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今朝見た夢が妙に現実的で、その時の感情と感触が起きた後もしばらく残っていた。

ベッドに横たわる母。
簡素な白いシーツと布団で病院だと気づく。部屋の中には、家族や親族が集まっていた。
眠ったままの母はずっとこの状態だった。目を覚ますことはない。命を繋いでいるのは、鼻につけられたチューブ。
全員で母のベッドを取り囲む。
「皆で決めたことだから、いいね。外すよ。」とこの中で一番頼られる存在の男性がチューブに手を置いた。一瞬、「待って、もう本当にどうにもできないの?もう母と話すことはできないの?」という思いがよぎるが口に出せなかった。静かにそれを鼻から引き抜く。母の表情は変わらない。今までと同じように瞼を閉じたままだった。ここからは、体が機能を止めるまで待つだけ。いつになるのか。でも、そんなに時間はかからないだろう。
部屋の中には誰もいなくなった。わたしだけ1人母のそばに立っていた。窓からは白い花をつけた木が見える。アカシアの花だろうか。外の日差しは明るく、こちらの部屋は照明は付いていないが十分だった。

今、母が入院しているから見た夢だろう。
実際には延命治療はしていないのだが、体の機能は入院前と大きく異なる。
動けず、話せず、家族を認識することもできないのだ。

4月終わりにくも膜下出血で倒れた母は、それからずっと病院にいる。
入院時と手術前後で担当医師から聞いた話から、元の母の姿ではなくなるだろうと予想がついた。もちろん、医師や看護師たちは医療の専門家として、可能性のあることは教えてくれたのだが、微かな期待なんて持つどころか「これは覚悟しないと」と思うしかなかった。

くも膜下手術の術後は、今度は脳の血管が収縮しようとし、結果詰まって脳梗塞を起こすことが多いと聞いた。それによって、体の機能に麻痺が残ることもある。リハビリで回復する場合、そのまま残る場合と患者の状態・症状によって変わる。また、術後数日はあらゆる刺激を防ぐため、暗いところで絶対安静にする。少しの刺激も体に障るらしい。時間の感覚も無くなるから、脳梗塞の程度、年齢によってはこのまま痴呆のような症状が進むこともあると聞いた。また、もう一つ脳の血管で出血を起こしそうなところがあるが、難しい場所であることや年齢を考慮すると、そのままにしたほうがいいと言われた。そして、2回目の手術は体が持たないため、次は受けられないことも。

手術から1ヶ月以上経ってようやく会えた母は、まるで見知らぬ人のようになっていた。

ある程度の状態は病院からの定期的な電話で聞いてはいたものの、コロナ禍でお見舞いもできずに実際の姿を目にすることはできないでいた。だから、対面した母の姿に一瞬身構えてしまった。

繋がれたチューブは、鼻から入れた水分を摂るための物1本だけになっていたけれど、動けない母の手足はむくんでいて触れても力がなかった。
目を開けてこちらを見ているが、わたしのことも、一緒に来ていた父のことも誰なのかわからないようだった。言葉を発することもできないから、こちらが一方的に話しかけるだけになる。反応がないのが怖くて、わたしは声をかけるのをためらった。

担当の看護師さんは、栄養(補給用)のチューブも最初はつけていたが取れて、ペースト状の食事は口から食べられるようになりましたよ、だんだん良くなってきていますよ、とうれしそうに話してくれた。回復してきているから喜ばしいはずなのに、わたしはちっともうれしくなかった。人の手を借りて、やっと生命を維持できる姿を見ているのが怖かったのもある。
5分くらいいただろうか、時間がとても長く感じた。

急性期の治療が終われば、この病院は出なければいけなくなる。
リハビリの病院への転院も希望したが、空き状況や本人の状態でできるかどうかはまだ分からない。そして今は、入所できる施設も探している。
(この辺りはとても長くなるので、また今度)

人の手に委ねて生きていくこと。
もちろん、生きていると誰かにいろんな形で助けてもらって生活を営んでいるのだけれど、自分の判断力がない状態で生きているのはどういうことなのか。

今は、呼吸は自力でできているけれど、もしそれもできなくなったら?
本人は意思が伝えられない状態で、周りはどこまで判断していいの?

たくさんの疑問が残るまま、そして、そこに家族ゆえの感情も混ざり混沌とした中で物事を決めて進めていかなければならない。
これから先のことについては、専門家の人たちの意見を聞きながら探っている状態で、今は大きな問いへの答えは見つかっていない。
もしかしたら答えなんてないのかもしれない。



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