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半径5mの世界が自分の世界である現実

例えば病院にいたらそこは病人だらけ。
紛争地帯にいたらそこは戦場でいつ殺されるか分からない。

毎日誰がが亡くなっては産まれている時間がある。
不慮の事故もあれば、とてつもない幸せな1日だった人もいる。

そんな世の中を知るためにインターネットがあって、情報が錯綜し、氾濫し、今では地球の裏側の情報も瞬時に取れるようになった。

そんな産業革命が起きている現代に(本当に産業革命がインターネットで行われていることを毎日自覚した方が良いという自戒も込めて)、自分達が、自分の会社が、社会に何が出来ようかということをよく考える。

恵まれた者の義務という言葉がある。
しかし、その前提として自分の特徴や強みを活かせる場所で充実した生活基盤を備えていることが重要だ。

自分が持っている豊かさは世界のどこか、誰かに還元すべきという考えが私にもある。

それはカネの多寡とか時間を使えとかそういう話ではなく、どういう形で貢献するかを思考し、実行にまで移して、初めて相手に感謝される。

そのような接点の持ち方で人とのコミュニケーションを築き、良い関係性が生まれ、小さいながらにも集団が創られ、やがてコミュニティとなっていき、その人の社会が醸成される。

豊かさを還元することで社会を生み出せるのが人だとしたら、その人達が形作る社会はさぞ幸福なユートピアであるはずだ。

しかし、現実はそうではない。
…。

なぜか。


そこには人としての根本的な”質”や”環境”等、このような話の土台にすら立つことさえ出来ないまま生まれた人もいるから。


である。
これは由々しき問題である、とよく言われ、普段の生活でもそのような違いから生じる軋轢やコミュニケーションの摩擦、価値観の相違、合う合わない等の話が日々浮上しているはずだ。

そしてこれは自分の身の回りだけでなく、会社単位でも合う合わないもあれば、自治体同士、延いては国同士でもあることです。

だから世の中でも紛争が起こる。
人が人を殺める。憎しみ合う。

人の死は怪我や事故、病気等ももちろんあるが、直接的ではないにせよ精神的な部分を追い詰めて人を死に追いやることだってある。

そんな社会に何が求められる?
何を望んでる?

だからこそ、この革命中の現代に、人の在り方や生活基盤の構造そのもの、社会との接点の持ち方がドラスティックに進化している時間を噛み締めながら、「原点に帰るための、身近な人を大切に」という意味も込めて、今回のタイトルにした。

世の中何が正解かは分からない、だからこそ信念、理念、情念が大事になってくる。
そんなことは言うまでもない。

今思うと”念”という言葉はとても素敵だと思う。
「今に心」。今、自分の心には何が宿っているのか。

それを言葉として表現出来、誰かに伝えることが出来る。
そんな世界に生まれていることを幸せと感じ、感謝の気持ちをまた誰かに伝えられる。

言葉というのは非常に優秀な道具であり、時に人を傷つけ、憎しみ合う種ともなるが、こんなにも相手と意思疎通を図れるものなのかと、考えれば考えるほど深みにハマっていく。

そして先ほどの話ではないが、人を追い詰め、追いやり、死を想像させるのもまた、言葉であり、人との関係性でもある。

よく社会通念上、とかいう言葉がSNSにも出るようになった。
あまりその通念を押し付けても意味がないのだが、その理由は人によってその”社会”そのものが異なるからであって、だからネット上での議論は紛糾して収拾が付かなくなることがある。

人によって社会は異なる、まずはそこを認めるところから皆が始めないと何も議論やコミュニケーションの土台に乗らない。

さらに、問題なのはその社会構造であっても、個人単体を攻撃するようなことはあってはならないと常々思う。どうか個人攻撃をしないで(する前に本当によく考えて、自分の吐口ノートやメモに書くで収まらないか)あげてほしい。

少し話が脱線してきているので戻すが、「身近な人を大事に」というある種の情念は、普段自分が送られてきている感謝の量をそのまま、後継者や次の世代、若い人たちに送るためにすることと考える。

この小さな行為そのものが、先ほど申し上げた社会を徐々に創り出すと思うので、先代や先輩、親、先人達から受けた恩は次世代に返すという言葉で送りたい。

社会の母集団を形作る上での知や面倒見は、世代間贈与だと思う。
世の中はこんなにも生き延びるのに大変で厳しく、しんどいもので、望むものが多ければ多いほど、そこに立ち向かうための努力や思考は深く、そして長くなければならないこともここに記しておく。

そして自分も含め人生において必要なのは、ある一定の条件それ単体への適応能力だけではなく、社会というゲームのルールそれ自体をも問う疑念と相対化、そして内省し共感していく力だと感じている。

斯くある私も、道半ばだ。


今日はこの辺で。
それでは。


ヘッダーの画像はこちらの文章を元に「社会は人々を受け入れるというイメージ」で生成したAI画像です。

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