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【4月10日:きょうだいの日】兄への思いときょうだい児として、今感じる思いのお話

母の日、父の日、こどもの日...と、4月5月は家族にとって感謝を伝える日が多いような気がしています。

皆さんは上記に挙げた日は祝うか否か別として知っていますよね。

忘れていても、買い物に行けばこの日を祝うポップが多くあったり、メディアでも取り上げられたりときっと思い出す人が多いと思います。


さて、4月10日「きょうだいの日」は知っていますか?


多くの人が聞いたことのない日だと思います。

私も、最近「きょうだいの日」を知りました。

きょうだいの日とは一体どのような日なのでしょうか。


きょうだいの日(Siblings Day)とは


きょうだいの日「National Siblings Day」は、毎年4月10日に兄弟姉妹の関係を称えるためにアメリカ合衆国で広く開催されている祝日で、父の日、母の日の兄弟姉妹版の日です。幼い頃に亡くなった姉と兄の記憶を称えるために、アメリカのクラウディア・エヴァートさんが考案されたもので(4月10日はクラウディアさんのごきょうだいのお誕生日なのです)、全米50州の内49の州の州知事が公式にSiblingsDayを州として認める宣言を出しています。きょうだいで一緒に写真を撮ってインスタグラムに投稿したり、贈り物をし合ったりして、お互いの存在を称え合う一日となっています。
引用:https://sibtane.com/siblingsday


日本でもこのきょうだいの日を制定し、病気や障がいのある子どものきょうだいに応援が届く日としても定着させていくことができればと考えたNPO法人が4月10日をきょうだいの日と制定しました。

今回は、きょうだいの日が明日ということで、兄への思いと今のきょうだい児としての思いを書いていきたいと思います。


兄への思い


これまで、兄に嫉妬したり、面倒だなと思ったり・・・。

22年間様々な思いをしてきました。

どちらかというと辛い思いが多く、ときには兄に対してネガティブな感情を抱くことが多かったです。

しかし今、私はこれまでとは違う思いを感じています。


それは、「愛おしい」と感じるていることです。


もちろん、全ての瞬間に感じるわけでもなく、うるさいと感じることなどこれまでと同じ思いも持っていますが、これまで感じたことのない感情が芽生えてきました。

特別なことがあったわけでもなく、ただの普通の様々な日常場面で「愛おしい」と感じています。


兄が、土日に家に帰ってきて私の部屋に「ただいま」、帰るときに「バイバイ」とわざわざ言いにくること。

私がいつもより早く起きて準備しているとずっと私のことを見て、どこへ行くのだろうとという目線で見ていること。

ケーキのチョコレートのプレートを欲しそうに、私のお皿を見ていること。


今までと兄の行動は変わっていなのに、すごく愛おしく感じてしまいます。

そのため、私も兄のことをずっと見てしまったりして、親よりも気づくことがあるぐらいです。

きょうだいという関係よりも、親と子の関係という方が近いのかもしれません。


なんでこのように「愛おしい」とこれまで感じたことのないような思いになったのでしょうか。

私に余裕ができたからでしょうか。
それとも、心が成長したからでしょうか。

よくよく考えると、兄と過ごす時間が減ったことが要因かもしれません。

私が大学1年次に、兄は家庭の諸事情で施設に入り、毎日顔を合わせることがなくなりました。

兄中心で生活し、うるさかった家も静かになり、母と過ごせる時間・話す時間も増えました。

今まで、母と過ごしていても兄が割り込んできたり、兄の迎えがあったりと常に兄が優先順位1位だった生活から抜け出すことができました。

そのため、自分の心も満たされ、心にゆとりができ、兄が愛おしく見れるようになったのかもしれません。

ちゃんとした理由はわかりませんが、兄に対して「愛おしい」と感じるようになったことが今の兄に対しての思いです。


22歳の私のきょうだい児としての思い


私は妹のため、生まれてきてから22年間「きょうだい児」として生きてきました。

きょうだい児という言葉を知る前も後も、色々な葛藤や悩みを抱えて生きてきました。

おそらく、この葛藤は幾つになっても続くものだと思いますが、その葛藤が私自身を成長させてくれるものだと感じています。


直近での不安はありませが、見えない将来の不安が私を時々襲います。


もし、両親が倒れたら、兄を迎えにいく体力がなくなったら・・・。


考えたくないことですが、いずれはこのようなことが現実になり、考えなくてはいけないことになるのです。

もっというなら、両親がいなくなってからの生活はどうするのか、お金はどうするのか、考えれば考えるほどたくさんの不安が湧き出てきます。

これは仕方のないことですし、そういった事態が起こる前に準備すればいいことだと思っています。


でも時々、これは私がなんでやらなきゃいけないんだろうとか、違う人がやることはできないのかとか、葛藤すること悩むことがあります。


もっというなら、「結局、私は両親が兄の面倒を見れなくなった時のために生まれてきたのではないか」と考えてしまいます。(この思いについて話したいことは沢山ありますが、長くなりそうなので今後どこかのタイミングで記事にしたいと思っています)


もちろん、これまで大切に育ててくれ、私がやりたいことを全力で応援してくれ、お金にも困らず幸せな生活をさせてくれています。

だからこそ、こんな思いを抱いてはいけないし、そんなはずはないのだと信じたいけれど、そう思ってしまうのです。

そんな思いになる自分が嫌になったりと、どんどんネガティブな方向に考えがいってしまいます。

これが私の今の思いの全てです。

不安を抱えながら、そんな思いになってはいけないと思いながらも抱えてしまう思いと葛藤しています。


最後に


4月10日は「きょうだいの日」ということで、兄への思い、きょうだい児としての率直な今の思いを書いてきました。

もちろん、これから様々な経験をして、年を重ねることで、今感じている思いは変化しまた違った思いを感じるのだと思っています。

そして、それが自分を強くし成長させてくれると思っています。


今回はいつもよりも親・友達には言いにくいことを文章にしました。

これに同情してほしいとか、悲しんでほしいとか、大変だねとか言ってほしいわけではありません。

ただ、きょうだい児にはこういった思いや葛藤をする人もいるんだな、と理解してくれれば幸いです。

きょうだい児みんなんが、同様の思いをしているわけではありませんので、ご理解ください。

#きょうだい児 #きょうだいの日 #障害 #障害者 #家族 #知的障害 #4月10日

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