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薩摩会議に学ぶ、「詮議(せんぎ)」という民主主義の根幹思想と地域開発における意思決定プロセスの重要性

鹿児島において「義を言うな」は有名な言葉ですが、単に「文句を言うな」とか「口ごたえするな」という意味にとらわれることが多いようです。本質の意味は、「いろいろな詮議を尽くしたら(納得したら)後から義を言うな」が正しい意味。 つまり、「議論はいくらでもして、決まったらそれに従え」ということです。

この言葉の背景に、江戸時代後期の薩摩藩(現在の鹿児島県)で実践された独特の意思決定プロセス「詮議(せんぎ)」というものがあります。藩士たちが集まって政策や問題について議論し、合意を形成する方法です。詮議は、薩摩藩において藩政の運営や軍事戦術、経済政策など多岐にわたる分野で行われました。

先週行われて、僕も参加した「薩摩会議」ではその詮議の精神的伝統が深く息づいていると感じました。

詮議の特徴は、藩士たちが互いに意見を尊重し、対話を通じて合意形成を試みることにあったようです。これにより、薩摩藩内での対立や派閥を抑制し、政策決定の効率化や公正性が図られました。また、詮議は、広く藩士たちの意見を取り入れることで、より実効性のある政策や戦術を生み出すことができたとされています。

詮議の精神は、現代の民主主義にも通じるものがあると感じます。民主主義では、多様な意見や価値観が尊重され、議論や対話を通じて政策決定が行われます。薩摩藩の詮議は、そのような民主主義の原型とも言えるプロセスであり、現代においても参考になる意思決定方法といえます。

歴史家の加来耕三さんによると様々な問いかけに対し答えていく「詮議」によって、薩摩藩士の反射神経は鍛えられており、 (この先どうなるかの)局面がわからない中で「詮議(せんぎ)」が果たした役割(反射神経のような切れ味のよさ)は大きかったとのこと。 そして薩摩の特徴である「詮議」の後は、文句を言わず即行動したことが、維新の原動力になったのではないかと分析しています。

民主主義は、国民全体が政治参加の権利を持ち、政治家や政党が国民の意見や利益を代表して政策を決定する政治体制です。自由な言論や表現、意見の交換が大切にされることから、個々人が正義や価値観を持ち、それを主張することが容認されます。

しかし、「義を言うな」という言葉は、単に自分の正義や価値観を一方的に他人に押し付けることを戒める意味が含まれています。民主主義社会では、多様な意見や価値観が存在し、それらを尊重し合うことが重要です。そこで、「義を言うな」という言葉は、民主主義の中で他人の意見や価値観を尊重し、自分の正義を押し付けない姿勢を示すものと言えます。

多数決による意思決定が行われることが多い世の中で「義を言うな」という言葉は、少数派の意見を尊重する重要性を示唆しています。多数決が絶対ではなく、意見や主張の対話を通じて合意や妥協へと収斂していくのが正しい意思決定プロセスです。

薩摩会議では、3日目のセッションに長い時間をかけて「ドルフィンポート」の跡地再開発への課題が議論されていました。市民から多様な意見があるにも関わらず、結論ありきの行政による開発執行がなされようとしており、それに対して反対すると言うよりも「しっかりと対話がしたい」と望む意志を示したものであったと感じます。

こういった公共開発行為における意思決定は、複雑な政治的背景が入り乱れます。自分の正義を強く主張することよりも、相手の立場や意見を理解し、共通の理解を築くことが重要であるという考え方が、「義を言うな」という言葉には込められていると思うのです。それならば、つべこべいうなと言う空気ではなくて、政治家諸氏にもとことんまで膝を突き合わせて議論しようと言う薩摩気質、「詮議の精神」を思い出してもらいたいと願うところです。

薩摩会議の様子


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