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「自分の人生を生きていないことに気づいた私は、どうしたらいいでしょうか?」に答えました

相談を受けました。匿名でAさんとします。「日本人には『やめる練習』が足りてない」を読んでくださったようです。詳細を伏せてほしいというので、こんな感じの悩みです。

一流大学を卒業して、一流企業に入りました。ところが数年経って分かったことは、脅迫的な社風であり、仕事も合わないことです。しかし「やめる」とはとても言い出せない雰囲気です。辞めたら、「途中で投げ出したと思われる」から怖い。どうしたらいいでしょうか?

自由に生きたい。でも生きられない。その理由

私のところに寄せられる相談には「自由に生きたい。でも生きられない」というものが、とてもとても多いです。

日本は、憲法で移動の自由と職業選択の自由を保障された社会です。
なのになぜ、自分の人生を生きることは難しいのでしょうか?

「人は、基本的に自分の運命に最終的な責任を取りたくないから」と解説するのは、哲学者の岸見一郎さんです。

ちょうど本日は、ちょうど読んでいたこの書籍を参考に、この質問を考えてみます。

自分で決めなければ、たとえ人生が自分の願うようなものにならなかったとしても、その責任を取らずにすむ。一方、自分で決めれば、自分がその責任を負わなければならない。もっとも、自分以外の誰かが自分の人生の責任を取れるはずなどはそもそもないのだが。それでも「自分自身の運命に最終的な責任を持つこと」を拒む人は多い。

岸見一郎,エーリッヒ・フロム. 今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる (Japanese Edition) (p.32). Kindle 版. 

「自分の人生に責任を取りたくない人」は、本人は気づいていませんが、「不自由を愛する人」かもしれません。「不自由を愛する人」は「権威主義的なものに従う人」と言い換えられます。「長いものに巻かれるのが当たり前だと考える人」です。

私は、相談者さんが、「不自由を愛する人」に囲まれているのではと推察します。「怖い」のは、失敗ではなくて、「途中で投げ出した」と責め立てる、周りの「目」ではないでしょうか。

ただ、人は一生のうち、どこかでこの「目」と戦わないとかぎり、自由にはならないと思います。

不自由を愛する人は、突然攻撃的になる

多くの場合、「不自由を愛する人々」は、善良で、無害です。

ところが、一旦あなたが人と違った行動しようとすると、全力でとめてきます。攻撃的になるのです。
自由に生きようすることは、その人たちの「権威主義的良心」に反するからです。

なぜあれほどの人々がナチスに従ってしまったのか。
そこを考えたフロムはこう言っています。

「権威主義的状況における根本的な罪は、権威の支配に対する反抗である。そこでは、不服従は最大の罪、従順が最大の徳である」(Man for Himself)

岸見一郎,エーリッヒ・フロム. 今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる (Japanese Edition) (p.6). Kindle 版.

問題は、「本人が権威に従っていることを自覚できない」ことにあります。

当時は「ドイツの政府に従うこと」が「善」でした。さしづめ、今の日本だったらさしづめ「空気に従うこと」「権威に逆らわないこと」あたりが「善」かもしれません。「学校に行くこと」もそうかもしれません。「消費すること」「組織人」に当てはまるかもしれません。

人間は資本主義社会の中で、「消費人」、「組織人」として目に見えるものであれ見えないものであれ、あらゆる種類の権威に従い、それどころか自らがそのような権威に従っていること自体にすら気づいていない。本当の「自分」を持たず、「ひと」の顔色を窺い「ひと」の意見に従い、「自分」の人生を生きられなくなってしまっている。戦争による人類滅亡の危機もいよいよその度を増している。

岸見一郎,エーリッヒ・フロム. 今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる (Japanese Edition) (p.6). Kindle 版.

ではどうしたらいいのか。

同調圧力の中で個性を出すことが「理性」である

同調圧力の中で「自分」を持つとは、「理性」を持つことだと、本書は言っています。

この匿名の権威が働くメカニズムが「同調」である。私も皆がすることをしなければならない。他の人と違っていたり、はみ出したりしてはいけない。自分が正しいか間違っているかとたずねてもいけない。唯一問うべきは、世間に適応しているか、他の人と違っていないか。同調圧力に屈すると、私は個性を失い、「私」ではなくなる。このような現代人の危機から人間を救い出すのが「理性」(reason)である。フロムの考える「理性」とは、単に合理性のみを追求するだけの冷たい思考ではない。

岸見一郎,エーリッヒ・フロム. 今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる (Japanese Edition) (p.32). Kindle 版

つまり、同調圧力の強い社会での「理性」とは「反抗すること」です。
しかし、一人で反抗すると、人は孤独になります。

組織人でなくなること、消費人でなくなることは、ときに怖いことです。
孤独で、勇気がいります。

無自覚に権威に従っている人たちを見抜こう

私が「自由になりたい人」にお勧めするとしたら、まずは「無自覚に権威に従っている人たち(でも自分では自覚がない人たち)」を見抜き、その人々から少しずつ、距離を置くことです。

子供時代は周りの人を選べません。でも、大人は違います。ですから、自由になりたければ、少しずつ、自分の周りの「権威主義的な人」から離れて、できれば「本質を見抜く人」に置き換えていくことです。

こうして、だんだんと、あなたの周りの五人が「権威に従わない人たち」になると、自然とあなたの思考は変わり、自由に生きられるようになります。

その代わり、あなたは「集団で行動しない孤独」に耐えないとなりません。その孤独に耐えることができてはじめて、人は自由になれるのかもしれません。

それではまた。


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