二千字小説・「すいとりさん」

「すいとりさん」

       

「で、これは何なん?」
 村瀬一美は、タンブラーに残っていた水を飲み干し、祖母の遠野ナラを睨みつけた。ナラは細い目を少し見開き、こう切り返した。
「だからすいとりさんや。私のお祖母ちゃんから受け継いだ女の守り神」
 一美の水が無くなったのを見たバイトの野沢が、常に無い迅速さとうやうやしさで水を持ってくる。厨房の中で、こちらはいつもどおり、寝起きの子供のように無愛想な店主の大谷が、また目を丸くしたのを一美は視界の隅に捉えた。それも少し苛立たしく思えて、一美は半分になったコーヒーに砂糖をまた放り込む。
「あああ。そんなに砂糖入れて。ここのコーヒーはスタバのカフェアメリカーノのショートより美味いねんからもったいないで。」
「スタバは嫌いやのん。おばあちゃんこそ。バスで三十分かけてようあんなとこ行くわ?週二回も。」
「週三回や。こないだ裏メニュー頼んだわ。あそこは落ち着くしブログもよう書けるねん」
 年寄りくさいところのある一美とは対照的に、ナラは流行り物が大好きだった。パソコンもケータイも使いこなし、週末には大阪の中心部での小劇場めぐりを欠かさず、劇評をメインとしたブログすら書いている。それは、関西の演劇界で知らない人間はモグリとさえ言われるほどの代物だった。ナラが一美に引きあわせた、小劇団の主宰の健太が、一美の結婚相手だった。ナラは結婚式を明後日に控えた孫のマンションに、「市内で一日遊ぶから泊めてくれ」と押しかけてきた。
 一美と同棲中の健太は、渋る一美を「遠野さんの頼みや!」と説き伏せナラを迎え入れたのである。
「メニューは少ないけどええ味やで、でも古臭い店やな~」
「もうええて。それより開けてええの?」
 ナラの左手にはいつの間にか、三角形の小さな布が握られている。コーヒーをすすりつつ、ナラがうなずく。
「あけてみ」
 促された一美が箱をあけると、三辺に古めかしい青色の刺繍を施した白いハンカチが出てきた。好みに合ったのか、一美の声が少し弾む。
「ハンカチ…?ええ感じやん。くれるの?」
「それがすいとりさんや」
 二度目のその単語に眉を顰めた一美は、四角いハンカチの一隅が、鋏で切り取られたように小さく欠けているのを見つけた。
「なにこれ。切れてるやん」
「ああ。ひとスミ残ってたからさっき使うた」
ナラは人差し指と親指に挟んだ布をヒラヒラさせた。それは、ハンカチから切り取ったとおぼしき三角の布だった。そこにも青い刺繍がある。
「野沢さんにな」
「どういうこと?」
 ナラの口角が釣りあがる。一美は、通販番組の女タレントの微笑みを思い出した。
「これはな、人間の欠点を吸い取ってくれるハンカチやねん」
「は?」
「周りに刺繍があるやろ。あんたが今つまんでるのが私のダンナのぶんや。対面のは耕次のぶん。右のは私のおじいちゃんの分。」
 一美は父・哲夫の弟の耕次の名前に、一呼吸継いだ。耕次は放蕩者で、一美が幼い頃、兄を頼って幾度も金の無心に来た事があった。子供には愛想のよかった耕次の来訪が一美には嬉しかったが、物心ついてから事情を知り、叔父が来る度に目にしてた父の不機嫌に、得心が行ったのだった。
「でも耕次叔父さん、今はしっかりしてはるやん」
「でも、やないで。これを使ったからや。見てみ。その線だけ他のより濃いやろ」
 言われてみると、施された刺繍は、それぞれに濃淡があった。
「耕次は時間かかったわ。あのバイトの子に使ったのはこれだけ。今日一回きりやしもって精々一週間やな。」
 話の行き先が見えず、一美は問いかける。
「バイトの子、って野沢さん?」
「そう。ぼそぼそ~っと注文聞くだけで、しゃきっとしてへんしな。わざとすいとりさんを落として拾わせたんや。ええ実験材料、いうわけや」
「これをどうせいっちゅうの?」
「健太君や」
 ナラが一美をじっと見据える。
「前に健太君が浮気した、って言うたやろ。すいとりさんはウチに伝わる女の宝なんや。すいとりさんは男にしか効き目ないねん」
 健太が浮気をしたのは一昨年の末である。違う劇団の女優に入れあげた健太に、一美は激怒し、一時は同棲も解消した。幾人もの知人を巻き込んで別れる、別れないの話になったが、健太の必死の謝罪で二人は持ちこたえた。今回の結婚はその件がきっかけで話が動き出したのである。
「…健太はもう浮気なんかせえへん、思うけどなあ」
 イヤだな。あの頃のことを思い出して、ちくりとトゲが刺さった気分で一美が言い返す。
「残念ながら、あの顔はまたする顔や」
「顔でわかるのん?」
「私はあんたより五十年以上生きてるねんから」
 力強くコーヒーをごくりと飲みほし、ナラが言葉を続ける。
「使わんでもすむかもしらん。あんたがしっかりしてればな。それにな」
「それに?」
「健太君かて、身内からすいとりさん貰ってるかもわからんやろ?」
 そんな阿呆な。そう言いかけた一美に、悪戯をしかけたような笑顔をナラは浮かべた。
          おしまい

 こんばんは。天目将軍・彭キです。(キの漢字が出てこず…。元は軍官。強かった、というくらいしか情報が無い。あだ名の由来も不明。席次からして、かなり強かったはずなのだが、敵将たちの引き立て役になっていた感もあった)

 たまには昔に書いた小説を。友人が結婚するので、じゃ、仲間内で小説を書いてことほぎましょう…というわけで書いた小説です。

           
         


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