私のDriver

 実はかねてから休日の過ごし方について自らでこれで良しと思えていない。もちろん毎回の休日でという訳ではないのだけれど、頻度は高い。自身の幸不幸について思考する際には、客観性を欠いてどこまでも主観的になると酷く偏って落ち込んでしまう。なので前述のように補足することで気をつけている。前置きが多くなってしまった。
 書いておきたいことはこうだ。私には依存症的な傾向があると考えていて、過食→過眠→起床後の酷い倦怠感と鬱的な症状というループから抜けられないでいる。他の対象に依存していた頃と比べれば他害にならないだけ幾らかはマシかと思われるが、それでもこの自傷的状況が幸せだとは考えられないので、何とか抜け出したいと思う。依存症やそれに近い反復行動というのは、表面化した結果であり、そうならなければならない理由、苦しみがある事実に目を向けていかなければならないと考えている。
 果たして俺は、今自分の人生を運転しているのか。そんな問いにたどり着く。またしてもと言える。俺は自分がしたいと思っていることをやれているのか。そう思えないからこれを書かなければならなかったのだろう。俺は自分がこうしたいということよりも、この場面では、この人の為には、これをした方がいいのかな。こうした方がいいよな等と考えてばかりいる。そんな自分に深く落ち込む。そしてこれももう何度もやって来た自問だ。
 後のことは昔書いた詩が語ってくれていたのではないかなとふと思い、作品を見返すこととなった。もっと書くべきこと、書きたいこともあるとは思うのだが、私に力が足りず、それはつまり精神力という意味において、だから過去の作品に頼って締めたいと思う。やっぱり、前を向いて生きていくことを諦められない。どんなに大変でも。

 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。



「Driver」

人生に巻き込まれることが好きとヘラヘラと笑っている
渦自体になることを恐れて、内心では羨望と妬みと
いつの間にか手放していたらしいハンドルが右へ左へ
時に大きく切られるハンドルにからだが激しく振られる
あれ?これ誰のものだっけ?と気がついて前を見ると、運転席には見知らぬ誰か
「はじめからずっと居ましたよ」というような顔をして座っている
「そうか」とひとつ理解をして、せめてシートベルトを装着したりしなかったりした

一日のはじめに、毎週月曜日の朝に誓う
人生をコントロールすると
気がつくとからだを右へ左へとぶつけていた
運転席にあったはずのからだ
後部座席の両端の壁に何度も打ちつけた両肩に痣が滲み始めていた
いっそ刺すような大きな痛みで して欲しい
「そうか」とひとつ理解をして、せめてシートベルトを装着しないことだけを選択していた

一日のはじめに、毎週月曜日の朝に誓う
誓いはやがて意識の遠くへ
いつを起点にそうなっていくのかもはっきりとしない程に、日常はあまりにも容易くその存在をのみ込んでいった

寄せて返す波を延々ただ見つめていた
数時間前、もがきながらたどり着いたそこはどこか見知らぬ島の浜辺で、時間はとにかく夜のようだった
星が高く無数だった
ピキッと頭痛がして、右手で患部と思われる辺りを押さえた
記憶がない
朝が来た
腹の中を空腹の痛みが刺す
どこかで子どもたちの嬉々とした声が響いている
同じく嬉しそうな犬の鳴き声
立ち上がろうとするときフラついて、身体中に痛みが走った
ここまでの長い旅を知らされた
見たこともない植物群を掻き分け進むと声の正体に行き当たった
幼少期の私だった
左胸を鷲掴みつつ嗚咽した
いつの間にか渦にのみ込まれていたようだった

二十四時間では全然足りない
言葉も心も追いつけない
それでも追いかけるしかない時を生きている
朝、一日の始まり
通勤電車に身も心も揺られる時間に、同じような想いを抱いている人がいないかとSNSをチェックすることが癖になった
みんな、みんな本当に?この焦燥感を持たないの?
いつも間に合えないこの苦しさと、何より、言葉に出来ない想いを持っているということ自体への苦しみを
みんな、みんな本当に?この不安を抱かないの?

前をゆく人たちの集団を追いかけるみたいにして今日も向かっている
この人たちが一人も居なければ、僕らは歩みを止めるのだろうか
からだもこころも重い
想いを捨てて前へゆくことがそのまま重さになる
誰か、一緒に笑ってくれ
一緒に
一緒に笑ってくれ
ここが変だと、一緒に笑ってくれ

二十四時間では全然足りない
言葉も心も追いつけない
それでも追いかけるしかない時を生きている

朝、一日の始まり
一日の始まりに、願っている
人生をコントロールしたいと
願っている




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