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私が家業を継ぐことにした理由

はじめまして! 『のぶ』こと小柳宜久です!
記事をお読みいただきありがとうございます。

本日はタイトルの通り、私の実家である広島県の建設会社
株式会社ヒロコウを継ごうと決めた理由」についてお話したいと思います。

まず初めに、家業を継ぐというと、どちらかと言えば親世代から子世代へ半ば強制的に継がせるというイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。
しかし、私の場合は全くの逆で、当初父親は家業を継ぐことに反対でしたが、私が「継ぎたい」と説得して家業を継ぐことになりました。これを念頭に置いていただき記事をお読みください。

やりたいことを叶えるための事業継承

結論 私には人生を通して”やりたいこと”があり、それを叶えるために家業を継ぐことにしました。
家業を継ぐという選択肢が一番、やりたいことの実現可能性が高いと考えたためです。

そして、私が”やりたいこと” それは、
「なりたい自分になれる人を増やす」ということです。

もともと、私の頭の中に家業を継ぐということは一切ありませんでした。
大学1年(19歳)の時から自分の会社を創りたい(起業したい)と思い、そのための行動をずっとしてきていました。

例えば・・・

  • 経営には人材マネジメントが重要だと思い、積極的に様々な団体やグループでリーダーを務める

  • 経営者になるためには経営者の近くで働くことが最短だと思い、クライアントが経営者になる経営コンサルティング会社に入社する

  • 起業するためには事業を立ち上げる必要があるので、働いている会社内で新規事業を数多く提案して、事業の立ち上げを経験する  etc

目標に進んでいる しかし、モヤモヤする日々


着々と経営者になる準備が進んでいる。そう思っている気持ちとは裏腹に
なぜか、モヤモヤとする日々が続きました。

なぜか、、、、

そんな日々の中で、たまたま少年野球をやっていた時に、バッテリーを組んでいた親友と何でもない話題の電話をしていた時に、思わず心の内を吐露しました。すると、思ってもみない言葉が出てきました。

『「自分は起業するんだ!」ということを自分で自分に脅迫していないか?』

彼は新聞記者なのですが、さすがのワードセンスでスッと私の心が楽になったのを覚えています。要するに起業することに頭でっかちになっており、身動きがとれないように自分自身で追い込んでいたのです。

自分の思考を深堀してみる時間


それから、一旦 頭をフラットにして自分の人生を再度、冷静に考え直しました。

「自分ってどうして起業を目指していたんだっけ?」

これを改めて深堀してみて、初心を思い出します。

「責任が重い仕事をしていきたい」
「人の役に立つ人生を送りたい」

私にとって「責任が重い仕事」というのが経営者でした。そして、「人の役に立つ」というのが、「関わる相手が自己実現できるように手助けする」ということでした。自己実現を嚙み砕いた言葉が「なりたい自分になれる」です。

そのように考えると起業の背景にあった考え方は「経営者」である必要はありますが、起業にこだわる必要はなかったと思い直します。

家業をベースに自分のやりたいことを叶える

私のやりたいことは「なりたい自分になれる人を増やす」です。
これを叶えることが目的であり、手段として「起業」を考えていました。とすると、0から会社を創る「起業」よりも、すでに会社として存在している家業を継いで、これを叶えられるように活動した方が実現可能性が高い、そのように結論が付きました。

幸い、家業には36年間会社が続いているという実績と第三者からの十分すぎる信頼がありました。また、現社長である私の父親も、私の「なりたい自分になれる人を増やす」という思いに共感してくれました。

これからは父親が築き上げた株式会社ヒロコウをベースに、より会社を大きくしていき、「なりたい自分になれる人を増やす」というビジョンを叶えていこうと思っています。

まずは、今いる株式会社ヒロコウの社員の方々がなりたい自分になれる環境を整えることに全力で注力していきます。


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