きゅうり

車椅子ユーザーです👩‍🦽 石川県出身で現在は、愛知県在住。重度介護制度(在宅介護サービス)…

きゅうり

車椅子ユーザーです👩‍🦽 石川県出身で現在は、愛知県在住。重度介護制度(在宅介護サービス)を利用し一人暮らしをしています。 自分1人で出来るのは文字を書くことと話すことだけ。そんな私がどうやって1人暮らしをしたのか… 実体験と日々のリアルを発信していきます🥰

最近の記事

また

県内の大学でオープンキャンパスが開かれていたため行きました。雰囲気も良く、この大学に通いたいと思ったのですが、「入学拒否」されました。またですね。 理由は学内での介助ができないこと、カリキュラムの中に実習があるのですが、私には実習は難しい。この点を踏まえて、試験は受けていいけれど、在学中のサポートはできないという大学側の限界でした。 私は福祉の専門職を育成する場所なら断らないだろうという考えもあったので、福祉の学部を選択しましたが、結局入学を断わられてしまいました。 何

    • 決断

      大学に行けば新しい出会いや学びができる、そう思いました。キラキラしたキャンパスライフを1度でもいいから、経験してみたい。いろんな人脈を作っていきたいと思いました。 私の学校は先生がスパルタで、しっかりとした進学理由を固めなければなりません。その時明確な目標がなかったため、とっさに出たのが「福祉の勉強がしたい」でした。 ここから進学に向けて勉強や準備を進めていきました。私の学校は小学校から高校まで授業時間は45分。 進学を目指すには、授業時間数が足りなかったので他の生徒が

      • 気づく

        学校に登校しては施設に帰ると言う日々を過ごし、2年が過ぎた頃、進路について考えることがありました。 私はその時も興味がなく、なりたいものはなかったのですが、ただなんとなく自分の将来に向けて「武器」が欲しかったのです。自分のこれまでの生活において何もないことに気が付きました。 もう勉強したくないと思っていたので、第一に就職することも頭を切りました。 しかし、このまま就職すれば自分の選択肢はあまりないことに気づいていました。例えば、障害者向けの就労支援事業所、何かの部品を作る

        • 施設生活③殻に閉じこもる

          最初のうちは施設での生活リズムに違和感を感じているものの、次第にそれが私の当たり前になっていきました。 日常生活動作全てにおいて介助が必要で、自分が主体の生活では無いので、自然と「自己決定、自己選択」が難しい環境にいたのかなと思います。 例えば朝着る服を選ぶときも、介助する側が着せやすいジャージを選びます。 外出する時も1人では難しかったので、人手がいる時しか外出できず、計画書を提出してオッケーが出なければなりません。 私は特に、めんどくさがりだったので、そんなことをす

          施設生活②

          4人部屋で仕切りはカーテンのみ。病院のような構造をイメージしてもらえたら分かりやすいと思います。 医療的ケアの必要な人もいたので、看護師もいて、緊急時に対応できるよう各部屋に、マイクもありました。ナースステーションから自分の部屋の様子が見えてしまいます。 大体は、同年代の友達と同じ部屋になることが多いので、そこが救いでした。 病院のようなところだったので、消灯時間も決まっていて、見回りに来たときに、携帯を触っていたら没収されたり、注意されたりしてしまいます。 食堂のような

          施設生活②

          施設生活①

          学校生活については、一旦置いておいて、施設での生活について書いていきたいと思います。 私の入所していた施設は、医療型入所施設といい18歳までの子たちが共同生活をしていました。 1番小さい子で、4歳、高校生はみんなのお手本となるようにと言われていました。 1日のタイムスケジュールはほとんど決まっていてこのようなものです。 朝6時半起床、7時半に朝食を食べ、8時半位までに学校に登校。16時までに施設に帰宅し、リハビリを受けに行く。18時までに戻り夕食。19時学習時間。21

          施設生活①

          学校生活⑤友達ができた🤝

          少戸惑いや葛藤などありましたが、徐々に周りの友達に話しかけることができるようになりました。学校でも施設でも同じ時間は過ごす仲間だからこそ馴染むのは早かったです。 私の高校時代、Hey! Say! JUMP、や嵐が好きな友達が多く、雑誌を買っている子もいたので、その子の部屋に行って「推し」の話で盛り上がりました。 何曜日の何時はこの番組がやっている、とかそんな話をして盛り上がりました。 小さい頃から施設に入所している友達もいて、私より一足先に関係性ができている人たちばかりで

          学校生活⑤友達ができた🤝

          学校生活④ 自分の価値

          障害者じゃない、どこか違うはずと、私は何かにつけて思いたかったんだと思います。中学校の時のいじめの体験や家族との関係、入学拒否によって、障害のある自分は周りの人とって迷惑なんだと思わされる機会が多かったからでしょう。 特に私は大人に取り入ればなんとかなる、と思ってしまっていました。 記事に書くのを忘れていたのですが、学校の文化祭で、「私の主張」という作文を全校生徒の前で発表するという機会がありました。 私をいじめていた友達は、私との関係についてを題材に作文を書いていまし

          学校生活④ 自分の価値

          学校生活③変化

          決定的に変わらなければいけないと思ったきっかけがもう一つありました。 学校には、コミュニケーションをとることができ、ある程度自力で自分のことができる人もいますが、 スムーズにコミュニケーションを取るのが難しく、どこまでを理解できているのか一見、分からない人もいます。障害の種別や程度は様々です。 体育の授業が週に2回あり、そのうちの1回は1組から6組まで合同で体育の授業を行います。 私は初め、障害の程度もバラバラなのにどうするんだろうと思っていました。風船バレー授業で実際

          学校生活③変化

          学校生活③ 認める

          勉強面では「分かる楽しさ」を実感できたことで、真面目に取り組むようになりました。積み重ねれば結果はついてくることを嬉しく思っていました。 でもどうしても改善できないことがありました。他の友達とどう関われば良いか分からず、必要な事は話すけれど、どこか上から目線で話してしまう癖がありました。 地域の学校を出たこと、成績が良かったこと、この2つが自分のプライドでお守りでした。 今思うと、とても性格が悪いなと思いますが、自分を保っていくために必死だったのだと思います。 それが

          学校生活③ 認める

          新しい環境② 学校生活

          私のクラスは3人しかいないので、なんだかちょっと慣れるまで変な感じでした。先生が前に立つと当然、全員見渡せます。中学校では授業中寝てしまうこともあった私ですが、さすがに先生を目の前に、寝ることはできません(笑) 必然的に授業を最初から最後まできちんと受けることになるのですが、分からないところは聞きやすいし、一人一人が分かるまで時間をかけて教えてくれました。 逆にごまかせないくらいで、久しぶりに「勉強が理解できる」という喜びを感じました。課題の提出も、やっていないのに『持っ

          新しい環境② 学校生活

          新しい環境①プライド

          特別支援学校に行くという選択をし、生活環境が180度変わりました。親元を離れ、全く知らない人に囲まれながらの生活。学校でも施設でも障害のある人たちばかり。こんな経験はありませんでした。 入試の成績でクラス分けがされ、クラスには私含め3人しかいませんでした。しかも私以外の2人は男子でクラス替えもないため、3年間同じメンバーです。 学校と施設は併設されており、廊下がつながっていて、私と同じように自宅が遠方にある場合は、施設に入所し生活をともにする仲間もいました。私と同世代の子

          新しい環境①プライド

          暗黒期突入②

          自分自身の選択肢には、特別支援学校はなかったものの、自分の状況を踏まえると必然的にそこを選ぶしかないというのがすごく嫌でした。  今まで学校に関しては、母も私の気持ちを尊重し、交渉したり考えてくれたりしていました。その母でさえ、遠回しに「特別支援学校もどう?」と言ってきたということは、それしかもう選択肢は無いということを指しているんだと実感させられました。 「本当は行きたくない、私は障害者とは違う」という気持ちを吐き出したかったのですが、それをを口に出すことは差別だし、良

          暗黒期突入②

          暗黒期突入

          学校でも自宅でもなんとなく、自分を押し殺しながら生活していて、誰も自分のことなんて見ていないと思っていました。中学校卒業が迫ってきて、勉強も苦手だし、自分の学力に合った学校に行こうと思っていましたが「入学拒否」をされました。 自宅から近いし、中学校からの友達も通うことを知り、私もそこに行きたい、というか、学力的にもそこしかないし、逆にそこ以外どこに行くのというくらいでした。 私が直接言われたわけではないのですが、母が学校の職員に「なぜ特別支援学校があるのに、うちの学校に来

          暗黒期突入

          あきらめ

          家族に思ったことがあっても、なかなか言えないし、伝えたとしても、その後に介助を受けなければならないのです。 喧嘩をして気まずくなっても、トイレに行きたくなったら、名前を呼んでお願いしなければならない。捨てゼリフを吐いて本当は、自分の部屋に行きたいけれど、1人では車椅子を動かすことすら難しい上に扉も開けることができない。  自分には何をするにもサポートが必要だし、この事は誰にも変えられない妥協すべきことだと思いました。障害があるから諦めなければならない事はたくさんあると覚悟

          障害を恨む②

          いじめのターゲットは移り、学校生活はしやすくなったものの、友達から言われた「介助が負担」という言葉が、私の頭から離れる事はありませんでした。自分の立場が危うくなると、こんなにも人は簡単に裏切るんだと変に冷静になっていたのだと思います。案外自分のことしか考えられないものだなぁと。 グループで行動しているのも、なんだかばかばかしくもう勝手にしろという精神でつかず離れずの距離を保っていました。 私自身も思春期を迎え、家族との関係にも悩んでいました。 両親は、共働きで私の送迎はも

          障害を恨む②