東示『HAPPY BIRTH-DAY-DREAM』所感(Pさん)

 出来事は簡単でよく、世界と彩りが提示されれば小説はそれでよいのだ。そう思えた。

 半ば、仲間内のようになった東示さんという人の、文学フリマ東京で購入した、ごく小さい冊子『HAPPY BIRTH-DAY-DREAM』を読んだので、早急に感想を書きつけておきたい。

 栞にしておこうと思った馬券は結局栞にはしなかった。馬券ではなくもう紙となった。記号の意味が、何となく読めてきたところだった。

 表紙には、チェスの盤面のように駒が配置されたマンションの陽の当たる一面であろうものが大写しになっている。マンションは矩形だが、おそらく二点焦点法だろう、紙面をはるかに超える消失点に向けて、それぞれの階の天井の線が集中している。
 ひとつページをめくると、本来目次が来るであろう所に、ナンバリングはしてあるのだが、アルファベットと数字がいくつか並んでおり、内容とはリンクしていない。内容は、ツイッター小説のように、ほとんどブレない文字数の塊が、均一に並んでいるようで、その一つ一つの題名に当たる所に「アルファベット-数字」というものが付いている。
 おそらく、チェスの手順か何かが関係しているんだろう。失礼な話ではあるが、特に調べ物などもせずに読み切ってしまった。なのでこの、表紙の盤面と、その手順の指示と、文章の内容の連関についてはわからない。

 ものすごく簡単に解釈してしまえば、誕生日にウーバーイーツか何かで食べ物を頼んで、このマンションに運び込んだ配達員と、頼んだ若者が邂逅する、という話、話というにはちょっと短い出来事にまとめられるのかもしれない。しかし、出来事にまとめられることを拒み、拒む押し返しの力が文学なのではないか、といっているようであり、多い余白こそを読めと言われているように感じた。

 誕生日だというのは、題名からもそうだが、はじめの二節で、私は何の因果(水と血)が流れ込んで構成されているのだろうか、と感慨に浸っていることからもわかる。弱視の方にはちと読めないほどの小文字で機械的に並べられている文塊と本のサイズのマッチ感、言葉の飛び方等々に、今まで詩を読み書きしてきた経験を感じられる、我々にはなかなかそういう発想は沸かない。
 こんな風に可読性をぶっちぎった本もそのうち作ってみたい。

 イメージが飛び、時間ではない時間が流れる、ふつうの文章とは違う時間が流れる、今までの時間を時間だと思っていた人はおそらく流れの違いに戸惑うであろう。だがこれこそが時間だと思う。手続きによってのみ構成される、例えばプログラミングのコードとか数独とか、主人公が選択をしなければ永遠に待っている昔のRPGとか、チェスも、盤面の計算を行う範囲では、人間の操作が介在しなければ、無時間的と言える。メシアンが四重奏曲で終わらせた時間である。解釈が変わったということで、時間が本当になくなったわけではない。

 マンションによって区切られた矩形の中の矩形の中に、世帯が並置される。生活を比較する。格差を感じる。世-この世(あの世)-世間-世界のありよう を感じる、意味が存在の多重になることを記述している。

 我々はこうして、目先の楽しさというより、多様性を切り開かなければいけない。その意味で、楽しさというより、「ふーん、こんなやり方もあるんだ」と、何度か目を通し感じ入ったという感想の方が近い。貴重な体験には違いない。
 こういった体験ができるのは、やはり文学フリマを措いて他にはないだろう。

 散漫な所感でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?