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【エッセイ】詩の残像、self portraitーー感光の向こう岸へ 紫衣

ひとりだった、水辺を求めて。
真冬の断崖。真夜中の海岸沿い。北方。最南端の岬。白昼の湖面にうつる、しろいひかりのなか。あてもなく撮りためた数百の瞬きたちが、忘れた頃に届けられる落とし物みたいにそっと、拾いあげられるまでに。
何度。わたしは、ころしてきたのだろう――。

  *

夕刻。薄暗い部屋。首を吊った制服の紐が突然断ち切れた、あの日。打ちつけた頬骨の、つめたい床のかたさを憶えている。散らばるようにくずお れたわたしはそのとき、ひとつの〝言語〟を喪った。遺したいことばが確かにあったのに。顔を覆っても泣き崩れても、思いだせない。ひきかえに、あるものが繰りかえし夢に顕れるようになった。気配だけのときもあれば、呼びかけてくる声だけのときも。
ある晩、ヒトガタを呈したそれは、輪郭だけが確かで、貌は目覚める瞬間、引潮に呑まれるかのごとく消えて視えなくなった。それ以来だろうか。幻影を追い求めるように、彷徨いあるくようになる。詩のことばを欲していたのか。それとも心許ないファインダーのなかに、その者の姿を捉えようとして?

北国。最南端。ふゆになると海がみたくなる。
星々もつきあかりもない真夜中の、立ってはおれぬほどの断崖に身を晒す。吹雪と強風に視界を奪われ、凍りつきそうなゆび先と吐く息の白さに、恐怖も痛みもわすれ、己の非力さを知る。それでも、胸に迫りくる轟音と、見下ろす彼方に砕かれる潮の花は、佇つ者を魅了してやまない。時々、もう夢でなく、ふりむいた微笑だけがゆれる瞬間をこの眼に視ることがあるのだ。(……何をしに来なすったんですか。こんな、ひとりで)宿に着くなり、怪訝そうに顔を覗き込んできた店主の声が蘇る。半端な崖で逝けるかと、しがみつく三脚ごと飛ばされそうになる。
導かれるままに。此処、と決め。みずから身を置いてみる。この画角、この〝絵〟のなかでなら、自分で自分をあやめることが、赦されるから。息をとめて。永遠に動くな、と。血の気を失った身体で、凍りかけた白髪を首にたらして、死に顔を晒し、それでもまだ呼吸は止まらずに眼だけが血走って――。

ひとり織りなす空間は、もはや一人でない。self portraitとは。問われると返答に窮するが、わたしにとっては差し詰め詩の産声の標本か、ともすれば遺影にすぎない。

自己を突き放して置き去りにしたかった。二度と這いあがって来られぬよう、その背中を渾身のちからで突き落としてしまいたい。いつの日か、彼女がふりむいて、その貌がはっきり嗤いかけてきて、こちらに手をさしのべるその瞬間。わたし、あなた。どちらに倒れても、けして振りほどきはしない。

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