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読書日記 vol.2 ダンスレッスンで起こる価値観のアップデート

10月某日。

娘はダンスを習っている。週に一回、一時間。
教室内に親は入ることができず、待合室で教室の様子が映っているモニターを眺める。音声は聞こえないので、動く様子を見るだけ。
複数のレッスンが同時進行しているので、待合室はいつも賑わっている。

この待ち時間が、今や私の貴重な読書タイムになっている。

最近は聖書を勉強していて、少しずつキリスト教への解像度が上がっている。ということは宗教画への解像度も上がっているはずだよな、と思い購入した『天使と悪魔の絵画史』を読む。

「キリスト教美術の深淵に触れる」というサブタイトルだが、浅瀬で終わる感じは否めない。何せ見開きで何枚もの絵を紹介するわけで、深淵まで辿り着くほどの説明を書く物理的スペースがないから無理もないと思う。

むしろ、もっと知りたい!と思うものを見つける良いきっかけになりそう。時代や場所を超えて、何人もの画家が同じ主題を描くなんて、キリスト教の影響力は凄まじい。主題ごとに作品をまとめてくれているので、比較もできて面白い。画家それぞれの解釈の違いもさることながら、教会の力関係とか、ウケのいい主題とか、時代背景が反映されてるんだなあ、としみじみ。

ちょっとおどろおどろしさすらある表紙の、謎の言語の本を待合室で読むアジア人。which is 私。でも誰も気にしてないので気楽。

ちょっと前の私なら、この賑やかな空間でひとり、誰とも交差しない自分の孤独さに少し打ちのめされていたと思う。

でも今なら大丈夫。私、友達いるんで。友達の力ってすごいな。いないときにも私の存在を肯定してくれる。


近々イタリアへ旅行する予定なので、最近はひたすらイタリアについて情報収集している。

何かを選ぶとき、決めるときはまずとことん情報を集める。拡大してから収斂する、が私の基本のやり方だ。初めての土地について知りたいときの、『地球の歩き方』の頼もしさったらない。

「土地名 観光」で検索すれば鬼のように情報が出てくる。『イタリアおすすめスポット75選!』みたいなページを見つけた時は笑った。頼むから選んでくれよ!

おすすめ○選!も参考にはなるけど、主要スポットを羅列しただけで「詳細は自分で調べてね」みたいな態度のものが多い。その点、『地球の歩き方』は必要情報を過不足なく伝えてくる感じがすごい。本当にこの一冊があればたいていの人は事足りるようにできているのだ。

私は死ぬほど情報を集めたい部類ではあるものの、やはり入口としては重宝する。『地球の歩き方』が、観光スポットの人気たる理由や見どころ、場所や他の観光スポットとの位置関係などをまとめてくれるおかげで、ざっくりとした旅行計画が立てられる。ありがとう、地球の歩き方!


夫が少し前に日本語図書館主催の古本市で買ったこの本も、イタリアに行くなら読んでおきたいなあ、と常に頭の片隅にある。まるでイタリア旅行を予見していたかのようなタイミングで我が家にやってきた本。私はとりわけローマに興味があるわけではないけど、知ってから行った方が100万倍面白いことはわかっている。わかってるんだ…。

ローマが好きすぎてローマに住み、ローマの本を書いて暮らしている塩野七生さんの人生、最高だなー。

先に挙げた『天使と悪魔の絵画史』もイタリア旅行を決める前に購入したのだけど、まさにこれから見るであろう絵が大量に載っていてめちゃくちゃ良き。旅の前からテンションが上がる。


さて、一時間のダンスレッスンが終わりに近づくと、教室の入口まで娘を迎えにいく。各教室には外へ繋がるドアもついていて、レッスンへの出入りはそのドアを介して行う。大量の生徒が出入りしても混雑しない設計になっている。賢い。

同じレッスンを受けるメンバーは娘を入れて5人。モニター越しに見ていると、なんとなく、娘が馴染めてないように感じる。他の子達は互いにきゃっきゃとはしゃぐモーメントがあるのだが、娘にはない。心臓がキュッと締め付けられる。

5人のうち、娘だけがアジア人。見た目が西洋人だったら、英語がネイティブ並みに喋れたら、娘もみんなと楽しく交流しているんだろうか、なんて考えてしまう。

この記事に書いたことで、ずっと悩み続けている日々だ。

そんな親の心配をよそに、教室から出てきた娘はハッピーで、今日習ったポーズをやって見せてくれた。

今から始まる次のクラスに入っていく子どもたちを羨ましそうに見つめ、ニヤッと笑ってその子たちに混じってもう一度教室に入ろうとする。

なんだ、楽しんでたのか。

娘を「かわいそう」と決めつけていた自分に気づく。同じ教室の子とは仲良くなれた方がいい、交流できた方がいい。それを決めるのは私でなくて娘なのに。本人がハッピーなら、それ以上のことはない。

私も待合室でひとりぼっちで、ハッピーだったのに。娘のこととなるとあれこれ考えてしまう。

自分以上に大切なのに見守ることしかできない人生が目の前にあるの、ままならないなあ。


夜。娘も夫も既に眠り、ネットの徘徊もあらかた終えたので本を読むことにした。知っても知らなくても私の人生に何の影響もない情報をネットで読み漁ってしまうの、やめたい。

Podcastの相方であるかなさんが薦めてくれたエッセイを寝床で買った。

エピソードの抽出と何気ない感情の描写がうまくておかしい。おもしろい、じゃなくておかしい、と言いたくなる感じ。私もこのように数々の記憶を記録できたら、と思う。

好きな箇所を抜き出すと無限になりそうなんだけど、例えが秀逸だよなあと思う。

タクシーの移動が多かったり、仕事で出かけてロケバスであちこち連れ歩かれた町は、どうしてもあとに残る印象が薄い。名前は覚えているのに、顔が思い出せないあの人、みたいなことになってしまう。

わたしは手に入れたにらの束を高くかかげて走りだしたい気分だった、聖火ランナーのように。

ヨーロッパでなかなか手に入らない「ニラ」を見つけた高揚感を聖火ランナーに例えるの好きすぎるなあ。

すぐに読み終えてしまいそうなので、惜しい気持ちになって本を閉じる。

おすすめしてもらってよかった。この本を知ることなく人生を終えるところだった。かなさん、ありがとうございます。

かなさんがおすすめのエッセイをまとめてくれたnoteはこちら▼


そう言えばこの日の寝かしつけ絵本はなんだったっけな。

最近毎晩のように読んでいるのが、「11ぴきのねこ」シリーズ。
これも日本語図書館主催の古本市で見つけて購入し、娘が気に入ったのでその後同じシリーズを何冊か借りている。我が家のコンテンツを支えてくれる日本語図書館よ、ありがとう。

腹ペコのねこたちが巨大な魚を捕まえる話なのだが、魚には好きな歌があったり、お気に入りの島で昼寝していたりして、何も喋らない魚に次第に親しみが湧いてくる。

だからねこたちが一斉に魚に襲いかかるシーンは残酷にすら感じた。ねこが魚を食べること自体は当たり前すぎるのだけれど、この描き方は今はもうしないだろうな、と思う。いいとか悪いとかではなく、この本が出版された1967年とは色んなことが違っている。

ミクロでも、マクロでも、価値観のアップデートは起こっているなあ。価値観を必ずしも変えなくても、複数の価値観を知り、状況に応じて切り替えることは必要だと思っている。

誰と交わらなくとも一人で踊ることがそれだけで楽しいと、娘が教えてくれたように。




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