生まれたら、どうにか生き抜いて。

「死んだ魚の目」って、改めてイメージしてみると結構なパワーワードだと思います。

たぶん、虚無の時はわたしもそんな目をしていたのでしょう。

考えてみたら生きているときの状態って、

起きているか寝ているかの2つの状態しかないんですよね。

(寝ている状態で「生きている」を自身は実感できませんが。)

生活をしていると、周囲から色んな影響を受けます。

どれだけ影響を受けるかは、その人次第ですが。

敏感、鈍感、不感。

敏感な人は、ストレスを感じてどうしても生きづらくなる。

時に、回りの人の目を気にして、行動できなくなることがあります。

しかし、思うほど他人は自分を見てはいないようです。

「気にしすぎない」という心の持ちようは、日々のストレスを緩和する鍵なのだと思います。

BUMP OF CHICKEN『モーターサイクル』

わざわざ終わらせなくていい どうせ自動で最期は来るでしょう
その時を考えても意味が無い 借りてきた答えしか出てこない
現実派気取りじゃないなら どんな時間が無駄か解るでしょう
死んだ魚の目って言われても 心臓はまだ脈を打つ
四の五の言わず飯食えよ 人の振り見て人にはなれんよ
気にする程見られてもいないよ 生まれたらどうにか生き抜いて
周りが馬鹿に見えるなら 生き難いなんて事もないでしょう
死んだ魚の目を笑う奴に 今更躓く事もないでしょう
あぁ君には言ってない そう無視してくれていい
相槌さえ望まない そもそも大した事言ってない
手貸したら握るかい どっちでもいいけどさ
あぁ外野は放っとけ そもそも大した事言ってない 

誰に言っているわけでは無い、つぶやきのようなもの。

そして押しつけはせず、相手にゆだねる。

突き放すわけでもなく、干渉し過ぎるわけでもなく。

この歌詞の中に見える、寄り添うような「距離感」に、優しさがあります。


生まれたら、「どうか」生き抜いてではなく、

生まれたら、「どうにか」生き抜いて。


ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?