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極私的萌え 日々風呂日記#34

"ツマミ"って萌える。

今日はそんな話

好き

みんなそれぞれ好きなものってあるはずだ

別にそれが特別に他に変えがたく好きだっていうものでなくても。

それに、これ!ジャストこれ!ってなくても
あーなんとなーくこういうの好きだなっていうもの

あーなんとなーくこの絵柄好き とか
あーなんとなーくこの音楽好き とか

じゃあその好き。ってなんだろうか
ぼくはそういうどうしても立ち上がってきてしまうそんな感覚に耳を澄ませ考えるのが好きだ

それは
これしか考えられないっていう好きよりもしろ
なんとなーく好きという曖昧な好きに対しては特に

だってそれは

特に考えてもないのに好きと感じてしまう

そんな感覚でかつ

まだ自分がはっきりわかっていないけれど
それでも好きだと感じている感覚

そんな感覚だと思うから

それは未知の自分であって
それこそ間違いなく他に変え難い自分自身であると
そう信じているから
そう信じたいから

まだ知らない自分をまだまだ知りたい

そんなふうに思いながら
いつもその雰囲気のような好きを探している

嫌い

じゃあ逆に嫌いってなんだろうか

それこそ逆に
好きよりわかりやすい感覚かもしれない

直感的に あるいは
生理的に というやつかな
そんな感覚

嫌いはすぐにわかりやすく自分の中で立ち上がる

でもぼくはそれが現れた時は
注意深くその感覚を観察することにしている

それは好きの感覚以上に注意深く

でないと嫌いだと思ってしまったら
その感覚のわかりやすさから
その先の思考を停止してしまって
ただ嫌いとして排除してしまうから

ぼくの嫌いは誰かの好きかもしれないし
ぼくがまだ気づいていないだけで
好きがその奥にあることだってある

博愛主義だ。つまらない。
そう言われてもいい

ぼくは嫌いという感覚も
きちんと自分自身として愛したいし

何よりそこにあるぼく以外の好きを
きちんと愛したいたいから

排他

ぼくは結局何も捨てられないだけかもしれない

排他的であることに負い目を感じてしまう

でもそんなぼくなら
そんなぼくだからこそ
それなら全部を愛してやろう 
そんな風に考えてみる

そうしないとやっぱり戦争なんてなくならないから

そんな風に実は密かに
でも割と真剣に、考えていたりする

共感

これは以前にも書いたような気がするから
もし良かったら遡ってみてほしいけれど

やっぱりぼくにとって共感を得ることは
とても大切なことだ

自分は自分で
他の人がどう思おうと
自分の正しさを信じていればそれでいい

たしかにそれもそうかもしれない

でもそれではやっぱり1人すぎる

ぼくはたびたび 戦争をなくしたい なんて
そんな表現を使うけれど

自分自身だけの正しさを信じるだけでは
やっぱり世界は狭すぎる
そんな風に思う

人はそこまで一人で生きているわけでも
生きていけるわけでもない

その考えこそ自己中心な考えだと言われそうだ

だからぼくはそれを共感してもらえるように
明日もその道を その未知を探しているだろうし
だから明日も生きるんだと思う

今日ののぼせ具合

今日ののぼせ具合は110%
少し長風呂した

それにツマミの話はどこいった?って感じだと思う書き終わって自分もそう思ったのだから間違いない

でも今日楽器屋でシンセのツマミを見て
こんなことを考えていたのだから
まぁ結局 ツマミって萌える そんな話だ

それでは、おやすみなさい。

シンセサイザーのツマミって萌える
もうそれだけで無限の創造を表層している

無限の宇宙がツマミに
その羅列に現れている

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