高校生の頃から続いた鬱状態が終わろうとしている

長く続いた鬱状態がついに終わろうとしている。今まで何度もしんどさを自分の日記帳に吐き出してきた。このnoteも鬱真っ盛りの状態の新鮮な気持ちをそのまま閉じ込めておきたいという想いから始めた。

今回のnoteは今までとは違う。明らかに鬱を抜けた感覚がある。もちろん人間なので浮き沈みはあるが、今までのようにはならないだろう、という確信がある。そこで、鬱抜けした客観的な視点からどのような変遷で改善していったのか振り返りたい。


まず、鬱と言っているが、自己診断だ。ただ、病院にも行ったし、大学のカウンセリング室には何度か通った。今思い出しても、明らかに様子がおかしかったので、鬱状態だったのは間違いないと思う。症状として、自己肯定感の過剰な低下、パニック発作(電車や人込み等)、不眠、異常に涙もろくなる、文字が読めない、等があげられる。正直、今もたまに出るけど、だいぶマシになった。一番きつかったのはパニック発作だった。電車に乗ると息が出来なくなって死にそうになった。あの絶望はもう味わいたくない。涙もろさも割と改善された。高校3年から浪人あたりが一番ひどい時期だったが、当時は本当にずっと泣いていた。曲聞いて泣いたり、マンガ読んで泣いたりひどかった。涙もろくなって、大人になったのか?なんて思っていたが、治ったので鬱だったのだろう。文字が読めないのもやばかった。模試の現代文が何一つ頭に入ってこなくて、20分くらい1~2行目を読み直した。目が滑って前に進まない、文字を認識できても文という1つのまとまりとして理解できない。間違いなく限界だった。よく大学に進学出来たと思う。

なぜ、鬱になってしまったか、原因は2つある。

1つ目は高校進学だ。県内でも有数の進学校に進学し、そこで見事に落ちこぼれてしまった。これは間違いなく大きな原因だ。勉強意欲も全く無い状況で、勉強を強いられるのはとても苦痛だった。進学校ということもあり、勉強できる奴が偉い、的な価値観も自分を苦しめた。望まない状況でプライドをズタズタにされた3年間だった。どの学校にも絶対にビリがいる。それは偏差値30でも80でも変わらない。進学校の落ちこぼれへのフォローをもっと手厚くして挙げてほしい。当事者だった者として教育委員会とかに提言したい。進学校に行くような子だから、勉強できることをアイデンティティにしている子は多いと思う。それをぶち壊されて、空っぽの自分を見つめることは結構難しい。自分としても、鬱になって当然の状況だったなと思う。

2つ目は過去のトラウマだ。小中と荒れた学校に通っていたこともあり、自分もそこそこいじめられていた。からかわれたり、殴られたりしても、怖くて言い返せなかった。せめてへらへらして、いじられキャラを目指すしかなかった。でも自分はトラウマに打ち勝ったと思っていた。中学校ではちょっといじめも収まってからかわれることも減っていたし、自分としても過去のものに出来たつもりだった。過去のトラウマというのは、ボディブローのようにじわじわ効いてくる。高校進学で削られまくった自尊心にさらにトラウマが追い打ちをかけた。自分以外の全員がいじめを受けたことがなさそうに見えて悔しかったのだ。これはどういうことか。いじめを受けたことをどこかプライドに感じていたのだ。俺はいじめを乗り越えた。お前らはどうだ?みたいな感じだ。あんなに嫌だったいじめをどこか内面化して、人に振りかざしていた。まったく克服できていなかったのだ。いじめを受けたことが自分の性格の根幹に染みついていた。根っこの部分で対人関係に自信が全くないことに初めて気が付いた。過去のトラウマが原因で自意識が爆発した。自分には本当の友達がいないんだ、とか、みんな自分のことが嫌いに違いないとか、卑屈になりまくった。落ちこぼれも相まって、全員が自分を馬鹿にしているのだと、嫌いなのだと思ってしまった。

高校進学と過去のトラウマ。この2つが同時に襲い掛かってきた。どちらも自分のアイデンティティに関わるところで悩んでいた。自分の根幹の部分が揺るがされると人は病む。もう二度と自分を過度に追い込んだりいじめたりすることはないと思う。思いたい。

このようなひどい状態は高校から大学まで7年くらい続いた。長い7年だった。現在24歳なので、人生のほぼ1/3は鬱だった。悔しいけど、仕方ない。どうやったって鬱は回避できなかっただろうな、という諦念がある。それが自分は高校から大学の期間だったんだ、という感じ。

ではなぜ、自分が鬱を抜けられたか。それは環境が変わったこと、自分で自分に納得できたことだろう。

去年、大学院に進学した。これはとても良い変化だった。人生でベスト3に入る良い選択だった。院では自分を認めてくれる人がいた。また、同級生も自分を見る目がちょっと変わった。勉強頑張ってるんだねと思ってもらえたのがとても嬉しかった。勿論勉強を頑張るのは自分のためで、認められたくて頑張っていたわけではない。でも、どこかでみんなを見返したかった。執着していた。それが少し満たされたのは大きいと思う。まだまだこれからだと思っているけど、一つ旗を立てられたような気分だった。

自分で自分に納得出来たというのは、今までの自分の頑張りを認めたという意味だ。何もうまくいかない7年間だったけど、ずっともがいたな、と心から思えたのだ。7年間色々あったけど、常に攻めの姿勢だったと思っている。どうなったら良くなるのか常に格闘してきた。その姿勢は大したもんじゃない!と自分ではなまるをあげたい。

鬱症状は2歩進んで1歩下がる、みたいな感じで、良くなってはぶり返し、良くなってはぶり返し、を何度もやって結果ちょっと良くなってる、的な改善の仕方をした。鬱のときは何かきっかけ一つでスカッともやが晴れて全部治ることを期待していたけど、現実はこんな感じだ。アップダウンを繰り返して、今の状態まで戻ってこれた。繰り返すなかで、自分なりに対策を取ったり、自己防衛することで、ダウンのときの辛さは軽減出来た。客観的に今はダウンの時期なんだと認識するだけでもだいぶ気持ちは楽になる。

鬱が終わろうとしている。長かった。本当に長かった。眠れなくてラジオをつける頻度が減った。あんなに怖かった就職活動に取り組めた。人に過度な期待も執着もしなくなった。心臓がバクバクして、いい年こいて母親になきついたこともあった。だいぶ遠回りしたけど、鬱が良くなった記録として残す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?