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自分が何を考えているのかわからない、というあなたへ

ちょっと前に、このツイートがバズってしまいました。

そしたら、こんな反響が来ました。

実はマレーシアに来るお子さんでも、同じことを言われる方が多いのですね。

自分が何を考えているかわからない。
今日はそんなあなたのために書きます。

他人の気持ちを想像しすぎるとどうなるか

他人の気持ちを優先させるのは、別に悪いことではないと思います。

こういう人ってムッチャいい人です。

細やかな思考ができ、いわゆる気配りが上手です。タバコを出した人にさっとライターを渡したり、お酒をさっとついだり、細かく気がつける人たち。どちらかといえば、むしろ美点なんです。

ただ、これがすぎると、エスパーになっちゃうんです。
周りの人が不機嫌だと「あれ私が悪いのかな」と気にやんだり、メールの返事が遅いと「アレもしかしたら悪いこと書いたかな」と想像膨らませたりして疲弊してます。

まるでエスパーのように他人の気持ちを想像する癖がついちゃうのです。

なんども書いてますが、他人の心って想像してもわかりません。だから、多くの場合時間の無駄です。

世の中には「俺の思っている通りに動け!」と優しい人を利用したいコントローラーな方々が、少なからず存在しています。自分が見えなくなって消耗してるなら、考えた方が良いかもしれません。

日本に根付いた考え方でもある

以心伝心、エスパー思考、日本には古くからある考え方です。
ある意味日本文化なんですね。

私が尊敬するジャーナリストの千葉敦子さんが、1970年代に書いた著書「ニューヨークの24時間」で「日本人には自分のやりたいことがわからない人が多くて驚く」と嘆いていました。

→これ、ちょっと前は一円だったのに、むちゃくちゃ値段が上がっててびっくりしました・・。

学生時代、体育会系のサークルで怒鳴られませんでしたか? 企業の新入社員も叱られませんでした? 気がきかないとか、先輩に対して失礼だとか、上司の考えを察しろとか。家庭でも「お母さんのいうことを察しなさい」って家、ありますよね。学校や会社って、エスパー修行所なんですよ。

日本って、国民の多くが江戸時代には農民だったわけです。みんなで農業しなくちゃならない。農業やってる社会では、昔っから基本的に「お前の考えなんかどうでもいい」んです。そうしないと生きていけない。

そして自分が何を考えているかよりも、他人の考えを優先させるようになるんだと思います。
で、令和になって、突然自由になって途方にくれる。

私のようなひねくれ者は、小さい頃から学校なんてしょうもないと思っていたので、この思想にあまり染まりませんでした。結果的に、日本社会にはうまく対応できてません。

20年以上も雑誌の編集業ができたのは、多分、変わった人の多い職場だったからですね。

一方で、素直で他人のことをよく聞く性格だったりすると、完全に染まり、古い体質の会社でもやっていけちゃいます。つまり日本で生き抜くにはある意味、必要な能力でもあり、良し悪しなんです。それでハッピーって人は別にそれでよく、この先は読む必要ないです。

問題は自分が何を考えているのかがわからなくて、困っている場合です。そんな方はどうしたらいいのか、私なりに出せる処方箋は3つです。

処方箋1:好きなものに「好き」と言う

まずは「好きなものに好きと言う」ってことかな。

なんでもいいんです。アイドルでも、アニメでも、これいいな、と思うものに対して「好きだ」と言ってみるのです。

日本の中学生で「何が好きなの?」と聞いたら、「僕は今みんなの間で流行っているものが好きです」って子がいました。流行り物以外に興味を示すと、いじめられちゃうことがあるそうです。

日本では、他人が誰も「好き」と言わないものを好きだって言うのって、結構勇気がいるんですよ。

「えー、あんなのどこがいいの」
「全然かっこよくないじゃん」
「あんなのオワコンだよ」


などと馬鹿にされてしまう経験が、私たちの心の中に残ってるからじゃないかな。

余談ですが、好きなものは対象が、相手が生きているうちに「好き」って言った方がいいと思います。
ベートーベンだって、マーラーだって、生きてる時は結構酷評されてます。死後に評価されてたりしますが、死んでから美化されるより、生きているときに応援してもらった方が、ずっと創作意欲も湧いたと思うんですよね。

自分の心に正直になってみるわけです。「誰がなんと言おうが、まあどうでもいっかな」と思えればオッケーです。実際、個人の好みに対し、他人がどう思うかは、どうでもいいことなのです。他人の思考を分離する練習をしましょう。

それができたら、「嫌い」も認識すると良いですね。
居心地のよくない場所に来たら、「ここはちょっと苦手だな」と意識してみる。
気づいたら、なぜ苦手なんだろう? と考えてみる。そうして、ようやく自分との対話が始まります。自分が認識できてくるのです。

処方箋2:自分の気持ちを書いてみる

自分の気持ちを文章に落としてみるのは良い練習です。
思ってることを正直に書いてみるのです。

そして他人にどう思われるかな、という視点を排除する。
「努力すれば夢は夢は叶う」とか「青春は美しい」とか、そういった手垢のついた誰かの言葉を使わないで、自分自身の言葉を率直に書く。
結構難しいです。

インターナショナルスクールに通っている子供を見ていると、とにかくこの自分の気持ちを考えて意見を言う訓練が徹底されてます。

別に、全世界に向けて発信する必要はないです。
第一目標としては、自分の気持ちに正直になればそれでいいのです。

身の回りに信頼できる誰かがいれば、自分の正直な気持ちについて議論すればなおいいです。私はよく、外国人の友達と議論します。彼らは意見の違いだけで喧嘩したりしないからですね。

日本の教育で1番欠けているのは、この自分の気持ちを考えさせる、自分が何者かを知ると言う訓練です。

処方箋3:海外の英語学校に行ってみよう

自分の気持ちがわからないって人でも取り戻すことができるとっておきの方法があります。

それは、海外で英語を学ぶことです。いちど日本語と言う檻を出ること。違う人々の間で思考を組み立ててみる。

英語? と思われるかもしれません。が、英語を話すと、日本語の「縛り」から解放されるのです。日本の学校英語じゃダメですが、海外で、外国人とディスカッションの訓練をするのは有効です。

マレーシアにいるお母様方に、私はよくフィリピン留学を進めています。そして実際に行った皆さんおっしゃるのが、「こんなに自分の意見を言ったことがなかった」とか、「毎回毎回自分の意見を言いなさい、と言われて戸惑いました」と言うものです。

人は誰に囲まれるかに影響されます。外国人には、自分の意見をバンバン言う人がいます。毎日囲まれているうちに、自分の思考もだんだん影響を受けてきます。

最初は自分の意見なんてありませんって人も、「あなたはどう思う?」と言われ、慣れていきます。

フィリピンの良いところは、合宿式で比較的安い金額で授業が受けられること。英語に浸り切れることです。1ヵ月ぐらい、英語だけで生活してみたら、考え方は少し影響受けると思います。

別に英国や米国でも良いのですが、大体15人とか20人とかのグループレッスンになりますから、発言機会が少ないんですね。フィリピンは、マンツーマンの授業が多いので思いっきり自分の意見を言えます。

意見を言うことが人の心の安定につながる

自分を知って、意見をはっきりさせると、割と心が安定します。

よく息子が「インターでは子供達が自分の意見を思いっきり言うので、あまりフラストレーションがたまらない気がする」と言ってますが、多分、その通りなんじゃないかな。先日ご紹介した「反省させると犯罪者になります」の著者の岡本さんも同じことを言ってますね。


自分が何を考えているかを知ることで、ハッピーになる人もいるということです。

この原稿があなたの役に立つことを願います。

ではまた。

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