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寝ても覚めても

見終わった瞬間、「なんや、これは」と思いました。「なんちゅう勝手な子や...」と。

でも、見てから数日経っても、ふと気付いたらこの映画のことを考えてしまっていたりする。そんな映画でした。

映画を見ている間中、そわそわドキドキしていましたが、それは恋愛映画を見るときのトキメキではなく、ホラーを見るときに目を手で覆って指の隙間から画面を見る、あの感じに似ています。

やめて...頼むからもうこれ以上、東出さんを傷つけないでくれ...

そんな感じ。どんなに幸せそうな場面でも、不吉な予感がして、決して油断できない。ずっと不穏な空気が流れていて、"早く映画が終わってほしい"とすら思う、あの感じ。

つまり映画を見ている間は、ずっと東出さん演じる2役のうち、”いい人”のほうの亮平さんに感情移入していたのだと思います。目を離したら消えてしまいそうな朝子を、祈るような気持ちで見ていました。だから朝子の身勝手な言動にイライラしたりもしました。

でも、見終わったあと冷静に考えると、女の子なら誰しも朝子的な思考をしている、と思いました。昔好きだった人と目の前の相手を比べてしまうし、思い出は美化されるものだし、運命の相手はいると信じたいものです。だから朝子の気持ちは、理解できる。でも、彼女の行動にはやっぱりちょっとついていけません。だって大抵の場合は、その勝手な願望を妄想に留めて、実際に彼女のように行動に移したりはしないですよね。

例えば「ラ・ラ・ランド」のラストシーンのように。

あの時、ああしていれば。
今ここに、あの人がいれば。

そう思う瞬間は人生の中で何度も訪れるものです。忘れがたい人がいるなら、なおさら。でも、今とは違う人生をひと通り想像したあとに、「いや、これでよかったんだ」と、自分に言い聞かせるのです。じゃないと、今の人生を楽しめないから。じゃないと、今自分の側にいてくれる人を幸せにできないから。誰もが、自分の選択を正解にする努力をしながら生きているのだと思います。

朝子がしたことは確かにありえない行動だし、やってみて結局はああなって、見てるこっちからしたら「ほらな、やっぱこうなるやん」って感じなんですが、たぶん亮平と朝子の関係性は、これでよかったのかと思います。

バクを忘れられない朝子、朝子を忘れられない亮平。アンバランスに見えるこの三角関係が実は絶妙なバランスで成立していました。

そもそも亮平は、”バクを忘れられない朝子”を好きになったわけで、2人の関係にはバクの存在が不可欠に見えました。

亮平は"明後日の方向を向いてる朝子"のことがたまらなく愛おしく、つかみどころのない、いつか消えてしまいそうな朝子だからこそ、あれほど惹かれてしまうのですから。

そして朝子が取った行動により、2人の間のバクという存在が絶対的なものになってしまった。

亮平は、もう絶対に朝子を信用することはないって言ってたけど、それこそ、その危うさこそ、2人の関係の醍醐味といいますか、2人的には結果オーライだったのではないでしょうか。

そう考えると、恋愛というのは、思い込みと勝手な希望といった非常に心許ないきっかけで始まることが多いのかも、と思います。そこに思い出が重なり、執着が出て、制御不能の感情を生み出していく。

"寝ても覚めても"という甘い言葉が、こんなに狂気じみて聞こえたのは初めてかもしれません。

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