「自分の人生を生きていないことに気づいた私は、どうしたらいいでしょうか?」に答えました
相談を受けました。匿名でAさんとします。「日本人には『やめる練習』が足りてない」を読んでくださったようです。詳細を伏せてほしいというので、こんな感じの悩みです。
自由に生きたい。でも生きられない。その理由
私のところに寄せられる相談には「自由に生きたい。でも生きられない」というものが、とてもとても多いです。
日本は、憲法で移動の自由と職業選択の自由を保障された社会です。
なのになぜ、自分の人生を生きることは難しいのでしょうか?
「人は、基本的に自分の運命に最終的な責任を取りたくないから」と解説するのは、哲学者の岸見一郎さんです。
ちょうど本日は、ちょうど読んでいたこの書籍を参考に、この質問を考えてみます。
「自分の人生に責任を取りたくない人」は、本人は気づいていませんが、「不自由を愛する人」かもしれません。「不自由を愛する人」は「権威主義的なものに従う人」と言い換えられます。「長いものに巻かれるのが当たり前だと考える人」です。
私は、相談者さんが、「不自由を愛する人」に囲まれているのではと推察します。「怖い」のは、失敗ではなくて、「途中で投げ出した」と責め立てる、周りの「目」ではないでしょうか。
ただ、人は一生のうち、どこかでこの「目」と戦わないとかぎり、自由にはならないと思います。
不自由を愛する人は、突然攻撃的になる
多くの場合、「不自由を愛する人々」は、善良で、無害です。
ところが、一旦あなたが人と違った行動しようとすると、全力でとめてきます。攻撃的になるのです。
自由に生きようすることは、その人たちの「権威主義的良心」に反するからです。
なぜあれほどの人々がナチスに従ってしまったのか。
そこを考えたフロムはこう言っています。
問題は、「本人が権威に従っていることを自覚できない」ことにあります。
当時は「ドイツの政府に従うこと」が「善」でした。さしづめ、今の日本だったらさしづめ「空気に従うこと」「権威に逆らわないこと」あたりが「善」かもしれません。「学校に行くこと」もそうかもしれません。「消費すること」「組織人」に当てはまるかもしれません。
ではどうしたらいいのか。
同調圧力の中で個性を出すことが「理性」である
同調圧力の中で「自分」を持つとは、「理性」を持つことだと、本書は言っています。
つまり、同調圧力の強い社会での「理性」とは「反抗すること」です。
しかし、一人で反抗すると、人は孤独になります。
組織人でなくなること、消費人でなくなることは、ときに怖いことです。
孤独で、勇気がいります。
無自覚に権威に従っている人たちを見抜こう
私が「自由になりたい人」にお勧めするとしたら、まずは「無自覚に権威に従っている人たち(でも自分では自覚がない人たち)」を見抜き、その人々から少しずつ、距離を置くことです。
子供時代は周りの人を選べません。でも、大人は違います。ですから、自由になりたければ、少しずつ、自分の周りの「権威主義的な人」から離れて、できれば「本質を見抜く人」に置き換えていくことです。
こうして、だんだんと、あなたの周りの五人が「権威に従わない人たち」になると、自然とあなたの思考は変わり、自由に生きられるようになります。
その代わり、あなたは「集団で行動しない孤独」に耐えないとなりません。その孤独に耐えることができてはじめて、人は自由になれるのかもしれません。
それではまた。
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