家族愛と親孝行
親孝行の決意
長い反抗期が終わった。
きっと、そういうことなんだろうなと、自分では認識している。
家族愛は信じていない。
けれども、これからは、親孝行して生きていこう。
そう思う。
結婚について
僕も、結婚して、変わったのかもしれない。
結婚というものの認識自体も変わった。
結婚という戸籍制度には今でも反対だけれども、結婚という文化には賛成。
そんな感じかもしれない。
家族愛言説について
僕は、ずっと、家族愛言説に嫌悪を抱いてきた。
(そういえば、この前、「嫌悪」という感情について考え、自分とは異なる物を無理矢理押し付けられることへの不快感というような言い換えをしたけれども、僕が家族愛言説に抱いているのは、まさに、「嫌悪」だ。)
僕が家族愛言説と呼んでいるのは、簡単に言えば、「家族においては生まれながらの愛による結びつきがあるとする主張」や、「家族は互いを愛し合ってともに生きていかなければならないとする主張」、「家族を愛するのであれば家族のために自分を捧げなければいけないとする主張」など、家族愛を信奉し特定の価値観にもとづいた規範を強制するような言説のことをさす。
このように言うと、そんな特定の価値観を強制するような家族愛言説を唱える人なんているのかと、そう思われるかもしれない。
けれども、そういう人は、一定程度いる。
もしかしたら、この記事の読者の中にも、そういう人がいるかもしれない。
家族愛言説は、家族愛を信仰する価値観の外部に生きる人間にとっては、とても偏った考え方に感じられる。
けれども、自覚があるにせよないにせよ、家族愛言説を信仰している人間にとっては、このあり方は人間の生き方における絶対的な真理のように感じられる。
そういうものであるように思う。
家族愛言説による苦しみ
僕は、ずっと、家族愛言説に苦しめられてきた。
家族愛言説に苦しむというときの苦しみ方には、いろいろなものがあるだろう。
愛することができる家族がいないのに、家族を愛することを規範として押し付けられて、その不可能性に苦しむという苦しみ方。
家族のことをどうしても愛することができないのに、家族は愛し合うべきだという規範を押し付けられて苦しむという苦しみ方。
自分自身が、本当は家族愛言説から逃れたいのに、自分の思想の内側に巣食う家族愛言説によって自縄自縛に苦しむという苦しみ方。
いろんな苦しみ方があると思う。
僕の選択
僕は、自分の人生を生きる上では家族と距離を取らなければ快活に生きることができなかったから、自分の人生を生きる上での必要感から家族と離れた。
けれども、家族愛言説を信仰する人から、過度に家族と会うことを勧めるような干渉をされたり、家族愛言説を受け入れていないことを非難されたり、いろいろなことがあった。
今でも、当時、家族から離れる選択をしたことは間違っていたとは思っていない。
僕は、結婚についても、家族に一切伝えずに結婚した。
家族から干渉されて自分の人生を失いたくなかったからだ。
ここまでの記事を読んで、家族愛言説への信仰を批判する私の主張に賛同していた人も、家族に一切報告せずに結婚したという私のエピソードを読み、一気に私の主張は過度な主張だと思い直したかもしれない。
でも、僕にとっては、それが必要だったし、後悔しない人生を送るためには、こうするしかなかった。
母にとっての僕の結婚
結果的に、母にとっても、僕の結婚は、いろいろな面でプラスだったのではないかと思っている。
女三姉妹で生きてきた母にとって、男三兄弟が生まれたことは、我が家が大変だったことの大きな要因の一つであるに違いないと、僕は思っているのだけれども、そんな母にとって、僕の妻は、ようやく還暦を過ぎてできた娘のような存在に思えるようだ。
母自身がそんなことを口にはしないが、そんな感じなんだろうなぁということを、母を見ていて感じる。
僕の家族関係問題
そんなわけで、家族関係については、いろいろあった。
ずっと、悩んできた。
兄の暴力によって、僕はいとこの家に預けられ、父とは15年間、一切会わずに生きてきた。
大学院生の頃に、父が大きな怪我をして、食事介助のために父の病院に出向いた。
そのときには、自分の父親という感覚はなく、僕にとって目の前にいたのは、介助を必要とする一人のおじさんだった。
兄の暴力については、兄の方にもそれなりの論理はあったのだと思っている。
だから、今更、どうこう言うつもりはない。
けれども、母から、関わりたくない兄とも、家族だから一つになりたいというようなことを言われたときには、僕は、全く賛同できなかった。
祖母の葬式のときに、祖母に対しても散々暴力を振るった兄が、祖母のことを「僕の大切なおばあちゃん」と呼んだときにも、僕は、なぜそんなことを平然と言うことができるのか、全く理解ができなかった。
だから、過去の修繕不可能な家族問題はもう修繕不可能なものとして触れないものとして、今できる個別的な人と人との関係の作り直しをすることしかできないと、僕は思っていた。
いや、今でもそう思っている。
僕の結婚のインパクト
僕にとっては思ってもいなかった効果だけれども、僕の結婚は、僕の家族にとって、だいぶインパクトのあるものだったらしい。
最初は、あまり受け止められない様子だった。
まぁ、僕の結婚初期というのは、本当にいろいろと大変だったから、それを事後報告されていきなり受け止められないというのも無理のないことだっただろう。
でも、僕は、受け止められない家族の反応にも自分を規定されたくなかったから、できるだけ家族の話は聞かないことにした。
結果、今は、幸せな結婚生活を送っている。
ここまで来るのに、本当に大変だったけれど、ようやく幸せな結婚生活にたどり着いたと思っている。
ときに、人の話というのは聞かない方がいいこともある。
僕は、そう思っている。
まだまだこの先も大変なことはたくさんあるかもしれないけれども、この駆け抜けた1年半より大変なことは、そうそう無いと思う。
ところで、僕が結婚してから、家族の僕に対する見方は変わった気がする。
僕は、兄弟の中で一番年下で、家族の中でずっと一番弱い存在として見られてきた。
その分、甘やかされてきたというところもあるけれども、ずっと、どこか意思決定主体として見られていないところがあった。
無知で自分では何も判断できない未熟な存在とみなされてきた。
それで、何も任されなかったし、相手にされていなかった。
だから、ある時期からは、こちらからも家族を相手にしないことにしていた。
それが、家族と距離をとった時期だった。
けれども、結婚して、そのあり方は変わった。
何はどうあれ、結婚するというのは、社会的に認められるということを含むのだろう。
それは、家族内でも同じことで、結婚すると、結婚した存在として見られるようになるのだ。
僕は、結婚しようがしまいが、そんなことは人としての存在価値に何も変化は及ぼさないと思っているけれども、周りの扱いは変わった。(もちろん、考え方や認識論の変化はあるものだと思うけれども、少なくとも、そこに優劣はないと思っている。あくまで、結婚は、人生の選択の一つで、したってしなくたっていいものだと思っている。)
家族との関係性の再構築
結婚してから、僕と家族との関係性は、少しずつ変わっていった。
これは、本当に妻に、ただただ感謝なのだが、妻と実家に戻ると、僕と家族との関係性が安定した。
それは、僕が妻と一緒に帰ることによって、僕と家族との間に相対的に距離ができたからかもしれない。
母には、過保護で過干渉なところがある。
それが、妻が一緒にいてくれることによって、弱まったのかもしれない。
本当に、妻には感謝してもしきれない。
妻が一緒にいてくれることで、僕は、実家に帰れるようになった。
妻と結婚するまでは、僕にとって、実家に帰るということは、戦闘体制で敵陣に乗り込むようなものだった。
少しでも隙を見せれば、干渉し、僕の人生を奪ってくる人たちからいかに自分を守るかということを考えていた。
このように言うと、そんなのは考え過ぎだと思われるかもしれないけれども、少なくとも僕にとってはそういう感覚があったし、この感覚は、僕の家族の実態に照らし合わせて考えれば、それほど間違ったものではないと思っている。
それはさておき、僕は、妻と一緒に実家に帰ることができるようになって、物理的に家族との距離が近くなった。
そんな中で、少しずつ、母と、兄と、という形で、一対一の関係を築けるようになってきた。
だんだん、母や兄と、個人としての関係性を築き直すことができてきたのだ。
今でも、僕の中の警戒体制が完全に解除されたわけではない。
心を許せていない部分も大いにある。
でも、少しずつ、関係性の築き直しが進んでいる。
それは、もしかしたら、家族の中での僕との関係のとらえ直しが進んだのかもしれないし、僕の中での家族との関係のとらえ直しが進んだのかもしれない。
どちらが先かは分からない。
けれども、少しずつ変わってきている。
僕にとっての親孝行
たくさん回り道をしてしまった。
今回の記事では、親孝行の話を書こうと思っていたのだった。
僕は、これまで、親孝行をしようなどと思ったことが一度もなかった。
家族からは、ずっと、相手にされてこなかった。
だから、僕も、家族のことを相手にしないという応答をするしかなかった。
そういう関係性しか切り結べずにきた。
それは、僕が悪いのかもしれない。
親がそういうスタンスを取り続けてきたからそういうふうでしかいられなかったということなのかもしれない。
その解釈は多様だけれども、これまでは、素直に親孝行をしようと思えるような関係性を築くことができなかった。
いや、このように言うと、親孝行をするのが良い事で、親孝行をするべきだと言っているように聞こえてしまうかもしれない。
けれども、それは違う。
それは、家族愛言説の再生産だ。
僕は、家族愛言説を再生産したくはない。
だから、親孝行ができないとか、親孝行をしたくないとか、親孝行をしなければいけないと言われる意味が分からないとか、そういう人たちに、親孝行はするべきものだと強制するつもりは全くないものとして受け取ってもらいたい。
むしろ、僕の記事に対して「いや、もっと自信を持って親孝行の大切さを打ち出したらいいと思う!」と言う人に対しては、僕は、もう少し親孝行の孕むセンシティブな問題に目を向けるべきだと反論するだろう。
でも、そんな僕が、「これからは、親孝行して生きていこう」なんて言っている。
一体、何があったというのか。
2023年8月29日という日を忘れない
僕にとって、2023年8月29日は、一生涯、忘れてはいけない日だと思っている。
何があったのか、ここでは詳細を書くことはできないのだが、この日は破綻するかどうかの瀬戸際に立たされていた生活の救済を受けた日だからだ。
僕は、母のおかげで、生きていけるようになった。
だから、これからは、少しでも恩を返していかなければならない。
僕は、これまで、育ててもらった恩というような言葉には、どうしても納得ができなかった。
それは、僕が鈍感だからかもしれないし、養育環境が特殊だったからかもしれないし、言葉をかけた人の思想が軽薄だったからかもしれない。
それはなぜだかは分からないけれども、どうしても、育ててもらった恩を返すという言葉が自分には響かなかった。
だけれども、今回は、心底思った。
この恩は、一生かけて返していかなければいけないと。
恩について
恩なんていうものは、主観的なものだ。
感じる人が感じればいいし、感じない人は感じないのだからそれ以上にどうしようもない。
そういうものだと思っている。
だから、繰り返しになるけれども、僕が恩を感じるようになったからといって、他者に恩を感じることを強いるつもりは全くない。
恩を感じる人は感じればいいと思うし、感じない人は感じなければいい。
いずれ感じるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。
それでいい。
そう思っている。
でも、僕は、恩返しのために、親孝行をして生きていきたい。
そう思っている。
最後に
何か言おうとして、結局、何が言いたいのか曖昧なまま、周辺をぐるぐる回ってしまった感がある。
でも、僕は、2023年8月29日のことを忘れないために、この記事を書こうと思ったのだ。
だから、いつも僕の記事はそうだが、この記事も、備忘録だ。
とくに、今回の記事なんて、誰の心に響くだろうか。
ただ不快に思う人もいるかもしれない。
そんな記事だ。
でも、大切な日を忘れないために、僕は、この記事を残したい。
一人の人として、母に恩返しをするために。
親不孝者として生きてきた僕が、残りの人生の中で少しでも親孝行をして生きていくことができるように。
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