障害を恨む②

いじめのターゲットは移り、学校生活はしやすくなったものの、友達から言われた「介助が負担」という言葉が、私の頭から離れる事はありませんでした。自分の立場が危うくなると、こんなにも人は簡単に裏切るんだと変に冷静になっていたのだと思います。案外自分のことしか考えられないものだなぁと。

グループで行動しているのも、なんだかばかばかしくもう勝手にしろという精神でつかず離れずの距離を保っていました。
私自身も思春期を迎え、家族との関係にも悩んでいました。

両親は、共働きで私の送迎はもちろん、母は帰宅してから夕飯作りを始め、必要に応じて私の介助をしていました。母が何らかの用事をしているときは、姉2人のどちらかが介助をしてくれていましたが、なかなか腰が重いようで動いてくれませんでした。

トイレに行きたくても、誰がやるか「じゃんけん」で決めていたりしました。家族の気分や肉体的疲労によって自分の生活リズムが左右されることを日々目の当たりにしながら生活していたので、「学校でも家庭でも負担なのだ」と思うしかありませんでした。

その時は、とにかくしんどくて、「この状況がいつまで続くんだろう。自分の人生はどのようになっていくんだろうと不安に思っていました。常に誰かにコントロールされないと生きられないという状況に絶望しか感じられませんでした。

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