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人間関係のすべて/僕は犬だけど、あなたは鳥で、君は猫で。

人と関わる中での依存とか執着とか
いろいろな話があるけど
それは探求するべき矛先が
本来なら自分に向いてるべき所で
人に対して向いてしまっているって話は
なんかもう見飽きるくらい昨今のSNSには
出回ってるし
そんな話に興味すらない人だって
たくさんいる。

僕は過去から現在の自分の身を通して
自分の課題と人の課題を履き違え続けてた
身に覚えもあるし
それに気づくのにすごく時間もかかったし
まぁ本当そんな状態にも状況を作ってたことにも
粉々になるまで嫌になってうんざりした
だから敢えてまたその自分を自覚するために
今日はまたちゃんと書いておこうと思う。

社会に出てお金を稼ぐとなると
どうしても人と関わらなければならないし
子供じゃないから護ってもらい続けられる事の方が
広く一般的には珍しいこと。

だから全然自分と違う種類の
生き物の動物の皆さんと関わらないといけない

その中で本当に心から信頼できる人と
出逢うなんてことは
とてつもなく超絶レアなことで
ほとんどの場合が表面的な関わりに
ならざるを得ないと思う

ただ
人間の世界というのはそういうもの
だし
それに悩んだとて
そんな自然原理、法則みたいなことは
死ぬまで悩んでも1ミリも変わらないから
悩む意味がないわけで

となるとやっぱりどこまでも
関わるという行いにおいては
自分自身のことしか探求できないし
人のことを変えようなんてのは
鳥を猫にするとか
大きな木を魚に変える!っていうのと
おんなじことなわけで
じゃああなたが仮に猫だとして
周りからひたすら
「ゾウになれ!」と言われ続けたとて
そんなものは無理なわけでしょ

みんなそれをわかってないんだ

根本的なところでは相変わらず
「僕らはみんな同じ人間!」
だなんてそんな

色んな種類の動物たちが
アフリカのジャングルで
「僕らはみんな同じ動物!」
ってやれるか?
絶対に無理だそんなもん

それを僕らはやろうとし続けてきたし
いまだにそういう事が多いし
いつまで経っても
そんなことを繰り返している。

個人的にはありがたいことに
いま自分の周りには
僕に対してそう接する人はいない。

この話はnoteを書き始めた4年前からも
度々ここで書いてきたし
もっといえばこのことに気づいた
11年くらい前から
度々人との会話の中でも言ってきた。
自分自身がちゃんと腹に落ちて
暮らせるようになったのは
ついやっと最近なのかもしれないけど。

人を変えてはいけない。
と言っていた人がいたけど
その意味は今まさに書いた事だし
さらに言えば
変えられるはずのないことを
無理矢理変えようとするのは
暴力とおなじなんだということ。
見た目の姿形はかわらずとも
中身はボコボコのぐちゃぐちゃになる。

お互いにそうならない為には
やはり
適切な距離を取って
すべての人と関わる事。
これが最も大切なことだと
改めて本当に身を持って感じる。

嫌いな奴、ムカつく奴とは
関わらなければいいなんて
そんな風にできないのだとしても
関わり方を見直すことで
少なくとも視界から消す事もできたり
後はそもそもそんなに負担がデカい
負荷のかかるほど違う生き物なら
例えそれがビジネスだとしても
お金が生まれるのだとしても
そことは関わらないというのが正しい選択だと
これは最近まわりにいる
仕事で関わる人たちみんなが
同じことをそれぞれで言っているのを見て学んだ。

例えば大きな利益が生まれるとしても
それで心を蝕まれる様な相手とは関わらない

この決断をしないと
目先の利益以上のマイナスを抱えることになる

ここでもやはり、見ているのは自分
判断基準は自分に置いていて
相手に置いていない

合う、合わないの判断は必要で
合わないのなら去るしかない

そうでなければ身を滅ぼす。
これも自然の法則だなと思う。


この文の最後に
これを読んでくれた皆さんと僕が
それぞれがそれぞれに
適度な距離感で楽しく人と関わり
世の中で生きてけることを願って。

2024.04.21(日)
二階堂 新太郎


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