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サッカーを女子がしちゃ、いけないことなの?

昨日、この記事の一部抜粋した形の画像のツイートを見て、とても悲しくなった。

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そしてそれに添えられた画像がこれだ。

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全くの偏見でしかないと私は感じる。

私の住む静岡県藤枝市には藤枝順心高校という女子高がある。サッカーの詳しい人なら知っている方も多いと思うが、高校女子選手権では5度の優勝経験があり、去年今年と連覇もしている強豪校だ。
そんな私の出身校も、藤枝順心ほどではないが、最近では強豪校として扱われる高校を卒業した。それ故に、母校と藤枝順心、どちらも全国大会では結果が気になる存在でもある。

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そんな環境で生きてきた私なので、安直に「性表現が男っぽい」という記述の中にサッカーと入れられることには違和感しかない。確かに屋外スポーツで短髪にしている選手も多いが、同じ「性表現が男っぽい」という文面をソフトボールに使えたのだろうかとも思う。
この記事の執筆に関わっている遠藤まめたさんの出身校は女子校であり、部活動においてサッカー部やソフトボール部が存在しない学校が出身だ。それ故に身近にそのような人がいなかったが故に、このような記述が疑問を抱かれるということに気づけなかったのかもしれない。

けれども同じ女子校で、しかもサッカー部やソフトボール部が盛んな学校が身近にある私にとっては、サッカーがしたいためにこの街この学校に来ている人もいることは当たり前のことだ。それ故に、性表現とは一切関係なく、藤枝市が掲げる「蹴球都市」「サッカーのまち藤枝」の誇りのひとつが、彼女たちだとも思う。
また、性表現やジェンダーバイアスに関して、あまり気にする必要も無い環境に居られるのも、部活や高校の学科などで女子の多い環境で育った私にとっては、女子校の魅力のひとつともなると思う。そもそも、身近に無いが故に世間的な印象でしかものを語れない人が、安易に語っていいことではないものであるし、更にはそのような差別や偏見をなくすべき人が、そのような偏見に囚われていることが本当に悲しかった。

また、私の母が生まれた街は、日本の女子サッカーの原点のひとつともいわれる街に生まれ育った。それゆえに、40年以上前から、その街の学生世代からその親世代に至るまで、ジェンダーバイアスに囚われずにサッカーができる環境のために、どれだけ努力してきたかという話を何度も聞いてきた。
だからこそ、スポーツと見た目だけで、性表現と軽々しく言うことは本当に悲しいことだし、そのために40年以上前から努力してきた人たちのことですら、それより古い価値観で決めつけてしまう本当に悲しいことに感じる。

そして、今年から女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」が始まろうとしている。2011年W杯のなでしこジャパンの熱狂から10年たって、本当に性自認や性表現、性指向に関係なく、サッカーを愛してプレーし続ける人のために、やっとプロリーグとして始まったこの年に、国内の女子サッカーの試合では性の多様性を尊重するために先週レインボーフラッグを掲げたりもしたのに、同じ旗を掲げて性の多様性を訴えて活動している人が、未だにこのような偏見の混じった内容で、その多様性を教えていることに、私は悲しさしか覚えなかった。遠藤まめた氏は、多くの人に性別という価値観のアップデートを訴えているが、正直私はあなたこそ古い価値観のアップデートをすべき一人だと思った。
私にとっては藤枝順心高校は、姉妹校の藤枝明誠高校や男子の名門藤枝東高校、Jリーグクラブの藤枝MYFCに最強公務員と名高い藤枝市役所サッカー部、更には同じく女子の県内強豪藤枝西高校や藤枝市内でサッカーをしているすべての人と、藤枝の中央防犯サッカー部がルーツの私が愛するJリーグクラブアビスパ福岡を含めて、性自認や性表現とは関係なく「サッカーのまち藤枝」の誇りのひとつだ。そしてこの「サッカーのまち藤枝」が、性別や性自認、性指向と関係なく、すべての人がサッカーを愛したり楽しむことができる、そんな街だと信じている。
そんなサッカーのまちに遠藤まめた氏自身に来て、少なくともサッカーというスポーツを愛するうえで、性別なんて関係ないことに、価値観をアップデートしてもらいたい。その街は藤枝でなくても構わない。40年以上前から女子でもサッカーをできるように尽力してきた街に行くことでもいいと思う。安易に楽しんでいるスポーツや見た目で「性表現」として肯定することのないように、私は彼にお願いしたいと思う。

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2021/07/01 追記

先月、女子サッカー選手の横山久美選手が、トランス当事者であることを公表された。更には選手としてプレーを続けることも言っていた。私は彼のことを尊重したいし、彼がサッカー選手としてのアイデンティティを大事にしたいことを、ちゃんと日本でも尊重してもらえる社会になってもらえたらと思う。
そんな思いを持ちながら、私自身の記事を読み返して、やっぱりスポーツや芸術をすることを「性表現」として安易に扱うのは良くないということは再認識されたものもある。

実際に、私の友人の元パートナーで、トランス男性で元サッカー選手の方の話をその友人から聞いたこともあり、実際に女子サッカー選手でトランス当事者が多いという話も前々から聞いて、知ってはいた。
スポーツをやることと性自認や性表現は、確かに相関性はあるかもしれない。けれどもそれに対してそれを当然のこととして、「男の子っぽい」ということにするのは、その人がスポーツをやる意義、そのスポーツへの情熱を侮辱することにもつながると思う。
私もトランス当事者故、トランス当事者がアイデンティティというものに関して非常に不安定で、その部分に触れられた時にとても脆弱であることを実感している。そんなアイデンティティの部分を、強く補完して、自分というアイデンティティに自信をつけてくれるもののひとつがスポーツであると思う。
私は身体が女性ではないので憶測になってしまうが、二次性徴においてより如実に苦しめられるのはトランス男性でもあると思う。更にその苦しみに加えて、身体が故の体調不良とも戦わなければならない。服装や性表現だけではない強い問題が重くのしかかるのに、それを押しのけさせてくれる存在があるとすれば、それほど尊いものはないと思う。

実はこの女子サッカー選手にトランス当事者が多いこと、このことに関しては記事に書きたかったことであるが、あえて最初書かなかった。
実際にトランスであるという自覚がありながらも、それが確信に至っていなかったり、公表したくない選手もいるかもしれない。そう考えたときに私はこのことは書けなかった。悩みを持ったり気持ちを押し殺している人に対して、尊重できない気がして。
だからこそ、現役で有りながら公表に至った横山選手のことは素晴らしく思う。私は性指向や性自認というものに関して一切賞賛することをしないし、そのこと自体を賞賛する風潮には疑問を持ち、反対したい立場である。しかしながら、サッカーという競技における多様性について、女子サッカーという競技の振興において、重要なことをしてくれたと思う。
ただ、今実際に悩みを持ったり、気持ちを押し殺している女子スポーツ選手がいるとしたら、私は打ち明けることも、それを隠し通すこともどちらも尊重したいし、どちらも尊重される社会であるべきだと思う。性自認や性表現とは関わらない、スポーツ選手としてのアイデンティティは、他の価値に揺るがされてほしくないからだ。

そして私は、日本という国でより女子サッカーが盛り上がることを願っています。


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