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「厳しい」とは黙って見守ること

皆さん「厳しい」と聞いてどのようなイメージをするでしょうか。
「子どもがダメなことをした時に叱る親」
「生徒が宿題を忘れたときに叱る先生」
などですかね。

つまり、お説教をすることが「厳しい」ことととらえる方も少なくないはずです。
僕もそう思っていました。
でも、最近の僕の記事を見ている方はお察しの通り、「叱る」ことは教育において必要がないと断言しているので使いません。

その代わりに、「100回説教をするより、たった1回の痛恨の経験」が子どもを伸ばします。

僕が実際塾で試しているのが、宿題をしてこない子に対して、まったく怒らないようにしています。
するように促してもダメなときはそれならそれでいいから次に進もうとします。
まだ実験中ですが、その子の次のテストの結果が悲惨なことになったとき、おそらく気づくと思います。
また、良い結果が出た時はその子に宿題が必要ないというデータになるのでそれはそれでOKです。

今回のケースのように、何回忘れ物をしようが時間にルーズなままでいようが、試合や学校で活躍していれば許される。
そんな環境で育った子どもはその先伸びしろがあるでしょうか。

例えば、元サッカー日本代表・現名古屋グランパスに所属する柿谷曜一朗選手。
彼は、セレッソ大阪最年少でプロ契約し、17歳以下の日本代表でも活躍していました。しかし、当時のチームの監督から練習での遅刻の多さを指摘されていました。
セレッソ大阪から放出された徳島ヴォルティスで再び活躍しました。その理由は、出会った先輩の姿を見て改心したからです。
徳島の先輩は練習の2時間前からアップをする姿を見て、刺激を受けたそうです。
彼は、もっと若いころに遅刻癖を直すべきだったと後悔しているそうです。

こういった経験は人から何回聞いた分よりも効果的なのです。
これも1つの内発的動機付けです。

では、本当の「厳しい」とは何だろうか。

例えば、あるサッカーチームで練習試合に遅刻したレギュラー選手がいるとします。
その時、監督やコーチはどんな対応をするだろうか。
なに遅刻してるんだ!」と𠮟る。
もしくは何も言わず、遅刻した選手を試合に出さずにベンチで座らせておくのか。

皆さん、どちらが「厳しい」と思いますか。

教育とは、問いかけて気づきを与えるものです。
前者の叱ることは論外です。
後者の監督やコーチは無言の問いかけをしています。
そこに
「君は本当にサッカーに集中しているか?」
「準備に怠りはなかったかな?」
のようなメッセージが込められています。

厳しさの1つは、ハードルを用意してあげること。
子どもが自分で考え、自分自身で修正していくために越えなければならないハードルです。
高すぎず、低すぎずに設定してあげる必要があります。

ここで大事なのが、決して罰という意味のペナルティであってはいけないということです。

これは、親子の関係でも同じです。

親は、子どもに強くなってほしい、成長してほしいと願うあまり、干渉してしまいます。
そのため、「ああしろ」「こうしろ」と言ってしまいます。
それは、「厳しい」とは言いません。

本当に厳しい親は、子ども自身が自分んの現状に気づくことを待ちます
「叱る」という干渉をできるだけ避けます。

「今、うまくいってる?」
「どうするべき?」
子どもと対話しながら、わが子が自ら道を切り拓く成長へのプロセスを見守ります

やはり必要なのは、「問いかける」ということです。
教育者の皆さんにはぜひ意識してもらいたいと思います。
そして、見守ってあげましょう。

では、また!👋🏻

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