました」
 私は帰り支度をし、そのまま天文台の出口の扉から外へ出た。その背後から、天文学者さんの声がした。
「心の底から輝ける、よき人生を」

 後ろを振り向くと、そこには何もなかった。
 あの天文台は跡形もなく、ただの芝生の地面と、夜空の星々が見えるだけだった。
 夢でも、見ていたのだろうか。

「心の底から輝ける人生か……」
 私も残せるのだろうか。“生きた証”を。寿命など伸ばさずに、限られたの時間の中で、“自分自身”が決める、素晴らしい人生を。
 生きていくことは疲れる。きっとこれからも。
 でも、あの黄金のように輝く星になれた人たちが──。
 なんだか少し羨ましい。だからほんの少しだけ。疲れてみてもいいのかもしれない。
 そんなことを考えながら、来た道へと歩を進めた。

十一.『天文学者の悩み』終。


 

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