見出し画像

季節が変わる前に自分の気持ちが変わる(ウサギノヴィッチ)

 全員当選!

 どうも、ウサギノヴィッチです。

 十一月に行われる文フリの参加が決まり、お金を振り込んできました。
 なんと、1200ブースを超えるとかで、過去最高らしく、通路とかを狭くして全部のサークルを当選にしたそうです。
 今回は申込みに出遅れた感があったので、抽選に回ったときはドキドキしましたが、いざ蓋を開けてみれば、なんとまぁってな感じで、自分では想像のできない世界が当日にはあるんだろうなぁと思ってしまいました。

 ただ、最近の自分は怠けているなぁーなんて思っています。一つ締切の原稿が書けて以来、ぼーっと過ごしてます。あと、もう一個締切の原稿があって、あとは公募用の原稿があるんですが、まったく書けないんですよね。
 どっちも想像はできているけど、書こうという気力がわかない。
 今日のこのエッセイも本当は仕事の休憩中に手をつけておこうと思ったのですが、なんかぼーっとタバコ吸いながらスマホで動画見てました。
 あー、それじゃあいかん、帰りの電車で書こうと思ったら、電車でも動画を見てました。
 じゃあ、家帰ってすぐにやろう! と思ったら、崩れかけのラジオのアップロードで気になるところがあったからそこ確認しなければと思い、YouTubeページ開いていたら、なんかYouTubeの機能をところどころで駆使して、明日の動画を修正してたし。

 ふと思ったんですけど、自分の小説を書いている力って、どこか負の力というか、ネガティブなところがないと書けないのかなと思います。最近、崩れる本棚の活動が活発なので、クリエイティブな力がそっちに全部向いているのかもしれないです。先週は収録、今週は読書会。だから、一種の多幸感に近い感じに陥っていて、自分の今いる環境に不満を感じることがないのかもしないです。ぼくの小説は、どこかそういう自分の周りの不条理というじゃ不合理なところをキャッチして書いているところがあるので。小出しにショートショートなんかも書いているから、なおさら小説を書くことの抵抗があるのかもしれないです。

 いや、自分はリアルが充実しているって言っているのではなくて、単に体力がないことを証明してしまっているだけです。

 今、ふとスマホを見たら、KAATでやるケラさん作演の「ドクター・ホフマンのサナトリウム〜カフカ第4の長編〜」のチケットが当たってた。
 これは自慢。
 文フリの前の日に見に行く。
 今年は芝居をテレビが多いけどたくさん見ている。
 見飽きないというのがすごい。
 小説書いていて思うんだけど、自分の書いてある言葉のスピードが、読者の読むスピードとシンクロして、読者と共通イメージをもって、自分の作品の面白なところが伝わったらいいのになと思ってします。だから、ときどき、自分が書いているものが、小説である理由がそれでなくてもいいのではないだろうかと思ってしまう。伝えたい相手にストレートに自分の考えが伝われば、ぼくはどんな方法でもいいのではないだろうかと。
 それが、小説から気持ちが若干離れているのかもしれない理由なのかもしれない。

 じゃあ、それってなんなのさ?
 わからないからとりあえず小説とエッセイを書き、ラジオをやる。
 今は、それだけ。

 次回は、ケラリーノ・サンドロヴィッチについて語ります。

 明日は崩れかけのラジオの更新日です。

この記事が参加している募集

文学フリマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?